976 :
石川達三「裁かれる残虐『南京事件』」:
兵は彼女の下着をも引き裂いた、すると突然彼らの目のまへに白い女のあらはな全身がさらされた、
みごとに肉づいた胸の両側に丸い乳房がぴんと張ってゐた・・・近藤一等兵は腰の短剣を抜いて裸の
女の上にのつそりまたがつた・・・彼は物もいはずに右手の短剣を力かぎりに女の乳房の下に突き立
てた・・・
"生きてゐる兵隊”の一節だ、かうして女をはづかしめ、殺害し、民家のものを掠奪し、等々の暴行
はいたるところで行はれた、入場式におくれて正月私が南京へ着いたとき街上は死屍累々大変なもの
だつた、大きな建物へ一般の中国人数千をおしこめて床へ手榴弾をおき、油を流して火をつけ焦熱地
獄の中で悶死させた
また武装解除した捕虜を練兵場へあつめて機銃の一斉射撃で葬つた、しまひには弾丸を使ふのはもつ
たいないとあつて、揚子江へ長い桟橋を作り、河中へ行くほど低くなるやうにしておいて、この上へ
中国人を行列させ、先頭から順々に日本刀で首を切つて河中へつきおとしたり、逃げ口をふさがれた
黒山のやうな捕虜が戸板や机へつかまつて川を流れて行くのを下流で待ちかまへた駆逐艦が機銃のい
つせい掃射で片ツぱしから殺害した
977 :
名無しかましてよかですか?:02/03/12 22:27 ID:3N0SXa40
戦争中の昂奮から兵隊が無軌道の行動に逸脱するのはありがちのことではあるが、南京の場合はいく
ら何でも無茶だと思つた、三重県から来た片山某といふ従軍僧は読経なんかそツちのけで殺人をして
あるいた、左手に数珠をかけ右手にシャベルを持つて民衆にとびこみ、にげまどふ武器なき支那兵を
たたき殺して歩いた、その数は廿名を下らない、彼の良心はそのことで少しも痛まず部隊長や師団長
のところで自慢話してゐた、支那へさへ行けば簡単に人も殺せるし女も勝手にできるといふ考えが日
本人全体の中に永年培はれてきたのではあるまいか
ただしこれらの虐殺や暴行を松井司令官が知つてゐたかどうかは知らぬ『一般住民でも抵抗するもの
は容赦なく殺してよろしい』といふ命令が首脳部からきたといふ話をきいたことがあるがそれが師団
長からきたものかそれも知らなかつた
何れにせよ南京の大量殺害といふのは実にむごたらしいものだつた、私たちの同胞によつてこのこと
が行はれたことをよく反省し、その根絶のためにこんどの裁判を意義あらしめたいと思ふ
(石川達三「裁かれる残虐『南京事件』」(読売新聞 1946.5.9 所載))