靖国神社を糾弾する5

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621175R ◆124Svdx/a. :03/06/25 09:04 ID:Nq5l2165
>>615
>バラバラ事件の手だけ足だけも死体の一部だろ。
「遺体の一部」だと思うが・・・

>だったら魚の切り身も死体の一部。
そういう風に、割り切れるかどうかは、その人の生活環境にもよるだろうね。
普通、人間の「遺体」を街中で見つけたら、パニックになると思いますが。
君は、それでも「魚の死体」と同じだと思いますか?

>遺体と呼ぶのは人間が人間の死体を特別視したいがため。
>ハイエナやサメから見れば人間の死体も他の動物の死体も死体は死体。
私は、鯛の造りが出ても不快にはなりませんが、人間のバラバラ死体を見て、
同じ感情では見ないと思いますよ。
ハイエナやサメから見た場合と、人間から見た場合とが、同じと思える感覚は
良くは分からない。
説明して欲しいところではある。(藁
622よなご・あーる ◆H8k.7.Si8. :03/06/25 12:09 ID:usfW7dWy
>>614
たとえ、国民の多数が求めても政府としてやってはいけないことがある。
行政としての権能を超えたことにおいて、できないことがあるという意味では了解するが、
それは公平な衆議を確保するためということとは少し違うのではないか?
君の議論は公法においてどのような法律を作ることができるかの議論であって、
この公式参拝の問題は、政府においてそのような権能があるかどうかの議論である。
政教分離に反することができない、当然であり、言い方をかえれば、政教分離に反しない限り可能である。
可能であるが、やるかやらないかは、国民の負託を受けた政府として判断すればよいのである。
政教分離が、社会通念によって変化するものであるから、その社会通念を見極める必要はあるが
何がなんでも一切だめということにはならない。
623よなご・あーる ◆H8k.7.Si8. :03/06/25 12:15 ID:usfW7dWy
>>616
意味が良く分からない。
靖国には多くの戦死者が際しされているのであるから、ほかの追悼対象施設と同様に公式参拝すれば良いといっている。
>>619
その方式事態が、終戦直後採用されていればそれはそれでよかった、という意味では同意できる。
しかし、現実に50年以上そのようになされていない。靖国や様々な追悼碑が、そのような公的な追悼を担ってきたではないか。
戦後の歴史を無視した議論は、非現実的である。
624175R ◆124Svdx/a. :03/06/25 13:36 ID:Nq5l2165
>>622
>政教分離が、社会通念によって変化するものであるから、その社会通念を見極める必要はあるが
>何がなんでも一切だめということにはならない
答えたくないなら、答える必要はないが。
これは、意味が通じないと思われる。
君が以前に貼り付けた「判例」によると、政教分離に対しては「一切だめ」
とは言わないものの、現実的に「公式参拝が合憲」になるとは考えられない。
時代が変われば、好きなように判例を変化させていいわけでもなく、高等裁の
判決とはいえ、公式参拝に「違憲」の判断が下されている。
戦後からの今日、特に戦没者の慰霊を丁重に行って欲しいという世論が大きく
政府を動かす事がなかった以上、今更「社会通念」が判決当時と大きく変化が
あったと考える事自体に無理があるであろう。
>戦後の歴史を無視した議論は、非現実的である
から。
625名無しかましてよかですか?:03/06/25 13:59 ID:9EWMaz8O
>>624
>高等裁の 判決とはいえ、公式参拝に「違憲」の判断が下されている。

そうではないだろう、公式参拝が違憲との判決ではない。
誤解を招く表現はやめてくれ。
公式参拝を争った裁判ではない、そのことに憲法判断を出してはいない。
626175R ◆124Svdx/a. :03/06/25 14:10 ID:Nq5l2165
>>625
君は誰だ?
米子氏以外の方が横から入って来たのか?
このスレでは、特定の人以外のスレには返事が来ないと思った方がいい。

公式参拝でなくとも、玉串料を払う以上は「参拝」自体が違憲となっているのだ。
まさか、公式参拝を、玉串料も払わず、神社の境内で手を合わせるだけで
済まされると思っていないでしょうね?顕花もせずに。(顕花の代金は玉串料と性質は同じだろう?)
社会通念を無視した意見だと思われますが。
実際、靖国神社に参拝すると言った場合、社会通念上、何をすることを意味するか、
話をすりかえずに、考えてくれないか?
玉串料なしで参拝できるというのは、「詭弁」だと思われる。
それこそ、
>戦後の歴史を無視した議論は、非現実的である
から。
627名無しかましてよかですか?:03/06/25 14:28 ID:9EWMaz8O
>>619
> 靖国神社を準公的施設とする発想やそこに公式参拝する発想は、
>国家自体が慰霊・追悼の主体となるからまずいのだ。

靖国神社と遺族が主体となって慰霊追悼をして、そこに客体の政府代表が参加しているのだろう。
靖国はいち宗教法人なのだか。

一般の葬儀にたとえると、喪主が遺族であり、葬儀に参列して焼香するのが、
政府代表の総理大臣だ、故人とは雇用関係が有った会社の社長の立場だ。

会社から金銭的な補償があっても、誰も焼香に会社から来ないなんてことはない。
会社から代表者が焼香して、香典を出すものだ。
政府の公式参拝も同じような意味と思う。いけないことか?
628名無しかましてよかですか?:03/06/25 14:31 ID:cfQ3OBvN
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629175R ◆124Svdx/a. :03/06/25 14:50 ID:Nq5l2165
>>627 横レスですまんが。非常に気になった。
>一般の葬儀にたとえると、喪主が遺族であり、葬儀に参列して焼香するのが、
>政府代表の総理大臣だ、故人とは雇用関係が有った会社の社長の立場だ。
>会社から金銭的な補償があっても、誰も焼香に会社から来ないなんてことはない。
>会社から代表者が焼香して、香典を出すものだ。
>政府の公式参拝も同じような意味と思う。いけないことか?

だからといって、会社の関係者は「葬儀」や「通夜」には来るが、毎年毎年、
命日に参拝しないし、個人宅の法事に焼香には来ないけど・・・
まして、社長にそんな義務を課すのは、あまりにも酷とは思わんか?
労働法や労災に引っ掛けての議論は無理だ。
630625:03/06/25 14:52 ID:9EWMaz8O
>>626
最近名前つけるのやめてます。(キムコ)
判決内容についてですが、繰り替えしますが、そのような判決では有りません。

あなたのような、理解の仕方をする人もいるでしょうが、判決は言及していません。

公式参拝が違憲であるとの発言はありません。言っていない事を言ったというのは、
誤解を招く発言です。
事実を指摘したつもりです。
話のすり替えとはなんのことですか?何も論じていません。
私の指摘は正しいと思いますが、違っているというのですか?
631175R ◆124Svdx/a. :03/06/25 15:11 ID:Nq5l2165
>>630
誰に対する違憲かにもよるが、これは米子氏に対する横レスに対する返事。
誰が返事をするのが正当なのか考えて欲しい。
匿名で投稿するからには、他人と勘違いされることも覚悟の上と思われるが。

だから、玉串料に対しての判例でしょ?
靖国神社の「公式参拝」についてはどうなのか?
きちんと順序だてて考えてみてはどうか?
玉串料抜きで公式参拝を出来るものなのか?
では、「玉串料を払った」「公式参拝」は合憲たることが可能なのか?
順繰りに考えてみてもらえないか?
単に判例の字面だけを眺めるのも結構だが、今論じていること(公式参拝)が
その判例に当てはめたら、どういう結論をだされるのか、察してみてもいいのではないか?
君のご指摘もごもっともだが、論じている内容の大筋を考えて発言されてはどうか?
632625:03/06/25 15:13 ID:9EWMaz8O
組織(国家)に多大な貢献をした人物ならば、組織として代表が認めれば、
仏前に花輪や香典を送る事はよくあることだ。
創業者の墓前に毎年のように墓参する社長もいるぞ。
組織の構成員の一体感を保つ為にもよくあることだ。

633175R ◆124Svdx/a. :03/06/25 15:16 ID:Nq5l2165
>>630
では、こちらの判決はどうか?
「内閣総理大臣の靖国神社公式参拝」(大阪高裁判決平4・7・30 判事1434号 38項、判タ789号 94項)
靖国神社は、宗教法人であり又神道儀式に則った祭祀を行う宗教団体である。国の機関である公務員が、国の機関として、靖国神社を参拝することは、目的、方法等によっては憲法20条3項所定の宗教活動に当たる。

1.中曽根氏が行った、公式参拝の目的は、靖国神社ひいては神道を、援助、助長、促進をすることを主目的にしたものではない。公式参拝の目的、その方法等から宗教活動には該当しない。
2.公費から3万円を支出して行った本件公式参拝は、憲法20条3項、89条に違反する疑いがあるというべきである。
3.公式参拝が憲法に違反するとしても、「法律上の、保護された具体的な権利ないし法益の侵害を受けないし、又、慰謝料をもって救済すぺき被害を被ったこともない」
公式参拝「自体」には、「違憲性が高い」との判決も出ているようだが?
634175R ◆124Svdx/a. :03/06/25 15:27 ID:Nq5l2165
>>632
>創業者の墓前に毎年のように墓参する社長もいるぞ。
>組織の構成員の一体感を保つ為にもよくあることだ。
だからといって、「義務」で行っている人などいない。
そんなのは、遺族にとっても迷惑であり、会社にとっても無駄そのもの。
大切なのは、墓参りする気持ち。いつまでも「仲間」と思えるかどうかではないのか?
組織の一員として、認めている場合はあろうが。

君の意見のおかしいのは、単に「国に雇われて死んだ」から、「国の代表たる総理大臣(?)」
が、参拝し、慰霊をする「義務」があると言ったところである。
「義務」や「義理」で慰霊されるくらいなら、不要であろう。
本当に、遺族に対する思いがあって参拝するのならば、自費で私的に参拝するであろう。
何も、代表者が義務付けられてすることではない。

以前に書いたが。
例えば福田官房長官(あくまで例えだ)のように、総理の椅子が近い人(かどうか知らんが)
は、総理になる前から毎年私的に靖国を参拝していればいいのではないか?
そうすれば、彼が総理になってから、靖国を参拝したとしても、何の不思議もない。
総理になって、急に参拝するから、あちこちから叩かれるのだ。
下敷きになる「心」がないと見透かされるからではないのか?
私は、君とは全然、参拝に対する思いが違う。
ただ、「形式的に」参拝することには、何の意味も感じられない。
まして、法制化したりして「参拝を義務付ける」など、意味が無い。

635625:03/06/25 15:47 ID:9EWMaz8O
>>631
政府見解は玉ぐし料抜きなら、百パーセント合憲と判断している。
献花のための御花代として支払って参拝している。
これでも公式参拝であり合憲であるとの判断です。

裁判は違憲判断をわざと避けているのです。
違憲であると言っていません、そのことを考えたら、
違憲判決が出たと言って欲しくありません。
636175R ◆124Svdx/a. :03/06/25 15:54 ID:Nq5l2165
>>635
>政府見解は玉ぐし料抜きなら、百パーセント合憲と判断している
???
どこにそのような事があるのでしょうか?
私の出した判例の方には、公式参拝自体が意見の疑いがあるとも書かれておりますが。
100%などという言葉を簡単には使わない方がいでしょうね。
数学と違って、「100%の正解」などはありませんから。
>裁判は違憲判断をわざと避けているのです
どの判決でしょうか?
自衛隊の場合は、違憲判決を避けて棄却しておりましたが?
政教分離の方は、厳格な基準を持って判定されているはずですが?
637175R ◆124Svdx/a. :03/06/25 15:59 ID:Nq5l2165
>>635
ついでに書かせていただくが、この「参拝」で、玉串料抜きなら合憲としましょう。
さて、玉串料抜き参拝をしたとして、それが世間一般にいう「参拝」として、
通用するのか?
私は、そちらにも質問しているのだが。
こちらには、答えてもらえないのか?
玉串料を納めない「参拝」が、一般世間の常識でいう「参拝」に当たらない
(普通参拝すれば玉串料は納めるものだ)とするならば、君の言う「合憲」には
全く意味が無くなるのだ。
(嫌な書き方になるが、机上の空論となるのだ)
大問題だと思うがね。
玉串料抜きで「参拝」は成立するのか?(一般常識で考えて欲しい)
638632:03/06/25 16:17 ID:9EWMaz8O
>>634
義務だよ、やらなくてはいけないことだから。

個人的に嫌いなタイプの社員でも、社長としての役職としての義務から、
行動する事があるのだ、個人としての心の問題は別だ。
葬儀など義理や義務でなりたつ代表的なものだ。
故人を直接に知らない人間でも参列する事は多い。
葬儀は共同体の参加者として、義務で参加するものだ。
639175R ◆124Svdx/a. :03/06/25 16:27 ID:Nq5l2165
>>638
君は、「葬儀」について書いている。(私は「毎年の法事」についてかいている)
(なぜならば、毎年の「公式参拝」は「葬儀」ではなく、「法事」に近い内容の行事だからだ)

大企業では、通夜と葬儀に出席して社内で決まった香典を出したら、それで終わりです。
それ以上やっても、家族に恐縮されますし。
葬儀に参列するのは、一般常識として、「当然」のことであり、「義務」ではない。
出たくなければ出なければいいが、「常識人としての良識」は疑われるだろうね。
葬儀に参列することに相当することは、戦争中に「靖国神社に祀られる」時に行われていると思うが?
毎年の「公式参拝」を義務付ける必然性が、どこに出て来るのか?
葬儀ではなく、「毎年の命日の法事」について。
答えて欲しい。会社の社長は、毎年の法事に出ねばならぬか?
私は「義務としては必要ない」と思う。個人の思いからは必要な場合もあろうが・・・
(論旨を良く読み取って欲しい。君の読み方は不十分だ)
640175R ◆124Svdx/a. :03/06/25 16:44 ID:Nq5l2165
>>639
すまんかったな。
過去スレを読み返してみたら、通夜と法事についての行は消していたわい。
私の認識では、
会社:国家
葬儀:靖国への祀
法事への参列:公式参拝
法事への香典(?):玉串料
だと考えている。(無理やり対応させているがね)(用語の誤りは指摘して下さい)
会社が葬儀に参列するのは「当然」として。(義務ではないが)
大日本帝国は、靖国に祀ることで、死者に対しては、儀式を行った。
会社が毎年の法事には、特別の故人への思いがないとしないように、
国も、毎年の公式参拝を「義務として」行う必要は、君の論理では無さそうだね?
労働法や会社の慣習を、無理に靖国神社に適用しようとしても、上手くは当てはまらないよ。
(以前、少し考えて、私は書くのをやめた)


641よなご・あーる ◆H8k.7.Si8. :03/06/25 18:15 ID:usfW7dWy
>>624
私は以前から、高裁の判決は参考にできないといっている。理由も述べている。(繰り返すのは面倒だから、過去のレスを参照の上、疑問や反論があればどうぞ。)
公式参拝を意見とする「違憲」、あっ逆だな、公式参拝を「違憲」とする意見が、判決理由でない部分で触れられたことがあり
その部分に納得できない国が、最高裁判決を受けようとしても、その高裁判決は判決内容が国の全面勝訴だから、最高裁に上げられなかった。
負けた側は、違憲であるという表現を判決で得たから、最高裁に上げず、判決(国の全面勝訴)を確定させたという経緯がある。
このような中途半端な高裁判決は、靖国公式参拝の議論の中で、参考とすることはできない。
また中曽根首相の公式参拝に関しては「憲法違反と断じることはできない。」とあり、違憲判決ではない。
いずれも高裁判決だから、公平にどちらの内容も参考にせず、最高裁の判断である玉ぐし料裁判の判決のみ(その判決で採用されている津の地鎮祭判決を含む)のみによって
「公式参拝自体を違憲判決としたことは、過去一度もない。」といってきたのであって、いまさら、高裁判決を持ち出されても、参考にならないと、繰り返すしかない。
社会通念とは、公式参拝に関する社会通念として意見を構築していが、公式参拝に関する社会通念が政教分離の判断基準であると、最高裁判決は述べていないから
後半の政府を動かす云々は、無関係であろう。
アズマもいっている通り、社会通念上公式参拝が妥当であるという国民のコンセンサスがえら得ようと、政教分離に反していれば公式参拝はできないのであって
政教分離に反するかどうか検討する場合の社会通念とは、その政府の行為と宗教との関連において、
その宗教に加担しているような行為と見るかそうではなく儀礼とか常識的とか言う範囲であるかどうかの切り口で見なければならない。
単純に言うと、行う行為の宗教性に関する社会通念である。
642175R ◆124Svdx/a. :03/06/25 18:31 ID:Nq5l2165
>>641
>社会通念とは、公式参拝に関する社会通念として意見を構築していが、公式参拝に関する社会通念が政教分離の判断基準であると、最高裁判決は述べていないから
>後半の政府を動かす云々は、無関係であろう。
話が摩り替わっているよ。
最高裁がどうこう言ったではなく、戦後から今まで、世論が「靖国神社の公式参拝を
後押しし、願った」という事実がない事を言っていたのだが。
戦後50年も経つのに、大きな運動も起きていない。
実際に、政府を押し切るほど強い願い、多人数の署名が集まるなどしていたら、
大きく変わっていたと思われるが?
国民のコンセンサスを得るのに、60年近く放置しておいたのは、致命傷だろうね。
国民のコンセンサスが得られていれば、政教分離に反しない方法を政府が模索もしよう。
法改正もしよう。何も出来ないと放置することを国民が許すまい?
特定宗教への加担があれば、不可能なことでも、きちんと筋を通せば(加担をなくせば)
何とかなるものではないのか。
単純に、法に触れているだけなのだから。
これが、物理法則に反することなら、永久に不可能だがね。(藁
643よなご・あーる ◆H8k.7.Si8. :03/06/25 19:03 ID:usfW7dWy
>>642
議論の発端の>>622における
>政教分離が、社会通念によって変化するものであるから、
は政教分離を判断する上で、政府が行う行為自体が、宗教とのかかわりの程度が、社会通念上特定の宗教に加担する行為であるとみなされるかどうか
といったことについての変化があるだろうから、ある行為(公式参拝の仕方・・・公式参拝するときの振舞い方)の検討ということで言えば
変化を見極める必要があるのであって、政教分離に反するかどうかの社会通念ということではありません。
一方、>>624で貴殿が上げている社会通念に関する議論は
>戦後からの今日、特に戦没者の慰霊を丁重に行って欲しいという世論が大きく
>政府を動かす事がなかった以上、今更「社会通念」が判決当時と大きく変化が
>あったと考える事自体に無理があるであろう。
公式参拝したときの振舞い方に関する社会通念ではなく、公式参拝に関する社会通念に関して書いてあると思われます。
したがって、話が摩り替わっているのではなく、はじめから社会通念の対象物に関して、違う指摘がされていたということです。
社会通念上公式参拝を行うべきだという社会的・国民的コンセンサスが得られようと、政教分離に反する形なら、私は反対しますし、
コンセンサスが得られなくとも、政教分離に反しない形なら、私は賛成します。
>戦後からの今日、特に戦没者の慰霊を丁重に行って欲しいという世論
に関して、今のとこを私の論旨に無関係です。
644よなご・あーる ◆H8k.7.Si8. :03/06/25 19:28 ID:usfW7dWy
もう一度私の論旨を書き込んでおきます。
玉ぐし料に関する判決は地鎮祭判決の上げた基準をその判決の根拠としています。いわゆる目的効果基準といわれるものである。
政教分離は、国が宗教とに関与しないことにより、実質的に国民の信教の自由を確保する目的を持っている。
しかし、国が(主に政府行政機関が)政策や施策を行う上で宗教と全くかかわらないということは不可能に近い(独裁国家などでは可能だろうが、信教の自由がある国では不可能)
という前提に立ち、かかわり方においてその目的が特定の宗教にプラスであったりマイナスであってはならないことをまず上げている。
しかし、目的がそういうことでなかったとしても、そのかかわりの結果与える効果が、その宗教にとってプラスやマイナスがあってはならないということである。
靖国公式参拝が神道に加担しようという目的がなかったとしても、参拝を行った結果としてその効果が社会通念上、神道を優遇し、あるいはほかの宗教にマイナスであるとみなされれば憲法違反である。
具体的に、金銭などで+があるということであったとしても、地鎮祭(普通、御初穂料として支払う)のように社会通念上儀礼的と認識されている場合は、+の効果があったとはいえないようだ。
しかし、玉ぐし料の場合、神社主催の行事に参加したこと、玉ぐし料が社会通念から言って宗教的な行為に関する支出であることから、憲法違反とされた。
この判決を総合すると、公式参拝はその振舞い方・・・日時、参拝に際しての神官の参加、公的支出の有無・・・総合的に判断して違憲・合憲が判断されるのであるから
社会通念上の変化を見極めながら、また国民に十分に説明しながら行う必要がある。
当然、靖国以外にも国民のコンセンサスを得られる追悼施設はあるわけで、そういったバランスの中で行われなければならないし、終戦後の殉職者についても同様の必要性があり
何がしかの施設の新設も検討して良いと思われる。
ただ、すでに戦後50年以上経過しており、その間、各宗教施設・塔・碑などが公的追悼を担う施設として機能してきたわけだから、
これ否定し、すべてにおいて新たな施設で行うということは、賛成しかねる。
645ぁゃιぃアズマ人@藁:03/06/25 22:26 ID:toPw9Pde
>>622
>この公式参拝の問題は、政府においてそのような権能があるかどうかの議論である。
>政教分離に反することができない、当然であり、言い方をかえれば、政教分離に
>反しない限り可能である。可能であるが、やるかやらないかは、国民の負託を
>受けた政府として判断すればよいのである。

 立法機関による立法行為であれ行政機関の行為であれ、等しく司法による憲法統制
が及ぶわけだろうが。違憲とされる行政機関の処分・事実行為が違憲とされる
疑いがある以上、そのような行為は司法によって憲法違反と判定される罠。
そのような行為は、いくら国民の負託を受けた政府と言えども行うことはできん(藁

>政教分離が、社会通念によって変化するものであるから、その社会通念を見極める
>必要はあるが何がなんでも一切だめということにはならない。

 まず第一に社会通念などといった基準なき基準を違憲合憲の判断基準として持ち出す
こと自体がまったく立憲主義と言うものを理解していない。裁判所の裁判官の判断は
学者等の検証に耐えるものでなければならない。その意味で違憲合憲の判断基準は
なるべき明確化される必要性があるべきで、政教分離の基準において「目的効果基準」
なるものが登場したのも基準の明確化の要請があったからこそだ。しかるに再度
社会通念なる恣意的・ブラックボックス的なものを持ち出すのは逆行であり、みとめ
られん罠(藁
 一定の原理原則に基づく基準を立てた上で、その基準に反するものは一切ダメ
とするのが筋と言うものだ。基準設定が間違いだと言うなら基準設定自体、
基準の前提となる原理原則自体を取り替えるべきであって、基準や原理原則を
曖昧にしたりブラックボックス化することは、立憲主義に反する罠(藁
646ぁゃιぃアズマ人@藁:03/06/25 22:34 ID:toPw9Pde
>>623
>しかし、現実に50年以上そのようになされていない。靖国や様々な追悼碑が、
>そのような公的な追悼を担ってきたではないか。戦後の歴史を無視した議論は、
>非現実的である。

 歴史がどうであれ、国家の守るべき原理原則に反する行為を国に求めること
自体が間違いだ罠。
 国が慰霊・追悼に関してできるのは、あくまで私的に行われる慰霊・追悼行為
の援助である。しかも援助を行うに際しては、政教分離原則とか平等原則を
国は守らなければならない。そのような要件を満たしてはじめて適正な
国と私的慰霊行事との関わりが成立するのだ(藁
 原理原則を無視したおバカな慰霊論を展開しても非現実的である(藁
647ぁゃιぃアズマ人@藁:03/06/25 22:47 ID:toPw9Pde
 よなごたんら参拝肯定派の間違いの始まりは、そもそも私的・感情的行為にすぎない
慰霊と言うものを公的な場に持ち込もうとすることである。死んだ当人や遺族に
とっては、切実な感情問題であるかもしれないが、第三者からみればそれは公的に
解決すべき問題ではない。戦後50年以上たっていることだし、この辺で個人の私情や
感情論で公的な場である国家を捻じ曲げるのはいいかげんにしていただけないものか。
国家を私物化して楽しいのかね君達は?(藁
 国家は、感情論や情緒でうごかされてはならない。冷静な計算のもとで運営されて
こそ初めて、一貫した国家戦略・国家運営というものが成り立つと言うものだ。
国家に感情論とか情緒を持ち込むのは、そのような一貫した冷徹な国家戦略・国家運営
を狂わす阻害要素にすぎない。真の愛国者であるなら、そのような国家的判断を
衆愚であやまらせる恐れのある感情論や情緒に組しないのが当然と言うものだ。
 感情論に組する国家的慰霊行為は、国益に反する国賊どもの主張である!(藁
648ぁゃιぃアズマ人@藁:03/06/25 23:12 ID:toPw9Pde
 しかし、ながながと判例やら目的効果基準について論じているが、そんなこと
論じても意味ないだろ。判例・目的効果基準自体に欠陥があるんだから(藁
 裁判所による違憲判断というものは、国民の合理的検証に耐えるものでなければ
ならない。なぜなら裁判所の判断と言うものは、民主的基盤の上で正統性を受けた
ものではなく、むしろ判断対象である政府や立法機関の方が、民主的意味での正統性が
上回っていると言えるから。そのような非民主的機関である裁判所の判断がかろうじて
正当化される方法としては、国民の検証に耐える判決理由を示すことしかないだろ。
その意味で裁判官は、判決理由中を検証可能な形で明確化するある種の義務がある罠(藁
 そのような判決の明確化・検証可能性ある判決を目指す動きが、戦後の一貫した
憲法学の流れであったわけだし、判例の流れでもあったわけだ。戦後の憲法学の流れは
「公共の福祉」とか「社会通念」と言った非説明的概念・領域を狭め、一定の基準を
機械的に当てはめて、誰にでも予測可能・検証可能な基準を作り上げることにこそ
その意義があったのだ。
 目的効果基準も政教分離をめぐる議論で、そのような判決の明確化の流れの中で
登場した主張であり目的効果基準なるものを使えば、より明確した判決理由が国民に
対して示せると言うものであった。だからこそ、好意的に評価されたわけだろう。
しかるに、目的効果基準を用いつつも、なお「社会通念」と言った基準ならざる
基準を用いると言うのでは、「目的効果基準」を持ち出した意味自体が疑わしいことに
なってしまう。この点で、よなごたんの目的効果論は、極めておかしな主張としか
言えませんな(藁
649名無しかましてよかですか?:03/06/25 23:16 ID:48Yi43Xd
>>621
>普通、人間の「遺体」を街中で見つけたら、パニックになると思いますが。
>君は、それでも「魚の死体」と同じだと思いますか?

パニクッてどうする。
人間の死体があるということは人間を死に至らしめ得る何かが存在するということだ。
その何かが病気なのか捕食動物なのか悪意のある他の人間なのか、急いで正体を突き止めて対策立てなきゃ。
パニクッてる暇ないだろ。
もちろん正体を突き止めるには何が何でも真相を知りたいという強い動機が働かなきゃダメだ。
だから人間は進化の過程で同じ人間の死体を見たら強い不安感を抱き、「ナゼ?、ナゼ?」と考えるようになったんだ。
その方が生きるのに都合が良かったからそうなってただけだ。
「そうなってた」と過去形で書いたのは今では必ずしもそうではないからだ。
昔は死ぬには原因があった。何万年も前はだ。
原因とは疫病とか天敵とか殺人犯とか気を付ければ避けることができる外的原因のことだ。
その頃は死を見つめることは死を避ける方法を教えてくれた。
その後、事情が変わった。
人間は畳の上で天寿を全うするようになった。
寿命が尽きて死ぬ人間を見ても死を避ける方法を学ぶことはできない。
死体を見、強い不安感を抱き、「ナゼ?、ナゼ?」と問いかけても何も得ることができない。
死に対する不安感が無意味になったんだよ。
しかしこの不安感は本能に刻まれちまってるからな。手強いぞ。
答えを得ることが出来ないまま、頭の中で堂々回りを続ける不安感に圧倒されて過労死か?
本末転倒だな。死に対する不安という生きるための道具が死の原因になるのか。
過労死までするドキュソが本当にいるかどうかは知らんが、インチキ宗教家に騙されて財産ばかりか命まで取られる馬鹿は今でも毎年のように出るだろ。
死を恐れ、どうしても答えが欲しくて、嘘八百でも答えがないよりマシと信じてしまった揚句にだ。
死に対する過剰な不安感や死への恐怖は、もはや生きて行く上で邪魔なんだよ。
死を恐がる必要はない。生きるのが好きならそれで十分だ。
だが死への恐怖は進化の過程で身に付いた本能だからな。
最後はDNAの問題だよ。
死を見つめると過労死するようなドキュソは明らかに進化に取り残された劣等人類だろ。
さっさと淘汰されちまえ。(藁
650名無しかましてよかですか?:03/06/25 23:19 ID:48Yi43Xd
>>623
>靖国には多くの戦死者が際しされているのであるから、ほかの追悼対象施設と同様に公式参拝すれば良いといっている。

同じ基準で判断すれば、当然そうなるだろうな。
今後、総理大臣はじめ公人は靖国だけを依怙贔屓するのでなく戦没者を慰霊・追悼・祈念・供養、その他呼び方は色々だろうが御祀りしている他の宗教・世俗団体にも精々顔を出すことだな。
麻原症候やグルを祀る傍ら戦没者も祀っている教団にまで首相が顔を出せば、靖国が病死のテロリストや国際裁判での刑死者も祀っていることぐらい如何に小さなことかアズマや中韓も思い知るだろう。
651名無しかましてよかですか?:03/06/25 23:26 ID:48Yi43Xd
>ぁゃιぃアズマ人@藁

ところで、戦没者用に国立墓地を用意するというのはダメなのか?
地方自治体だって霊園を経営してることろがあるじゃないか。
国立墓地は墓を立てる場所を提供するだけで、どうやって埋葬し、慰霊するかは各遺族の問題だ。
これなら墓地の提供は遺族年金同様経済問題で宗教問題じゃない。
単純に墓地の現物支給だ。
それとも死んだ人を納める御棺の手配も国がするのはダメとか言い出すつもりか?
652ぁゃιぃアズマ人@藁:03/06/25 23:36 ID:toPw9Pde
>>651
 お前さんは、直前のレスも読めんのか? >>646 にも書いているとおり、国が
できるのは私的に行われる慰霊・追悼行為の援助。つまり、私的慰霊行事の援助に
ついてなら、政教分離原則とか平等原則に反しない形であれば許されることになる。
 公園等の国民的リクリエーション施設を作る権限を国に認めて、慰霊・追悼施設を
認めないと言うのでは理窟が立たない。慰霊・追悼施設も広義の意味で国民的
リクリエーション施設と言えるのだから、それを排除する理由はない。国民の多数派
の私的な需要・要望を受け、国がそれを提供すること自体は問題ないだろう。
 ところで、お前さんもいいかげんにHNつけろよ(藁
653名無しかましてよかですか?:03/06/25 23:55 ID:48Yi43Xd
>>652

煽ればもっと過激なこと(棺桶もダメとか)言い出すかと思ったのに、意外と常識人なんだね。

ということで、煽りそこなってゴメン。
654うよだが、:03/06/26 00:34 ID:oHL5CHFY
>>465 レスが遅くなってスミマソ。
>長州藩兵に日本政府から御所襲撃の命令が出たのは何時?

そんなものは出てなかったと思うが、ただ襲撃した事で朝敵されたのは無効になったということ。

>東條あたりも箔がつくとは思えんが。

東条はハクをつける為に奉ったわけじゃなかろう。
確か戦犯を合祀する時に、紛れこんだんじゃなかったか?

>書いた本人にもどれが主語でどれが述語か分からないような文ならメンドクサイだろ。

自分では読めるからメンドクサイんだよ。
面倒だから一番最初が主語、次が述語でいいや、今見たら色々違うが、違いが分かるのなら読めない事はないだろうし。
分からないのなら、なにを言っても無駄だろうし。

>ところで靖国教にとって英霊も使い捨ての道具なのかどうかはどうなった?

宗教なんて、そんなものでしょ、所詮信者の道具。そしてそうあるべきだよ。
生者の為に宗教とはあるべきもので、神や死者の為に信者があるべきではないかと。
まあ、俺の個人的な見解だがね。
655うよだが、:03/06/26 00:38 ID:oHL5CHFY
>>466
>日照りが続くと「オンモはお日様が出てて恐い」と子供が外遊びしなくなるのか?(藁

畏怖し崇め奉るようになるね。

>イスラムは偶像崇拝を禁止しているってことくらいは常識だと思うが?

だからあってるだろ、対象物が見えるキリスト教も、見えないイスラム教も、
どちらも世界的に広まり成功している、視覚的な影響は小さくないが、
見えること、見えないことそれぞれが、大きな影響を与えているんだからな。


656うよだが、:03/06/26 00:49 ID:oHL5CHFY
>>467
戦没者をメインで奉っているか、その他をメインで奉っていて、ついでに奉ってあるかでいいんじゃない?
戦没者メインで規模がある程度(まあここは時の政府の判断で)だけを参拝してればいいかと。
祭司が政府の仕事じゃないしね。

天皇にでも休み無しで、参拝させとくとかどうかな?
あいつら行ってないらしいが、本人の意思は無視するという事いいかと。

ま、宗教論争は大歓迎だね、世論が盛りあがるのはいいことだ。
俺の希望と反対になったとしても、議論された結果なら諦めがつく。
657うよだが、:03/06/26 01:11 ID:rVzz27Rr
>>468
>その後「の」行為の正当化か?その後「に」行為の正当化か?

すまん「の」が抜けてた。

>その通りだ。しかし新政府側も同床異夢でどっちが先に足並みが乱れるかなんてギャンブルみたいなもんだったからな。

いや、薩長土肥芸以外は、殆ど兵士を送ってないから大勢には影響ないかと。
確か一藩数十人から数百人程度、少ない藩(一万石はあったかと)は七人とかいう人を舐めた数字が記録されてますから。
ちなみに長州は一万〜二万(途中で増えている為実数は未だに正確には分かっていないが、
購入した鉄砲や小隊の数でだいたい最終的に二万弱程度だとされている。
薩摩は七千以上、土佐や肥前安芸なども数千規模。(艦船などは六割が薩摩だったかと)
正直薩長が仲たがいしない限り、負ける事はないかと。
薩長はこの上なく仲が悪いが、馬鹿じゃないので、敵を前にして分裂は流石にしないでしょ。

河井も数十人送って、誤魔化しとけばよかったのにねえ。
尾張藩のように親幕府派の重臣数十人切腹させてまで、態度を明かにした例をみると、
どうも彼の不手際が目立つよ。
658うよだが、:03/06/26 01:44 ID:ofv08D7d
>>469
>>このくらいでOKなら、どのくらいでダメになるんだ?

特定宗教団体に公的に公費で参拝するくらい。
日本以外の国では、このあたりは合法と取られてますね。
完全な分離というか、ある意味一つの宗教を強制しているのは共産国家ぐらいかな?


>そういうキリスト教のドキュソ振りを知ってて利用したのか、知らずに利用したのか。

そこまでは知らないな、だが大友氏とくに宗麟にとって寺社勢力が非常に邪魔だったのは事実。
そしてキリスト教というか貿易が、大友氏に莫大な金を与え、北九州を席巻したのも事実なんだよ。
俺としては宗教団体と若い頃は大きな力を持っていたから仲良くしていたが、
新たな莫大な力(貿易)が入ったので、そちらに乗り換えたと思ってる。
だが学者や史家によって意見が違うから、よく分からん。
一つしか理由がないということもないから、全て正しく、比率の問題でしかないのだろう。

信長と宗麟の違いは、彼の場合宗教ではなく、信者というか一向勢力門徒の勢力の打倒を目的としていたから、
宗教物の破壊はあまりしてない所だろうね。
その代り宗麟は、信者の迫害はあまり行っていない、あくまで信仰の対象の駆逐。

>そうだな、むしろ靖国は政治団体かもな。戦没者の慰霊より政治的主張が大事?

宗教を利用して、政治に口を出すなら、むしろ処罰されるべきかと。

>そうなると祀るべき日本政府軍兵士がまだ存在しないはずだが。

だからその頃は、薩長の私的な祭祀だったと思われ。
日本を統一し、明治10年頃から法的に整備されたと記憶しているが、違ったかな?
659175R ◆124Svdx/a. :03/06/26 09:19 ID:l+xJy1Hu
>>644
>この判決を総合すると、公式参拝はその振舞い方・・・日時、参拝に際しての神官の参加、公的支出の有無・・・
>総合的に判断して違憲・合憲が判断されるのであるから
>社会通念上の変化を見極めながら、また国民に十分に説明しながら行う必要がある。

この判例が出て以降に「社会通念上の変化」があれば、であろう。
この間に靖国神社を含めて、戦没者に対する慰霊等を強く求める運動や署名の存在があったか。
靖国神社に対する一般人の印象として、大きな変化があったか。
戦没者に対する慰霊に対する要求について、大きな変化があったか。
この辺を、終戦直後から60年経った現在について考慮する必要があるだろう。

判決が出たのは、そんなに古い話ではないから、その間に大きな変化があったとも思えない。
つまり、この判決については、大きな過誤でもなかったとすれば、現在も妥当であると推定できる。
社会通念上の変化は、国民には説明しようがあるまい?
それとも、判例の内容自体に、疑問を持たれていらっしゃるのですか?
660175R ◆124Svdx/a. :03/06/26 09:20 ID:l+xJy1Hu
>>644
>当然、靖国以外にも国民のコンセンサスを得られる追悼施設はあるわけで、そういったバランスの中で行われなけ
>ればならないし、終戦後の殉職者についても同様の必要性があり
>何がしかの施設の新設も検討して良いと思われる。
>ただ、すでに戦後50年以上経過しており、その間、各宗教施設・塔・碑などが公的追悼を担う施設として機能して
>きたわけだから、
>これ否定し、すべてにおいて新たな施設で行うということは、賛成しかねる

これは、私が書いていた「コンセンサス」とは違う。
こちらに対してコメントをするとすれば。
戦後50年以上に渡って、靖国を取り壊すこともなく、機能を移転する等の措置も講じられず、
今まで「戦没者追悼の施設」として、国民にも認められてきたわけであり。
今更、他の施設に代替する等の方法は、遺族にも、国民にも納得されることはあるまい。

ついでに言えば、靖国問題が大きく取り上げられる機会でもなければ、他の施設の建設の是非に
対して、あらためて国民のコンセンサスを問う「必要性」は乏しく、新しい追悼施設を
国立で建設する等の同意は得られ難いであろう。
予算も必要なわけで、大きな世論の高まりでもない限り、このような議論自体が無意味であろう。
この話題に対して話が及ぶ場合、この板自体の「意義」に対して疑問を感じざるを得ない。

661175R ◆124Svdx/a. :03/06/26 09:30 ID:l+xJy1Hu
>>649
>パニクッてどうする。
>人間の死体があるということは人間を死に至らしめ得る何かが存在するということだ。
>その何かが病気なのか捕食動物なのか悪意のある他の人間なのか、急いで正体を突き止めて対策立てなきゃ
君に出来るのか?
実際、人一人死んで、その遺体が転がっていたりして、冷静でいられるだろうか?
自分ひとりが冷静でも、周りは動揺する。人だかりは出来る。必ず出来る。
原因追求は警察がする。私たちが遺体に触ってはならない。(証拠を消すと重罪だ)
>死に対する不安感が無意味になったんだよ。
>しかしこの不安感は本能に刻まれちまってるからな。手強いぞ
そんなことはない。人間には潜在意識(無意識)があるが。
これは、日本人として生まれた以上、親からの遺伝として受け継いでいる。
そう簡単に変わるものではない。まして、数百年程度の間に大きく変化するとは思えない。
(遺伝として受け継ぐからだ)
>最後はDNAの問題だよ。
>死を見つめると過労死するようなドキュソは明らかに進化に取り残された劣等人類だろ。
>さっさと淘汰されちまえ。(藁
たとえ君の意見が正しかったにせよ。DNAも遺伝により伝わるものである以上、
子孫を残す限りは淘汰されないのだ。(50%の確率で子孫に受け継がれる)
つまり、子孫を残す以上、数十年程度の短期間で淘汰されることはありえない。
思っているほど、簡単には変化しないし、淘汰もされないのだ。
数万年のスパンで考えれば、どんどん変わるがね。
キリストが生まれてからも、2000年しか経っていないんだよ。(藁
そんなに、人間は(ハード的には)変化していないと言うことだ。
662よなご・あーる ◆H8k.7.Si8. :03/06/26 09:35 ID:0+IfU1ek
>アズマタン
結局君は、靖国玉ぐし料違憲判決をもってしても、私の公式参拝はできるという論理を納得したからこそ
その違憲判決の理由たる、目的効果基準の不当性を訴えていると見ることができる。
ということで、貴殿との議論は、判決以前の議論として、国家と宗教のかかわりがどうあるべきかの議論に移ったとみなし
以降、その議論を行なう。手始めに
まず、貴殿は私学補助に関してはあってよいという考えを示していた。宗教団体がらみの私学補助であっても、
目的が宗教の優遇などではなく、その効果が、他の学校と平等であるという場合、私学補助は認められるとしている。
>>518
>基本的に国家は、宗教団体を一般団体としてならともかく、宗教団体として関与
>することは許されない。宗教団体を他の一般団体と平等に取り扱う助成行為の
>判定基準として目的効果基準を使うなら意味があるが、
とあるから、目的効果基準は、宗教がらみでない政府の行為(私学補助という行為)などにおいて使うべきであるとしている。
という事は、少し複雑になるが、政府の行為の目的が、特定の宗教団体を優遇するなどの目的がなかったとしても、
行為自体に宗教性を帯びている場合は憲法違反になるという判断である。
この論理からすれば、当然に政府主催の全国戦没者追悼式も違憲であるし、アーリントン墓地の前での首相の献花も違憲である。
東南アジアを歴訪される陛下が、様々な戦争における被害者追悼のために献花される事も、違憲となる。
無理じゃないの、そういった行政府のあり方は。
663175R ◆124Svdx/a. :03/06/26 09:49 ID:l+xJy1Hu
>>662
無理なのは、君の憲法解釈の方だろう?
もう一回、きちんと整理されてはどうか?
>目的効果基準は、宗教がらみでない政府の行為(私学補助という行為)などにおいて使うべきであるとしている。
>という事は、少し複雑になるが、政府の行為の目的が、特定の宗教団体を優遇するなどの目的がなかったとしても、
>行為自体に宗教性を帯びている場合は憲法違反になるという判断である。
>この論理からすれば、当然に政府主催の全国戦没者追悼式も違憲であるし、アーリントン墓地の前での首相の献花も違憲である。
>東南アジアを歴訪される陛下が、様々な戦争における被害者追悼のために献花される事も、違憲となる
>>644で述べた
>靖国公式参拝が神道に加担しようという目的がなかったとしても、参拝を行った結果としてその効果が社会通念上、神道を優遇し、あるいはほかの宗教にマイナスであるとみなされれば憲法違反である。
>具体的に、金銭などで+があるということであったとしても、地鎮祭(普通、御初穂料として支払う)のように社会通念上儀礼的と認識されている場合は、+の効果があったとはいえないようだ。
>しかし、玉ぐし料の場合、神社主催の行事に参加したこと、玉ぐし料が社会通念から言って宗教的な行為に関する支出であることから、憲法違反とされた。
について、整合性が感じられない。
意見に変遷があると思われるが?
664よなご・あーる ◆H8k.7.Si8. :03/06/26 10:03 ID:0+IfU1ek
665よなご・あーる ◆H8k.7.Si8. :03/06/26 10:04 ID:0+IfU1ek
>>663
アズマの意見から導き出された事と、私の意見に整合性がないのは当然である。
666175R ◆124Svdx/a. :03/06/26 10:13 ID:l+xJy1Hu
>>665
というか、極端すぎるんだよ。君の読み方は。
一かゼロかっていう読み方をする癖があるようだが?
アズマ氏が、宗教性のない参拝を否定されたとでも?
首相の顕花や天皇陛下が顕花するのも違憲になると書いておりますか?
っていうか、地鎮祭、玉串の二つの判例を知っている人であるなら、なぜに、
このような行為が違憲だと判定されると言ったなどと言うのだろうか?
他人の意見は、きちんと確認してから「無理がある」とかコメントしては?
論理を君に展開してもらう必要がどこにあるというのか?
>無理じゃないの、そういった行政府のあり方は
っていう、君の論理の展開法にこそ、問題あり。
詭弁ではないのか?
667175R ◆124Svdx/a. :03/06/26 10:17 ID:l+xJy1Hu
>>666
というか、ここでは、私が自分で書きもしない意見を「私の自論」として
他人に結論まで展開され、しかも議題として提供されてしまうのだろうか?
この論理の展開には、無理があるのではないのか?
まず、相手に「君の意見は、こう私には考えられるが、間違いは無いか」
位の確認を取るべきではないのだろうか?
相手が全く誤解していた場合、例えばアズマ氏は17時頃まで来ないから、
その間は「欠席裁判」として、論理が他人によって展開されてしまうのでは?
議論の仕方に問題があると思いませんか?
私は、間違っていると思うが。
668名無しかましてよかですか?:03/06/26 10:43 ID:A3ayutde
>>660
>戦後50年以上に渡って、靖国を取り壊すこともなく、機能を移転する等の措置も講じられず、
>今まで「戦没者追悼の施設」として、国民にも認められてきたわけであり。
>今更、他の施設に代替する等の方法は、遺族にも、国民にも納得されることはあるまい。
宗教法人化する事で靖国は戦前の靖国とは違ったものになり、「公的な戦没者追悼の施設」と
しての役割は失われている。国民が認めていたのは、一宗教団体として私的に戦没者を追悼する
事だけだ。現に政府主催の全国戦没者追悼式典は毎年靖国とは無関係に日本武道館で行われて
いる。これこそが国民のコンセンサスだ。
宗教法人化した時から靖国は私的な一宗教団体の追悼施設になっており、そもそも公的追悼施設
の資格が無い。他の施設に代替も何も無い。今の靖国を公的なものと捉える、あるいは公的なもの
にしようと言う発想自体が不見識で不適切なのだ。

>ついでに言えば、靖国問題が大きく取り上げられる機会でもなければ、他の施設の建設の是非に
>対して、あらためて国民のコンセンサスを問う「必要性」は乏しく、新しい追悼施設を
>国立で建設する等の同意は得られ難いであろう。
これらには、戦前の靖国みたいなものに煽られるのはコリゴリだ、もう日本は戦争をしないんだから
不要だろう、と言う終戦直後の風潮や、順応性の高い国民性が公的追悼施設が無い事に慣れてしまって、
日本人にとって戦前の靖国に代わる公的追悼施設など必要でなかったと言うのが現実と思われる。
靖国があるから事足りるのではなく、毎年式典は武道館でやっている事でもあるし、別に永久設置された
公的追悼施設など必要ないと言うか、無くても問題無いと言うのが、実際の国民のコンセンサスだろう。
669175R ◆124Svdx/a. :03/06/26 10:58 ID:l+xJy1Hu
>>668
勝手に君の意見(自論)を「国民のコンセンサス」にしないで欲しい。
国民の意思と無関係に(知らない人の方が多い)行われている、武道館の
式典などに、国民のコンセンサスなどありえない。
だいたい、いつやっているのだ?NHK等で中継されているのか?
それは、何人の人が見ているのだ?
そんな、ごく少数の国民だけのコンセンサスなど無効だ。
>日本人にとって戦前の靖国に代わる公的追悼施設など必要でなかったと言うのが現実と思われる
むしろ、戦後の記憶が薄れるにつれ(時間が経つにつれ)どんどん忘れられていったと思う。
公的追悼施設のことなど、議論される間もなく、日常の生活に終われていった。
日本人は基本的に無宗教でもあり、こういう議論をすることを好まない、望まない。
つまり、議論などされないまま放置され、60年が過ぎようとしている。
結論だけは、君と同じで(藁
>靖国があるから事足りるのではなく、毎年式典は武道館でやっている事でもあるし、別に永久設置された
>公的追悼施設など必要ないと言うか、無くても問題無いと言うのが、実際の国民のコンセンサスだろう。
というのが実情であろう。
新しい施設を作りたい世論が、今後何かをきっかけに(第三次世界大戦?)盛り上がれば、
その時は、検討もありえようが、それまではないと思われる。
670175R ◆124Svdx/a.
>>669
について、多少の修正
>靖国があるから事足りるのではなく、毎年式典は武道館でやっている事でもあるし、別に永久設置された
を、
>靖国があるから事足りるのではなく、別に永久設置された
に修正致します。
式典を武道館でやってるかどうかは、国民の多数は知らないでしょうから。