>>270 >>278 「仁」とは人を思いやる心、「義」とは正義を貫く心、「礼」とは礼を尽くす心、
「知」とは知恵を磨く心、「信」とは人を信じる心であり、これを実践せよ!
と云うのが儒教であるなら、儒教でいうところの五徳からもっとも縁が遠い
国が中国・朝鮮だと思います。
支那や半島の連中は、自分たちの文化さえも裏切るということですね。
「朝鮮の悲劇」マッケンジー(原著:1908年)
>儒家の理想は聖人政治で、その聖人が天に代わって万民を統率し、その徳によって万民を感化させるという
> 「徳化」「王化」、あるいは「覇道」に対する「王道」を理想としている。
> 儒家思想のコアをなす倫理は、一つの社会規範とされ、人は仁、義、礼を重んじるべきだと説かれる。宗教信
> 仰のように内発的、自発的、自律的に発生するものではなく、あくまで「仁たれ、忠たれ、孝たれ」と外的に強制
> するものだ。
>また有徳者が国家を治めるとの建前から、一般的には法的規制が極めて困難でもある。
> しかし、「朕すなわち法」の原則の下では、最高の「仁義道徳」を持つとされる「朕」が裁かれることは無いし、
> 「刑、大夫に及ばず」といわれたように、刑とは民衆を罰するものであり、統治者には及ばない。
> それが儒教社会国家である。
『刑とは民衆を罰するもの』であり、『大夫に及ばず』と宣言するものであれば、まさに、やりたい放題のリンチ!
実態として・・・・・・・・やはり・・・・・・・権力者の私的な拷問制度でしょう。