靖国神社を糾弾する3 ←藁

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911よなご・あーる ◆H8k.7.Si8.
>>900
いや、それ以上の話になると天皇の意義にまで広がるから、よしておくが、
公共心の発露が、「公務員たる、軍人・自衛官・警察官・消防士・看護婦や医師」という、国家に不可欠な役割を担わせるのだろうということ。
一国民のわれわれは、そういった公共心を発露するだけの能力を保持した人たちの中で、それを自らの経済原理に基づいた私的利益追求に使途せず
公的に使途した人たちに敬意を表するとか、そのために亡くなった方を追悼するということを行なわなければ、公共心の発露を、何によって動機付けできるのかということになり、
国家として絶対的に必要な、そういった仕事を担う人がいなくなりはしないか?と、云っているわけだ。
いなくなったら、国家は機能しないだろう。

歴史は動かせないから、靖国は靖国であっていいわけだよ。感情的に靖国以外ではいやだということに、共感できるだろう。
死んだ人の気持ち(実はそう思っている遺族の感情)は変化させられない。
信教の自由とか政教分離よりも、そういった公共心に敬意を払うとか、追悼する必要性のほうが、われわれの住む国にとって重要なんだから。
うまくバランスをとりながら、やっていくしかないわけで、戦前の約束は約束として、国も守ればいいし、それは特殊事情で許される範囲だろうと思うよ。
かたくなな政教分離は、国を危うくするということだよ。