★日中戦争 100人斬りはあった?/なかった?W★

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876K−K@南京事件資料集
>>857
>捕虜や農民の斬ることの「犯罪性」については、「認識」できないんだ。憐
>憫の情をかける対象の価値としては、農民>>>>捕虜>>逃げた敵戦闘員
>だと思うが。違う?

 憐憫の情と、犯罪性を混同しても無意味です。論じているのは、憐憫の情ではなく、犯罪性です。憐憫の情の掛け方と、犯罪性は同一でもなければ、正比例の関係にもありません。
 逃げた敵戦闘員を斬るのを躊躇ったように証言しているが、実際は、無抵抗の者までも殺害していたということだと考えられます。

>るわけでもなし、まったく、ノーコスト・ノーリスクで“創作”できるのに。
>それが、捕虜や農民を何百人と斬るほどに「感じ」ていた「必要性」って何?

 仰る通り、実際、記者が確認できるわけではないので、まったくの虚構でも良かったのでしょうが、一応、何らかの競争を行っているという事実をもって、話にリアリティーを持たせたかったのかも知れません。
 ただし、その点の詮索は難しいところでしょうね。
 しかし、望月手記で裏付けられているとおり、競争を行っていたことは認めねばなりません。

>いや。まったく「解消され」んのだが。「裏話」どころか、“犯罪”告白じゃ
>ん。それも、小学校での講演なんだから、先生も同席してるだろう、その前で。
>普通だったら、座は凍りつくよ。「資料に整合性」を「付」けるために、さら
>に、あり得ん「解釈」をして、どーすんのよ。

 既に書いているとおり、犯罪性の認識の欠如があることを考慮すべきです。捕虜を殺害するということ自体に、犯罪性の認識が無い、もしくは薄い場合は、そのような深刻な告白となるとは考えないと思われます。
 また、これも既に指摘しているように、実際に市民殺害命令も出ていたようですし、捕虜は作らない方針であったということも師団長の日記に書かれています。
 この前提を考慮するならば、野田少尉にとっては「意外な裏話」という認識以上のものが無かったと考えることが出来ます。
 よって、このような資料解釈は妥当ということになると思われます。

http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/