靖国神社を糾弾する3 ←藁

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868名無しかましてよかですか?
私にいわせれば、靖国神社は神道系新興宗教である。無論、国家神道の
有力神社であったから、新興宗教という言い方はしないのが普通である。
しかし、神道の長い歴史のなかでは新参者であり、天理教・金光教・大
本教など神道系新興宗教とどんぐりの背比べである。
1879年に東京招魂社が改称して靖国神社となった。運営の主導権は財政
を担った陸軍省が持ち、内務省は神官の人事に関する権限のみを持った。
祭主には祭典の主催に応じて陸・海軍武官が任命された。天皇の弔祭をう
け、70余におよぶ行啓幸がなされた。ところが戦後、(ごく初期を除き)
天皇は全く靖国を訪れていない。新興宗教の流行り廃りは激しいのである。
869名無しかましてよかですか?:03/05/25 03:53 ID:2y7VMYCT
もともと神道は、日本の土着の習俗に根ざした曖昧なものであり、いわ
ゆる創唱宗教のように教祖・教団・教義がはっきりしなかった。中身が
空洞ということである。理論書もあるが、仏教・儒教など外来宗教・思
想を借りて空洞を充填したものだった。神仏習合の系統では本地垂迹説、
両部神道(真言系)、山王神道(天台系)。儒家神道の系統では垂加神道。
神仏隔離の系統では伊勢神道(易、陰陽五行説、老荘思想)、吉田神道(神
道の唯一純粋性を主張したが、中身は儒教・真言密教・老荘思想などか
ら借用)。さらに本居宣長の復古神道。その弟子の平田篤胤ともなると、
カトリック神学の影響さえ含まれている。
では、明治期以降の「国家神道」はどの系譜に属するか。これについて
は、水戸学や平田篤胤の影響が強く、神道としても筋のいいものではな
かった、という人も多い。なお「国家神道」という語は、敗戦後「State
Shinto」の訳として一般的になったもので、それまでの日本では「大
教」「惟神の道」などと言われていた。宗教かといえば宗教ではないよ
うな、相変わらず教義ははっきりしなかった。
870名無しかましてよかですか?:03/05/25 03:55 ID:2y7VMYCT
現人神とされた天皇は、アメリカに負けたくらいで人間になってしまう
ような神だった。1946年のいわゆる「天皇の人間宣言」で、「朕ト爾等
国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル
神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日
本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運
命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ」と、天皇はあっさり臣
民を裏切った。
この証書は、前段で明治天皇の五箇条の御誓文を引用している。昭和天
皇は1977年の記者会見で、「あの宣言の第一の目的は御誓文でした。神
格(否定)とかは二の問題でした。民主主義が輸入のものでないことをし
めす必要が大いにあったと思います」と語った。しかし虚しい弁解とい
うしかない。五箇条の御誓文自体、輸入された啓蒙思想であったし、五
箇条の御誓文の精神が蹂躙されたのは昭和の御世においてであった。民
主主義は輸入品である。この「人間宣言」は、日本国憲法と同様、原文
は英文だった。
871名無しかましてよかですか?:03/05/25 03:57 ID:2y7VMYCT
天皇が人間になってしまうようでは、「戦死者は軍神となって靖国神社
に祭られる」というフィクションも一挙に色褪せてしまった。未来永劫、
戦死者を軍神として祭り、国家が鎮魂するはずだった国家神道。それは、
占領軍の一片の命令により解体されてしまうような、根性なし、中味な
しだった。今さら一宗教として再出発しても、すでに思想的には死んで
いた。
にもかかわらず、政府自民党の一部に靖国神社の応援団が途切れないの
は、これが「金と集票の装置」だからである。戦没者遺族に遺族年金を
広くばら撒く。恩恵を受ける人を組織化した日本遺族会は、自民党の集
票マシーンとなり、強力な圧力団体として政治色を強めた。
靖国神社法案は、靖国神社から宗教性を除去して内閣総理大臣の監督下
に置き、その儀式行事などの業務に必要な経費の一部を国費で負担とす
るという趣旨で、いわゆる国家護持を目指したものだった。日本遺族会
や右翼がプッシュした。国論を二分する中、1974年の衆議院で強行採決
されたが、参議院で廃案となった。
872名無しかましてよかですか?:03/05/25 03:59 ID:2y7VMYCT
時は過ぎ、遺族年金受給者数も先細りである。「金の切れ目が縁の切れ
目」、日本遺族会にも圧力団体としての昔日の勢力はない。やがて日本
にも、非靖国の戦死者慰霊施設が設立されるだろう。他ならぬ日本の首
相が、天皇が、堂々と訪れることができないような靖国神社の使命は終
わるだろう。靖国神社は、国によってつくられ、国によって捨てられた
新興宗教である。今や一宗教にすぎないのだから、イメージチェンジし
て自活する道を模索することになると思われる。