あ…釣られちまったorz
この議論に関しては有効ですよ、悪魔の証明。
このスレは100人斬りの「有無」についての議論ですから。
判決が公正になされたかどうかに疑問がある以上、判決をもってその論の正当性を語るのは
いかがなものかと思いますが?
853 :
847:04/08/30 19:27 ID:BTMKTnLs
>>850 >>1のリンク先じゃないよw
読んでから言ってくれ〜。
>>851 釣ってゴメン。
本当は、横を読んで喜んだ売○奴をリンク先に誘導したいのだがw
縦はおまけ。
>>853 >読んでから言ってくれ〜。
波平さんの底の浅さが如実に現れてますね。
>>852 > この議論に関しては有効ですよ、悪魔の証明。
どうしても逃げ込むんだよね〜、否定派の皆さん。逃げ込む度に敵前逃亡になる訳だけどね。
>>855 840 名前:名無しかましてよかですか? 投稿日:04/08/30 18:50 ID:zbPQNzUv
もう何度目かのループだな
志々目証言は
・補強証拠が一つも無い
・向井・野田・佐藤証言とは勿論、新聞記事や浅海証言とも矛盾する
・その講演を聞いた者は他にいない
などの理由で信用できない
これを信用できるというならその証拠をだせ、というのに波平は逃亡しつづけて「悪魔の証明」の詭弁の典型で誤魔化しに走っている
もう釣り宣言しちゃえよ。まさか素じゃないよな?
志々目証言の内容が事実が事実でも、捕虜を含む百人斬り競争が事実とはならないし、
競争が事実だと主張する者もいないだろ。
>>856 一応訂正ね/w
・補強証拠が一つも無い
日本軍 第16師団が投降兵を捕虜扱いせずに『処理』していた事は、指揮官の残した記録から明確になっている。
このような状況が投降兵殺傷を認めた本人の証言を間接的に補強している。
・向井・野田・佐藤証言とは勿論、新聞記事や浅海証言とも矛盾する
前提として白兵戦での『百人斬り』は不可能である と考える場合、
新聞記事と浅海、鈴木、佐藤証言と志々目証言は矛盾しない。
・その講演を聞いた者は他にいない
『他にいない』という反証を否定派が提出するものと待っているんだが、残念ながら東中野氏以外の否定派が逃げているのが現状ですね。
本来は志々目証言が登場した時点で否定派が反証を行うべきだったが、それを怠った事に問題がある。
捕虜を引き据えて殺したわけだよな。
みんな似たようなことやってたんだろうな。
志々目証言を改めて読んでみた。捕虜虐殺の証言という先入観を排して
「なぜ中国兵は逃げないのだろう?反抗しないのだろう?兵士がみんな馬鹿ということがあるだろうか」と、他ならぬ志々目本人が疑問を呈している
なお、「腰を丸め手をあげてゾロゾロ出てくる中国兵」という部分等は、当時の志々目少年の『想像』部分だった
これって…
>>861 それが『重要な参考証言』の志々目証言ですよ/w
>>859 >日本軍 第16師団が投降兵を捕虜扱いせずに『処理』していた事は、指揮官の残した記録から明確になっている。
>このような状況が投降兵殺傷を認めた本人の証言を間接的に補強している。
「捕虜をとらず」という一文を勝手に捕虜虐殺と解釈したもの。状況もなにもない
「それは銃器を取り上げ釈放せい、ということです。中国兵は全国各地から集っていますが、自分の国ですから歩いて帰れます」
大西一上海派遣軍参謀(阿羅健一著「聞き書南京事件」)。
>投降兵殺傷を認めた本人の証言
どこのこと?
>前提として白兵戦での『百人斬り』は不可能である と考える場合、
>新聞記事と浅海、鈴木、佐藤証言と志々目証言は矛盾しない。
矛盾するだろ。戦闘行為と3者が断言してるんだから
それに「記事は創作」という点と思いっきり状況が違っちゃうんだが?
>『他にいない』という反証を否定派が提出するものと待っているんだが
いないものをどうやって出せと?「他に聞いた人はいませんでした」それだけじゃん
>>859 >日本軍 第16師団が投降兵を捕虜扱いせずに『処理』していた事は、指揮官の残した記録から明確になっている。
>このような状況が投降兵殺傷を認めた本人の証言を間接的に補強している。
「処理=殺傷」の立証ができてないねぇ。
仮に立証できたとしても、その理屈では
「中国は文革で大虐殺しているから中国人はみんな虐殺犯だ」
っていうのと一緒だねぇ。話にならないねぇ。
>前提として白兵戦での『百人斬り』は不可能である と考える場合、
>新聞記事と浅海、鈴木、佐藤証言と志々目証言は矛盾しない。
これは君の脳内だけでの話だねぇ。
記事にはしっかりと「敵陣に突入した」とか書いてあるからねぇ。
そのような強引な前提が可能なら、野田メモの矛盾だって無くせるねぇ。
>『他にいない』という反証を否定派が提出するものと待っているんだが、
>残念ながら東中野氏以外の否定派が逃げているのが現状ですね。
>本来は志々目証言が登場した時点で否定派が反証を行うべきだったが、
>それを怠った事に問題がある。
「他にいない」と言われているのだから、
「他にもいる」とするなら肯定派が出すべきですねぇ。
否定派が「他にいない」と言っているのだから、
君の理屈でいけば、これに反証しなければならないのは肯定派だねぇ。
それができないのなら「他にいない」は決定事項だねぇ。
つまり「百人斬りがあった」といえる証拠は無い
↓
証拠が無いから捕虜虐殺と憶測する
↓
既に反証済みの16師団全体の「方針」まで持ち出して足掻く
↓
で、「無い」と証明せよという悪魔の証明の典型で誤魔化し
↓
以下エンドレス
それにしても波平(=タラリ)は日本語能力が欠如してるねぇ。
【波平の問題点】
・証明の無い「机上の理論」の積み重ねだけで論理を構成する
・自分は何1つ証明できてないのに相手には証明を求める
・1度論破された話を、何事も無かったかのように後で再掲する
・都合の悪いレスを全てレトリックだと言って逃げる(しかもレトリックだという根拠なし)
・書き込みの数が多い方が勝ちだと思っている
・返答が無いのは相手が逃亡したからだと思い込む
(あきれられて放置されたとは考えられない)
・突然関係の無い話を始める
・人の話を聞かない
・結局最後は罵倒しかできない
・なぜか1000を狙っている
・おそらく無職である(1日中いるので)
・中国人らしい
・正体はタラリ
立証できていないものに反証する必要はありません。
で、百人斬りの根拠まだですか?
あー腹へった。
なお、第16師団については
第16師団
歩兵38連隊戦闘詳報 附表第3 戦闘詳報12号附表
備考
1、俘虜7200名は、第10中隊堯化門付近を守備すべき命をうけ同地にありしが
14日午前8時30分頃数千名の敵、白旗を掲げて前進し来り午後一時武装を解除し南京に護送せし者を示す。
『南京戦史資料集』P594
というものもある。肯定派否定派双方から引用される史料からも、中島日記=捕虜虐殺方針は認められない
波平=タラリ説ってどっから出てきたの?
>>865 >「それは銃器を取り上げ釈放せい、ということです。中国兵は全国各地から集っていますが、自分の国ですから歩いて帰れます」
いやー本当に可哀想になってきたよ。本気でこんな事言ってるんなら、戦争の意味がわかってないのね/w
>>734 >>737 を参照願います/w
> 矛盾するだろ。戦闘行為と3者が断言してるんだからそれに「記事は創作」という点と思いっきり状況が違っちゃうんだが?
『記事は粉飾された内容だが、本人達へのインタビューを基にした内容』ですね。
三者は誰も実際の現場を見ていません。
> 「他に聞いた人はいませんでした」それだけじゃん
東中野氏が調べてくれたおかげで、講演の存在は間違いないものとなりましたが、「他に志々目と一緒に、同じ内容の講演を聞いた人はいませんでした」それだけ証明してくれりゃ済むのよ。
頑張って/w
結論。少なくとも波平の主張は、憶測に基づいたものでしかない
しかも、積極的に「あった」とする証拠は提示できていない
さらに「悪魔の証明」の詭弁を弄して人様に責任を転嫁するあたり、相当タチが悪いかわざとやっているかであろう
>>873 野田の獄中メモについての議論の最中、
「獄中メモは作文のようだ」って発言したから。
参考:タラリHP「野田回想メモを検証する
http://www.nextftp.com/tarari/nodamemo.htm #これは記者が勝手に書いたという印象操作のための作文でしかない。
#むろん、これらのスコアは法廷で聞き覚えた数字と地名から「記憶」を作文したに過ぎない。
#野田が自身の記憶を語っているのではないことは明確であり、単なる獄中における作文に過ぎない。
とにかく「野田メモは作文」と言いつづけている。
>>875 波平釣り師説は前からあったけど、
ニュース板とかまで出張してるあたり、正直「釣り」の範疇を超えてる。
まあ今から波平が釣り師宣言したところで、
例のAA貼られるだけだろうけどw
>>874 >いやー本当に可哀想になってきたよ。
だから参謀の証言・戦闘詳報で否定されている。可哀相なのは時代遅れの君だよ
>三者は誰も実際の現場を見ていません。
つまり「無かった」ってことじゃん(爆笑
>「他に志々目と一緒に、同じ内容の講演を聞いた人はいませんでした」それだけ証明してくれりゃ済むのよ。
また悪魔の証明で逃亡か…
>>867 > 既に反証済みの16師団全体の「方針」まで持ち出して足掻く
こいつバカ? で、どのように反証できたの? 捕虜を放してあげましたってか?/w
>>879 反証できないのね?
別に悪魔の証明を求めてないんだけどなぁ(藁
>>878 見苦しい逃げ方ですな?
> 参謀の証言・戦闘詳報で否定されている。
ほーどんな証言が『捕虜は放してあげました』なんて言ってるのかな?
> つまり「無かった」ってことじゃん(爆笑
超短絡思考ですな。
んで、結局最後は敵前逃亡か。哀れだね〜/w
>>876 サンクス♪
タラリって、思った以上にバカだったんだな。
名なし便衣兵やK−Kですら数段マシに見えるw
結局無知を恥じてレスが止まったのかな?
16師団のどなたが『捕虜を放してあげました』と、のたもうているのでせうか?
波平さん、せっかく調子に乗ってるところにゴメンナサイ。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/8312/page028.html # 【第16師団】
#歩兵38連隊戦闘詳報 附表第3 戦闘詳報12号附表
#1、俘虜7200名は、第10中隊堯化門付近を守備すべき命をうけ同地にありしが
#14日午前8時30分頃数千名の敵、白旗を掲げて前進し来り
#午後一時武装を解除し南京に護送せし者を示す。
#『本当はこうだった南京事件』P387 板倉由明著 日本図書刊行会
#なお、城内に収容された捕虜のその後については、
#『南京戦史』第六章第六節「南京付近に収容した捕虜の状況」に詳しいが、
#最初一万人程度の捕虜が収容され、
#翌昭和十三年一月六日に「三千六百七十人もいるそうだ」と
# 【第十六師団】 経理部の小原立一少尉の日記に記されている。
#約半数が昭和十二年末ころ上海に送られたものと見られ、
#残りが汪兆銘の南京政府軍に編入されたという事実はよく知られている。
「放してあげた」とは書いてませんが、「処刑した」でもありません。以上。
「われわれの取り扱った捕虜約2000人のうち、帰順を申し出る者は、若干の米麦と白旗を持たせて帰郷させた。年末頃までに約半数が帰順し、半数は使役として働かせた。
腕章をつけて食糧の運搬や炊飯などさせた。中山門の内側の土嚢の中に玄米の麻袋があり、我が部隊は大助かりであった。が、水と燃料には苦労した。これらは捕虜の使役で補うことができた。かれらは一日中食糧の準備に終始した。
私はその指揮に当たったが、「衣川先生(イーセンセンション)」と呼ばれ、捕虜とわれわれとの間に自然に親近感が芽生え、捕虜殺害などとんでもない話である。これらの捕虜は、転進する際全部帰郷させた。」
(16師団・歩兵第20連隊所属だった衣川武一氏)
で、「あった」って証拠はマダー?
波平は「存在しない人間を連れて来い!この世にないものを持ってこい!」と連呼するだけ?
ところで波平が言う「捕虜処刑の根拠たる16師団の戦闘詳報」ってどれの事?
まさか板倉由明に「信頼性が低い」ってこき下ろされてた、
66連隊第一大隊のやつじゃないよな?
もしそうだったらまたまた爆笑モノなんだがw
波平は捕虜処刑を否定する16師団の戦闘詳報を突きつけられ、現在逃亡中です。
数時間経ってほとぼりが冷めた頃に、何も無かったかのごとくまたやってくるでしょう。
>>882 そりゃK−K氏よりバカであるのは間違いない。
志々目証言の「占領した敵の塹壕にむかって・・・」のくだりを読んで
>敵は戦意をなくし、戦闘は終了しているのです。(「思考錯誤」掲示板より)
って言い切ってますからね。
これに関してはK−K氏は「掃討戦」と言っています。
まともな感覚なら、戦闘中もしくは戦闘状態だと判断するのに・・・
>>884 >「放してあげた」とは書いてませんが、「処刑した」でもありません
なかなか素直で宜しいですな。南京に護送した後の捕虜については板倉氏の文章とどうつながるのかちょっと不明ですね?
日本軍の名誉のために、もう少し正確な情報を望みます。
南京に護送しただけで『処分』しなかったと言うのであれば、同様の仕事についていたアイヒマンもバルビーも無実ですな/w
> 残りが汪兆銘の南京政府軍に編入されたという事実はよく知られている。
笑える事実誤認ですな。汪精衛政権が分立したのは1940年の話です/w
>>872 > 武装を解除し南京に護送せし者を示す。
で、この捕虜は南京からどこに行ったのかな?/w
>>886 >「われわれの取り扱った捕虜約2000人のうち、帰順を申し出る者は、若干の米麦と白旗を持たせて帰郷させた。年末頃までに約半数が帰順し、半数は使役として働かせた。
(16師団・歩兵第20連隊所属だった衣川武一氏)
こういうのが常態化していれば良かったんですがね。マトモな人もいたという事ですな。
で、
>>734 >>737 は参照したのかな?/w
何かすごいことになってるな。
この前キルビル見たがブライトが名刀ハットリハンゾウで100人切ってた。
とても人間技とは思えなかった。
ま、映画だからね・・
>>891 >南京に護送した後の捕虜については板倉氏の文章とどうつながるのかちょっと不明ですね?
リンク貼ってあるんだから読めよ。
>南京に護送しただけで『処分』しなかったと言うのであれば、
>同様の仕事についていたアイヒマンもバルビーも無実ですな/w
いくら何でも無茶すぎる(笑)
イエスキリストやブッダが犯罪者じゃないから麻原彰晃も無罪、っていうようなもんだw
>笑える事実誤認ですな。汪精衛政権が分立したのは1940年の話です/w
つまり、どこの誰とも知らないド素人のお前さんが、
板倉由明という著名な学者様に向かって事実誤認だとおっしゃるわけですな?
ところで板倉は「汪兆銘の」と言っているのに、「汪精衛」政権がどう関係あるのかな?w
>で、この捕虜は南京からどこに行ったのかな?/w
だからリンク先読めよ。読まずに反論すんな。
#『南京戦史』P324
#これらを総合すると堯化門(仙鶴門鎮)付近の捕虜約七千二百名を
#中央刑務所(第一監獄所)に護送し収容したことはあきらかである。
まさか「監獄に入った後はどこ行ったのかな?」なんて言うんじゃなかろうなw
>で、
>>734 >>737 は参照したのかな?/w
日記と戦闘詳報、どっちが信憑性あるのかね?w
こうして百人斬りが「あった」という証拠は一個も挙げられないまま、状況証拠(らしきもの)すら崩されていくのであった…
>>893 面白いんで貼っておきましょう。 一応、質問に答えとくけど旧軍の戦闘詳報は上官に読ませるための作文にすぎないので、独軍の資料のような価値はないですね。
では、第16師団が師団長以下、捕虜『処分=殺害』を行っていた事には、みなさんご同意いただけたと見なして宜しいでしょうか?
>>895 >一応、質問に答えとくけど旧軍の戦闘詳報は上官に読ませるための作文にすぎないので、
>独軍の資料のような価値はないですね。
ソースキボンヌ
少なくとも、戦闘詳報を偽造したら補給計画等に影響がでると思うが?
それから、「捕虜はとらぬ方針なれど・・・」って16師団のあの文面ね。
捕虜を処刑するという意味に取ると文意が取れなくなるんですが?
まともな国語能力があったら、「武装解除の後、解放」って意味にしか取れない。
897 :
関の孫六:04/08/31 00:24 ID:S7Z/UK08
>>896 > それから、「捕虜はとらぬ方針なれど・・・」って16師団のあの文面ね。
> 捕虜を処刑するという意味に取ると文意が取れなくなるんですが?
> まともな国語能力があったら、「武装解除の後、解放」って意味にしか取れない。
そうかい?
>一、此七八千人、之を片付くるには相当大なる壕を要し中々見当らず一案としては
>百二百二分割したる後適当のカ処に誘きて処理する予定なり
じゃぁ、ここはどう読めばいいのか教えてたもれ。
>>896 あーおむすび、いたのか。
つーか、旧軍なんてそんなもんよ。って投げやりすぎかな?
別に偽造したとは言ってないよ。都合の良い事しか書かなかったってだけの話。
>>897 で、この文面のどこを読むと「武装解除の後、解放」って意味になるのかな?
一、大体捕虜はせぬ方針なれば片端より之を片付くることとなしたるも千五千一万の群衆となれば之が武装を解除することすら出来ず唯彼等が全く戦意を失いゾロゾロついて来るから安全なるものの之が一旦騒擾せば始末に困るので
部隊をトラックにて増派して監視と誘導に任じ
十三日夕はトラックの大活動を要したり乍併戦勝直後のことなれば中々実行は敏速には出来ず 斯る処置は当初より予想だにせざりし処なれば参謀部は大多忙を極めたり
一、後に至りて知る処に拠りて佐々木部隊丈にて処理せしもの約一万五千、太平門に於ける守備の一中隊長が処理せしもの約一三〇〇其仙鶴門附近に集結したるもの約七八千人あり尚続々投降し来る
一、此七八千人、之を片付くるには相当大なる壕を要し中々見当らず一案としては百二百二分割したる後適当のカ処に誘きて処理する予定なり