犯行声明文を警察やマスコミに送り、次々と残酷で小説のように演出的な殺人で有名になった神戸連続通り魔事件。
非常に演出的な殺人だったため、まるで事件そのものがエンターテイメントであるかのような扱いされたこの事件
実は 冤罪 であると主張する意見もあります。この事件に関しての不審点を3つ取り上げてみました。
【 @校門前の生首 】
警察の発表によれば金ノコを用いて首を切断したとあるが、首の切断面は遺体を凍結して電動のこぎりで切断したかのように
一様で滑らかに切断されている。(凍結させずに金ノコや電動のこぎりで首を切れば切断面はボロボロになってしまう)
【 A犯行声明文 】
当時、話題になった犯行声明文だが、彼が中学三年生になって書いた文章と比べてみると、
とてもあのレトリックに富んだ声明文を書けるような文章力は持ち合わせて無い。
(↓少年Aが中学生三年生で書いた文章)
http://members.ld.infoseek.co.jp/forum2000/criminal.htm ↓犯行声明文に対する専門家の意見
「感じるのは、筆者は自分の文体を持っているなということだ。そして大変、論理的だ。
『透明な存在であるボクを造り出した義務教育……』というくだりは、論理の抽象度をよく知っている書き方で、
抽象度の高い文体の持ち主といえる。」(「産経新聞」6月9日夕刊)
【 B暴走する酒鬼薔薇像 】
「少年Aがホラーマニアで映像の世界では満足できず、実際に殺しをしたいという衝動が芽生えた」という世間一般の認識に対して
ホラービデオの『13日の金曜日』や連続殺人犯ゾデアックを紹介した書籍を少年の自宅から押収という事実はなく、
「映像の世界では満足できず〜」は捜査本部の意図的に流布した情報であることが判明。
そして、こういった冤罪説を唱えると必ず出てくる「冤罪否定派」。「冤罪否定派」がこの事件に深く関わりのある当事者ではないだろうか。
捜査が行き詰まった際、社会的弱者が世間のほとぼりを冷ますため殺人犯に
祭り上げられるケースがあるそうだが、彼もスケープゴートとして警察に利用されたのだろうか。
いずれにせよ、この事件はもう一度再審するべきである。