南京大虐殺について徹底討論 その7

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683名無しかましてよかですか?
「東京裁判の影響は原爆の被害より甚大だ」

 パール博士の2度目の来日は、昭和27年の11月である。
 サンフランシスコ講和条約により、この年の4月28日が日本の主権回復の日で、日本のマスコミは、「日本独立」を祝賀して大々的に報道した。
 博士は来日の羽田空港の記者会見で、「独立には、少なくとも次の4条件が具備されねばならぬ。
 (1)国内法の源泉である憲法は自分の手で書くこと。
 (2)自分の国は自分の力で守る体制が整っていること。
 (3)祖先の精霊や国家のために殉じた英霊の祭祀。
 (4)古代からの自国の文化や歴史が正しく子孫に教育され、伝承されていること。
 この4条件である。日本は果たして独立国家と言えるかどうか」と厳しく批判された。
 パール博士によれば日本は独立国家にあらず、“半独立国家”だと言うのである。
 この時から今日まで約半世紀近く経ているが、博士の言うこの“半独立国家”の態度が少しも変わっていないことは残念の極みである。
 パール博士は広島の原爆慰霊碑に献花して黙祷(もくとう)を捧げた。
 その碑に刻まれた文字に目を止められ、通訳のナイル君に何と書いてあるか訊(き)かれた。
『安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから』・・・、博士は2度3度確かめた。
 その意味を理解するにつれ博士の表情は厳しくなった。
 「この《過ちは繰返さぬ》という過ちは誰の行為をさしているのか。勿論(もちろん)、この碑は日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。
それがどんな過ちなのか、私は疑う。
684名無しかましてよかですか?:02/05/16 04:57 ID:aJQ1+HKi
ここに祀(まつ)ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、その原爆を落とした者は日本人でないことは明瞭(めいりょう)である。
落とした者が責任を感じ《2度と再びこの過ちは犯さぬ》と言うなら肯(うなず)ける。
 この過ちがもし太平洋戦争を意味していると言うなら、これまた日本の責任ではない。
その戦争の種は、西欧諸国の東洋侵略のため蒔(ま)いたものであることも明瞭だ。
 さらに、アメリカはABCD包囲陣を作り、日本を経済的に封鎖し、石油禁輸まで行って徴発した上、ハルノートを突きつけてきた。
 アメリカこそ開戦の責任者である」
 このことが新聞に大きく報ぜられ、後日、この碑文の責任者である濱井(はまい)広島市長とパール博士との対談にまで発展した。
 このあと博士は私に「東京裁判の、何もかも日本が悪かったとする日本統治の戦時宣伝のデマゴーグが、
これほどまでに日本人の魂をダメにし、奪(うば)ってしまったとは思わなかった」と慨嘆(がいたん)された。
 そして「東京裁判の影響は原子爆弾の被害よりも甚大だ」と嘆かれた。