892 :
日本男児@構造と力読解中:02/01/07 17:13 ID:Uy5DFZB6
>>890 おお、名無しさん、復帰しましたか!偶然書き込みが重なったようです。
>「意味地平」を掘り返そうとする試みのように思える。
>それを掘り返すには、合意が得られそうなことを語ってみるしかない。
>日本男児氏が行いたいのは、このレベルで小林の思想の内実を
>検討したい、ということだと思う。
そうですね。現代思想に全く疎い私としてはご指摘の通りです。
自分で分かり、相手も分かりそうな言葉を探りつつ伝えていく、という
事でしか、このスレでは参加出来ない気がしています。
893 :
名無し:02/01/07 17:19 ID:oF9Z4dhJ
上で言い忘れたんだけど、公の範囲について、
小林が「国家と戦争」の中で面白いことを言ってて、ちょっと紹介する。
どう言うものかというと、手元に本がないから間違ってるかもしれないんだけど、
特攻隊について、「彼らは糸をたらした」って言ってるわけ。
で、俺たちも、そして俺たちの後の世代も、その垂らした糸に飛びつかざるを得ない、
そういったものを彼らは残したんだ、と。
これはいわば「問題の射程」と言えると思う。
外人には、その糸は見えないし、それに飛びつきたくなる気も起きない。
その糸は日本人に向かってだけ垂らされている。
で、俺が言いたいのは、公の範囲というのは、そういう「問題の射程」によって
決まるんじゃないかなあ、と。
俺たちは彼らの死について、良くも悪くも考えざるを得ないし、
たぶん、ずっと後もあれこれ言わざるを得ない。
そういった、問題の射程を共有する「アリーナ」、問題ごとに意見を戦わせる舞台、
それが公の範囲だと小林は考えているのではないだろうか。
これはアレントにもつながるかな?
894 :
日本男児@構造と力読解中:02/01/07 17:24 ID:Uy5DFZB6
又、しばらく参加出来なくなりそうなので、私の立場での小林批判をしておきましょう。
特に戦争論2が顕著なんですが、小林はマルクス主義を「悪魔化」し過ぎではないかと
私は感じています。確かに過去の日本でマルクス主義論者が、その時得られていたはずの
情報を隠蔽して例えばソ連・北朝鮮・中国礼賛を行い、言論空間をゆがめた側面があるのは
事実ですが、それはマルクス主義のせいではなく、実践段階での使い方を間違えていた、
というのが真実ではないかと思います。現実からかけ離れた処方箋を提示し続けた歴史は確かに
厳として存在していますが、それでマルクス主義そのものを悪魔化するのはこれこそイデオロギー
ではないかと感じています。
現状分析の一手法としてマルクス主義は極端に切り捨てる必要性は私はないと思っていますので。
この辺りは実は稲垣武著作の「悪魔払いの戦後史」が詳しいのですが、あそこで批判しているのは
マルクス主義そのものというよりは、戦前・戦後から変わらない日本人の行動様式を、進歩的文化人を
ターゲットに浮き彫りにした本です。出来れば小林も同作者の「朝日新聞血風録」ではなく、こちらを読んで欲しかった。
そうすれば描き方も変わったはず。
では仕事中につき、しばらく離れます。
895 :
日本男児@構造と力読解中:02/01/07 17:28 ID:Uy5DFZB6
こちらもコメントします。うう、仕事に悪影響が・・・(笑)。
>>893 >どう言うものかというと、手元に本がないから間違ってるかもしれないんだけど、
>特攻隊について、「彼らは糸をたらした」って言ってるわけ。
>で、俺たちも、そして俺たちの後の世代も、その垂らした糸に飛びつかざるを得ない、
>そういったものを彼らは残したんだ、と。
>これはいわば「問題の射程」と言えると思う。
>外人には、その糸は見えないし、それに飛びつきたくなる気も起きない。
>その糸は日本人に向かってだけ垂らされている。
私も「国家と戦争」は持っておりまして、確かにそういうことをいっていましたし、
解釈も全くその通りだと思います。
基本的にゴー宣は「日本人のために」書いているのだという基本線はしっかり
持った上で読まないと、誤読の原因になろうかと私は最近考えています。
896 :
名無し:02/01/07 18:01 ID:oF9Z4dhJ
>>894 ああ、どうも。ただ、やっぱりあんまり暇がないのは事実。
サヨク、マルクス主義を悪魔化しすぎというのは同意。
あの辺がどうも…。
>国家=悪
国家が本質的に、正当な暴力手段を独占しているもの、とする見解が
あんまり受け入れられていないと思う。
暴力手段というのは、軍隊ばかりでなく警察活動も含めて。
重要なのは、「正当な暴力」という概念があればこそ、はじめて
「犯罪」や「侵略」という概念が成立する余地がある、ということ。
事実前近代においては、犯罪は支配者への軍事的挑戦と区別がつかなかった。
領土内には様々な軍事勢力が存在し、支配者はしばしば挑戦を受け、
それはしばしば成功した。
それどころか、支配者は自分の保有する軍事装置によってしばしば挑戦を受けた。
また住民にとっても山賊やその他の軍事勢力と支配者による軍事活動は
あまり大差なかった。
小林が国民国家ということを重視するのは、「正当な暴力」という概念がないなら、
そもそもどれが侵略でどれが正当な暴力活動かを判定できない、
ということがあると思う。
この辺はみなさんどう思うんだろう?
897 :
日本男児@構造と力読解中:02/01/07 18:13 ID:Uy5DFZB6
>>896 >国家=悪
これは、途中段階ですが、「構造と力」に対する私の印象です。
むしろ、小林の方が、「国家が本質的に、正当な暴力手段を独占しているもの」
という認識が明確な気がしますが。
これは戦争論1の方で述べていますよね。戦争論2でもこの延長で国際関係に
ついて描いていますし。帯では「戦争=悪ではない」と言い切っていますし(笑)。
898 :
日本男児@構造と力読解中:02/01/07 18:24 ID:Uy5DFZB6
>>897 すみません。名無しさんのコメントを明らかに読み間違えていました。
899 :
きゅりお:02/01/07 18:28 ID:1LpptpEV
>>887 ついに誤爆の謝罪はなしかよ。礼儀知らずの奴だな・・・。
「個人」と「人間」の違いは主体の単位の問題だ。言語を話す「個体」としての「個人」に
主体の単位を置くのは<主体の複数性・重層性>誤りだという点を確認したまでだ。
それに対して、主体の単位をカッコに入れた意味での「人間」が実践的な活動をするのは「当
たり前だ」と言う話だ。
900 :
名無し:02/01/07 18:33 ID:oF9Z4dhJ
システムについてなんだけど、誰か
アルベルト・メルッチの『現代に生きるノマド』か、
山之内靖さんの『システム社会の現代的位相』を
読んだ方いらっしゃるかな?
論点としてはそれに近いから、読まれた方がいらっしゃれば
話がはやいんだけど。一応説明を試みる。
かえってややこしくならなければいいんだけど…。
早い話、システムによって苦しむ人が居る場合に、権力という概念を
使うべきだと思う。でなければ、権力のインフレに陥る。
で、特定のシステムへの抵抗は、フーコーが述べたように、
その領域内で絶えず抵抗を行うしかない。
端的に言って、普遍的なシステムへの抵抗というのはあり得ない。
だから、その当事者だけが抵抗する資格を持つと言えばいいかな。
疑問だったのは、何ですべてのシステムを否定なり乗り越えることを
しなくてはいけないのか、それを主張する資格が何故俺たちにあるのか、
それは語り得ぬ者の言葉を代弁してるんじゃないか?というもの。
きゅりお氏に動機を聞いたのはこういうことがある。
901 :
名無し:02/01/07 18:35 ID:oF9Z4dhJ
ただ、俺はシステムを乗り越えるではないにせよ、
その活動を押さえる必要があると思う。
最近問題なのは、システムが俺たちの同意を必要としなくなりつつあると
言うこと。もはや正統化を必要としなくなりつつある。
で、近代のシステムは本来的に自己言及的なもの、つまり、
その活動に外的な基準を参照しないことなんだ。
これは「世界の脱魔術化」「世俗化」によって生じた。
本来的に人間の活動に組み込めない、外在的なものがある、
という確信が消滅したわけだ。
これはアレントの言う世界疎外に近いとか俺は理解してるんだけど、
宮台氏はどう思われるかな?
自然ももはや社会化されてしまった。生殖すら、人間の選択による介入を受けている。
もはや所与のものはない。その意味で、近代は本来的に懐疑に取り付かれた
時代なわけだ。絶えずあらゆるものを問い直し、自身の活動に組み込んでいく。
だから、近代のシステム活動を多少なりとも押さえるには、
絶えざる懐疑を軟着陸させること、着床点を求めることと言える、と思う。
それは前に出たような超越的な感覚、驚きとか怖れとか不安、
そういった感性によってすでに我々の身体レベルに沈殿している
意味の地平を掘り返すような美的な活動が必要になる、と思う。
902 :
きゅりお:02/01/07 18:40 ID:1LpptpEV
>>889 「理論」において、構造主義的な100%の構造化に同意することで、「実践」を
100%「伝統主義化」する戦略のように読めた。
つまり、「生活空間」で受け取った価値観の外側には逃げられないのではないか、
という点。ざっと考えても、「生活空間」を共有しても必ず経済的、文化的な階級が成立する
ことで生活空間内で受け取る価値観はその階級によって編成されることになる。
つまりは、「ある文化内部での成員同士の対話と、異なる文化同士の対話は
程度の差こそあれ、質の異なったものではない」とは言い切れない。
むしろ「異文化の同階級」の方が「同文化の異階級」よりも価値観に類似が
見られるケースもあるだろう。従って、上記伝統主義による「区分け」が成立
するとは言えない。
>>きゅりお氏は、俺にはいまだに真理を客観との一致に求めているように思われる。
そうだね。その傾向はあると思うよ。マルクス主義においては歴史(理論)が真実と
なり、それが源泉となり「実践」の意義がが構成されている。そいういう意味では上
の評価は正しい。
だれど、それが何か?w
903 :
名無し:02/01/07 18:42 ID:oF9Z4dhJ
>>899 ><主体の複数性・重層性>
だから、重なってようがなんだろうが、人間を裏から支配する
原動力を想定しているわけでしょ?
それを構造と言わずに何と言うのか、俺にはよくわからない。
言っておくが、ここで構造というのは、固定的なものではなく、
ポスト構造主義的な時間を挿入されたものも含める。
俺は、人間の意図的な活動にしか原動力を認めない。
しかし、それが意図せざる結果をはらみながら、
関係の中で絡み合いつつ予想もしない形で結果をもたらしていく。
そういうことを言ってる。
この「意図的」というのは、「人間の内部にあらかじめ定まったもの」
じゃないぞ。
俺たちはそのつどその状況に即興的に対応しながら生きている。
その意味で、正確に言えば、「人間の外部の、そのつどの
絶えざる振る舞いの流れの絡み合い」によって、つまり生活の営みによって
人間の行為は媒介されている。
人間は本来的に、世界-内-存在だから。
904 :
きゅりお:02/01/07 18:50 ID:1LpptpEV
>>903 その「構造」を想定していることに、何の問題が?
「意図」しているときに、「意図」させられている一切の力を認めない?
つまり、意図の結果のみに注目して、その因果関係には目をつぶるとうことでは
ないのか?
そんなことが可能か?
歴史-内-存在でしょw
905 :
きゅりお:02/01/07 18:55 ID:1LpptpEV
>>904 マジでわからないんだけど、
「複数の構造が重なり合って次々に生起し、人間の意図を構造化しつつ流れる」
この場合の構造は決して人間以外のものではないだろう。つまりは、構造に流れているのは
「人間の複数性、重層性」そのままではないか、その表象が構造だとすればそのような別のコギトに
陥ることもない。
なぜ、それほど、人間の「単数性」にこだわるのだろうか。
906 :
きゅりお:02/01/07 19:01 ID:1LpptpEV
>>904 >俺は、人間の意図的な活動にしか原動力を認めない。
「無意識」、「前意識」には原動力を認めない?それも、可能か?
907 :
きゅりお:02/01/07 19:05 ID:1LpptpEV
近代国家を仮に悪と置くなら、それは支配的なシステムにおいて官僚組織を
はじめ組織化を必要以上に肥大化してしまったことだろう。
908 :
きゅりお:02/01/07 19:16 ID:1LpptpEV
失礼、トリックが隠れてたね。
「構造」は「力」であって、「意志」ではない。「構造」は背後から人間を
操っているんじゃなくて、人間に対して影響力を不断に投げかけているもの
だろう。つまり、構造自体は何もも「意志」しない。つーことではないの?
909 :
名無し:02/01/07 19:28 ID:oF9Z4dhJ
>>902 >むしろ「異文化の同階級」の方が「同文化の異階級」よりも価値観に類似が
>見られるケースもあるだろう。
その可能性は否定はしないが、それはむしろ実例によって証明されるべきことだろう。
あったとしても、大して変わらない。「それはラッキーなことだ」と俺は思う。
伝統が採択されるのは「すでに多くの合意が成立しているから」。
他の伝統とはこれから試してみるしかない。
それによって多くの合意が得られるかもしれない。
だがそれは実際に試してみるしかない。語る前に結果がわかっている、というのは
ある意味ものすごく形而上学的な考えだ。
ある伝統の境界は絶対的なものではなく程度の違いでしかない。
伝統は内部にも多様で異質な要素を孕みうる。
>マルクス主義においては歴史(理論)が真実と
>なり、それが源泉となり「実践」の意義がが構成されている。
まあ、それはきゅりお氏の好みの問題だから別にいいのだが。
俺には「ある理論が他の理論よりも世界に近い!」といわれても何の事かわからない。
俺が知っているのは、ある概念が、別の概念とどういう関係にあるか、
ということだけだから。
俺たちが行っているのは、すでに知っていることのなかに、
言われたり書かれたりしたものを置きなおしてみることだけだろう。
910 :
きゅりお:02/01/07 19:38 ID:1LpptpEV
>>909 >「それはラッキーなことだ」と俺は思う。
>伝統が採択されるのは「すでに多くの合意が成立しているから」。
階級か、伝統か、か両方とも隘路を含んでいるなら、両方ともが「共通概念」の現状
では、くくり出しに有用なんだろう。
しかし、伝統において「共通概念」が成立する要件に「生産関係」をおけば、両方の差は
消失してしまうと思える。
「理論の深度」は考慮にいれないかw つまりは、いかにイデオロギー性を拭うための超越論
的な批判を経て鍛え上げられているかだろう。マルクス主義の強みは「下から」分析することによって
イデオロギー性をかぶりにくいことだろう。
※一番聞きたいのは、「伝統主義」が日本だけでなく、各国レベルで成立しにくい要因は何なの?
そして、その乗り越えの戦略は?
(小林の戦略はあくまでも射程の限られたものだろう。彼によって日本人が伝統主義に向うとは到底思えない。
その押しとどめられない流れに、危うい杭を一本打ち込んだだけなんだろう?)
911 :
きゅりお:02/01/07 19:40 ID:1LpptpEV
>>911 悪い、飯食いに出かける。いずれにしても興味深い論点をありがとう。
912 :
名無し:02/01/07 19:52 ID:oF9Z4dhJ
>「意図」しているときに、「意図」させられている一切の力を認めない?
>つまり、意図の結果のみに注目して、その因果関係には目をつぶるとうことでは
>ないのか?
その因果関係が何であるか、同定するには俺たちはそれについて「語る」しかない。
「意図的」ということで補足をしておくと、俺たちは、たいてい「前意識」という
レベルで生活をしている。振る舞いが円滑に流れているときには、
明確な目的を抱いて行為するということは滅多にない。
例えば、俺が斧を木に振り下ろしているとき、
「木を切る」「家を作るための木材を加工する」
「斧を振り上げたり下ろしたりする」など、様々な意図がとりとめもなく
付きまとっているだろう。あえて言えば「意図性」とでも言える。
で、もう少し踏み込むと、人間の意識は信念のネットワークだと言うプラグマティズムの
考えを俺は採用している。
生活に慣れ親しんでいるときは、信念の網の目が円滑に流れている。
で、何か信念の網の目にとって疎遠なものが出てきたとき、
俺は前意識レベルから反省的意識のレベルに移り、信念の網の目を組み替えて、
それがうまく流れるようにする。
そうすれば、また俺は生活の円滑な流れの中に帰っていく。
もし、問いが「その反省的な意識はどこから来るのか?」ということなら、
もうその問いは俺の能力をはるかに超えている。
とても答えられない。
913 :
名無し:02/01/07 20:05 ID:oF9Z4dhJ
うーん、俺もよくわからなくなってきた…。
他の人の意見を待とう。
俺にとって構造は媒体であり結果。
そこに介入するのは、マルクスの言葉を借りれば、
形作る火としての労働、人間の実践。
流れの中にあって流れを形作り変えていくもの。
過去を引き受け、それに手を加え、未来へと受け渡す。
914 :
日本男児@構造と力読解中:02/01/07 20:07 ID:Uy5DFZB6
>>907 もし私の「構造と力」で受けた印象が正しいならば、という前提ですが・・・
国家=悪と見なすことで得られる分析の切り口の鋭さは認めますが、そこで止まっては
一種の思考停止ではないかと思います。
国家は単純にイコールで括れるものではなく、やはり私たちの生活を支えてきた
一面はかなり大きい物である以上、その部分の両面をにらみながら批判
するのがより現実に即した見方につながると考えます。
指摘している内容であれば、当然「庶民」も感じています。だから現在小泉内閣の
支持率が高いんじゃないですか?
個人的にはえらい中途半端な印象大ですが、現実に結びつける困難さを
考えると現状ではあれが限界ですかね・・・。
915 :
日本男児@構造と力読解中:02/01/07 20:09 ID:Uy5DFZB6
>>913 現代思想に全く疎い私にもよく分かり、大変勉強になりました。
ありがとうございます。
何とか議論を引き継げるように私も熟慮を重ねることにします。
916 :
名無し:02/01/07 20:20 ID:oF9Z4dhJ
>「伝統主義」が日本だけでなく、各国レベルで成立しにくい要因は何なの?
>そして、その乗り越えの戦略は?
まず第一に、俺たちと別の国の人々の間にあまり合意が成立していないことだろう。
第二に、俺たちがジンバブエ人やウルグアイ人に何かを語りたくなるようなことが
滅多にないということだろう。
それを可能にするためには、さっきも述べたように「問題の射程」が
俺たちや彼らに届くような、そういった問題や話題を提出することだと思う。
声を彼らに届かせるわけだ。
それがどのようなものか、俺には想像もできないが。
第三に、その問題や話題の、俺や彼らの日常生活への近さ、
みたいなものがあると思う。
なんかのイベントでたまたま問題を共有した、というだけではダメだと思う。
こんなところではないかな?
917 :
e:02/01/07 23:45 ID:wFc4wbPa
>>833 ステゴザウルスは自己解説本でしたね。まだ読んでいません。
でもこの話題は板違いなので自粛します。
>>869 >>872 私が
>>831で示した前スレは板がtonサーバーにあった時の物のもののようです。
欠けている部分の時期にtmpサーバーへの移設があったのでしょうか?
>サガ氏 or someone
このスレも900を超えていますし、次スレが立つのでしょうが、立てる方は831を
引用すると最後の方が欠ける事になるかもしれないのでご注意下さい。
引用としては
>>1の方が正しいと思います。次スレの1は両方を引用したほうが
良いかもしれません。
918 :
きゅりお:02/01/08 03:51 ID:hjfiIDPi
>>914 逆に「国家はイイモノ」で思考停止している人もいっぱいいますので、ご注意をw
国家が生活を支えてきた?という感覚は果たして正等でしょうか?
その辺の感覚を「構造と力」で再確認してみてください。
「国家が良いも/悪いもなく暴力装置を独占している」という視点は左派にもごく
一般的なものですよ。別に小林が発見したものでもないでしょうw
919 :
きゅりお:02/01/08 04:14 ID:hjfiIDPi
>>916 ごめん、ごめん、書き方が悪かったたね。
言いたかったのはいろんな国で伝統主義が成立しなくなっているいるということ。
(「トレインスポッティング」のスコットランドのようにねw)
これはなぜか、という問い。
自分なりに推測を入れれば、要するに伝統主義の肝である「連続」よりも「断絶」の
方が強くなる局面があるのではないかということ。(俺たちも「断絶」の世代かもしれ
ないね。「団塊の世代」の観念論は俺たちにはどうしても受け入れられないものだw)
保守主義は、連続ばかりに注目するが、この断絶も正しく評価しないと、世代の価値形成の
プロセスを誤るだろう。
理由はもちろん「生産関係の変化が価値観に映しこんだもの」と考えるのが自然だろう。
さて、理論において「構造化から逃れられるものはない」と分析したことから、構造
(権力、イデオロギー)による「力」を最大限に評価したものだとと部分には疑いは
ないと思う。
920 :
きゅりお:02/01/08 04:16 ID:hjfiIDPi
>>919 続き
しかし、◆◆◆ 「構造は意欲しない」、「構造そのものが主体となるのではない」 ◆◆◆
という点の認識については、残念ながら君のかけた容疑は空振りに終わったのではないかい?
昨日参照してもらった議論は、実践を理論にひきつけて考えること(左派の傾向性)、今回の議論は
理論を実践にひきつけて考えること(右派の傾向性)、どちらも一方を一方の源泉として置こうとすると
大きな矛盾にぶち当たるということがよく分かった。(「構造」は主体となって、人間を操るというのは理論を
実践化して考える場合の基本的な誤謬だろう)
そこから、「意欲」の問題を考えてみることは意義があると思う。しかし、問いたいが、伝統主義において
は伝統における「超越性」を置かなければ「意欲」が成立しない。ここが君の「意欲」の隘路といえる
のではないか?科学的な「超越論的」批判能力の評価が低すぎないか?
それら全部を理解したうえでw、確信犯的に「構造」における「がん細胞」となる「生の志向性」を探っていきたい。
(「構造」自体が意欲する可能性w。おもしろいことに、理系の論者との間ではこの論点は成功しつつある)
921 :
きゅりお:02/01/08 04:20 ID:hjfiIDPi
>>917 アドバイス、感謝。サガさん忙しいみたいだね。
ううん、ステゴサウルスは文庫本版の巻末の書評w
922 :
きゅりお:02/01/08 04:25 ID:hjfiIDPi
>>920 続き
ということで「意欲」の発生論的な検討(抽象化を避けるために)というのは面白いね。
やはり、「世界-内-存在において投企する」という以外にはないのだろうか?
923 :
きゅりお:02/01/08 06:32 ID:hjfiIDPi
さらに、伝統主義の隘路について。
伝統主義が主観の形成の「場」について「国家」を重要視しているということとは
よく分かっている。しかし、先にも指摘したがこの主観形成の場として「国家」は
のっぺりとした分裂なき状況なのだろうか?
伝統主義がとる立場としての文化の境界線。しかし、これはあくまでも異文化とし
ての比較から生じるもので、自律的なものでないことは明らかだろう。
さて、以上を踏まえて、国家内ので価値形成を検証すれば、近代国家という入れ物
内の「生産関係」によって様々な階級が編成されている。この場合の階級とは経済
的なものに限らない。人間が「生きていくため」(人間的な意味で)に有用な価値
を創出する関係の生産について、様々な生産関係は様々な階級を生成する。そして、
近代は技術の多様化によって、このような階級の複雑性を加速度的に拡大させている。
その技術において革新性が生じれば、伝統主義の信じる連続性は危うくなる。
(OA化、ネット化における世代間の断絶性)
このように、価値形成の場としての国家は、連続性、均質性よりも、―「後
期資本主義」以降においては一層―断絶性、分裂性の性格を濃くするものといえる。
しかしながら、伝統主義においてはこのような状態を「人間本来の連続性」を失った
状態として、連続性の回復のために「国家」という入れ物をあてがうのだろう。
※国家が連続性の回復に有用でないことは「近代国家解体の三つの方向性」で指摘した。
924 :
きゅりお:02/01/08 06:54 ID:hjfiIDPi
>>923 続き
伝統主義ではこうして、「国家」という入れ物を連続性への回帰のために提出するが、
残念ながら、入れ物としてのプレゼンスの低下はすでに否めないものになっている。
理由は「近代国家」という組織の肥大化の方向性が、官僚制的な組織運営による人間疎外、
公共心の喪失という形で端的な弊害として現われているからだ。ここに、メディアによって
再び「国家」の称揚を行って、このような断絶、分裂の傾向性を逆向きすることが果たして
可能かどうか、冷静に分析してほしい。私有財産制、つまりは財産を自由に処分できる権利
が女性や子どもまですみずみにまで行き渡ったことで、皮肉なことに国家レベルでの国民の
統一は不可能になったのではないか、また、そのような状況で近代国家の組織の大きさその
ものが「想像的な相互利害関係」を想定することを不可能にしているではないか。
問い掛けてほしいのは、◆◆小林の言う国家の物語性の回復によって、「本当に」現在の断
絶、分裂は回避できるるだろうか。それとも、単に断絶、分裂への警鐘の意味しかないので
はないか◆◆
一方、日本以外でも全く同様にこのような生産関係による役割の編成、断絶、分裂関係が広
がっている。上海では俺と同じような若手の企業家がやはり国家の制約を桎梏と感じているし、
ホーチミンではネットを使ったビジネスで「すき間」を探して一山当てようとしている若者も
多い、チェンマイでは少数民族の援助団体がタイ政府のタイ人優遇政策に異を唱えている。
同じ文化における断絶、分裂。異文化におけるこれらの相同性。俺が海外にいって思うのは、
「俺は日本人だ」と感じるアイデンティティと、「俺は奴らの仲間」と感じるアイデンティティ
の両方だ。双方は矛盾しながら溶け合い、折り重なっている。
「日本」を形成したのはある時代の生産関係の編成による共通の価値観だとするならば、
その生産関係の変化によって当然「日本」も変化しうる。反伝統主義の狙いは、伝統主義の無視
にあるのではなくて、伝統主義の「連続性」の重視によって、見えなくなる「断絶」、「分裂」を
救い出し、それによって異文化との相同性を確保しようという柔軟性であることを、もう一度
再確認していほしい。ということでw
925 :
きゅりお:02/01/08 07:05 ID:hjfiIDPi
>>924 小林の言説は断絶、分裂に対する単なる警鐘に終わってしまうのではないか、という
論点の補足。
つまりは、「戦争論」後も彼らの読者たちは天皇制、安全保障といったような「国家」の
シンボリックな面を「再発見」したものの、実際には「何をしていいのか、全く分かっていない」
状況だろう。つまり、「公共性」の復権、と言われても、「誰に対して公共性」を感じて
いいのか分からず、単にそれまで知的なヘゲモニーを握っていた左派への憎しみをもって自分の
アイデンティティとしているように思える。つまりは言論的な局地戦のみに「公共性」を見出して
いるに過ぎない(この板のようにねw)。
この現象は「断絶、分裂」の回避どころか、むしろ、新たな断絶、分裂を作り出して
固定化しているものに過ぎないのではないか。
切に問いたいが、このような現状で断絶、分裂を回復できるのか。
それとも、断絶、分裂を所与のものとして、家族、仲間などの「小さな公共性」を
網の目のように張り巡らせることで「小さな国家」を連鎖状の連なりとして捉えた方
がベターなのか。(その場合は「緩やかな死」を迎えつつある国家が一時的な網の目の
結節点としての役割を果たすだろう)
どうだろう。
926 :
きゅりお:02/01/08 07:27 ID:hjfiIDPi
>>ALL
ファイルサイズがいっぱいだそうです。新スレどうしよか?w
927 :
日本男児@構造と力読解中:02/01/08 09:52 ID:JRvSeiRG
>>918 全くご指摘の通りですね。暴力装置云々は、基本認識でしょう。
確かに小林オリジナルの指摘ではなく、一般認識としては低かったので取り上げた
という所ではないかと思います。
国家が生活を「全て」支えてきた、という意味ではなく、支えてきた「側面」
もある、という意味で書きました。どっちを全てにしても、そりゃあ思考停止
だと私も思いますよ。
右派とか左派とか関係なく、国の仕組みそのものについては、制度疲労を
起こしているのは皆感じている所じゃないですかね。多分処方箋が違うんでしょう。
私はよく分かりませんが。
928 :
日本男児@構造と力読解中:02/01/08 10:02 ID:JRvSeiRG
忙しいので、後気になった点を一つ挙げておきます。
小林の言説を「伝統主義」と括ってしまうのは、ちょっと違和感があります。
戦争や「森と石清水の文化」等の歴史記述は題材であって、昔に帰れ、
などといってはいませんからね。
悪魔化され、ある意味現代に生きる私たちにとって断絶されている戦前日本
にもこういういい所もあったんだよという「見方」を提示して、現在の我々の生き方
を考えさせるのがメインですから。
又、誰かがいっていた戦争論の歴史記述が「皇国史観じみている」っていう指摘も
当たらないと思いますね。
読み違えて、戦争論の意見について変な活用に仕方をしている読者については私は
知らん(笑)。
929 :
きゅりお:02/01/08 10:08 ID:hjfiIDPi
>>928 この点は前から決着がついていませんね。
>悪魔化され、ある意味現代に生きる私たちにとって断絶されている戦前日本
>にもこういういい所もあったんだよという「見方」を提示して、現在の我々の生き方
>を考えさせるのがメインですから。
この論点を主張するには、国家以外のもののオルタナティブの主張も必要ですよ。
今の論述のバランスでは、伝統主義、国家主義と見られても仕方がない。
何か「国家でないもの」を強く主張したインタビュー、記述がありますか?
僕は今のスタイルではどう好意的にみても免責できないと思いますよ。
※重要なのはインタビュー(つまり、あなたの狙いはと聞かれて答える部分)
にこのような記述があることですね。思いつきますか?
930 :
日本男児@構造と力読解中:02/01/08 13:08 ID:JRvSeiRG
>>929 >※重要なのはインタビュー(つまり、あなたの狙いはと聞かれて答える部分)
>にこのような記述があることですね。思いつきますか?
新ゴー宣のどこかで、戦争論を書くきっかけを述べたインタビュー記事か
何かがあったはず。
正直言いまして、きゅりおさんの類の批判は言論人から相当浴びせられて
いまして、これに対するやりとりを見れば一目瞭然なんですよ。
一番端的なのは、「個と公」論及び「国家と戦争」辺りですね。
うー今日は多忙だ。後は後日。
931 :
きゅりお:02/01/08 13:27 ID:hjfiIDPi
>>930 お疲れですw
ただし、前に出した論点逃れのために「多元主義」を意図的に言論上の
「防御線」にしている感想は否めないでしょう。これに対しての反論が
あればよろしくです。
作者の狙いとしてはインタビューを含め、作品、生い立ちなど多角的な
検討をするのが「テキスト」的アプローチの本旨だと思います。
いずれにしても直ちには決められない。いかがですか、小林のテキスト論的
研究をしてみては?w
参考になる資料がありましたら、よろしく示してください。
左派的な小林の感想から言えば、「何でいまさら国家なんだ?」というのが
率直な気持ちなんですよ。プレゼンスの低下は証明したとおり、別に国家=悪
と単純化しているわけでもない。単に「入れ物」にすぎないものを「道徳化」
することに、民族主義的な臭いを感じ取るのは極めて「真っ当な」反応のように
も思いますよw
「公共性」の復権にいまさら国家を持ち出すのは、コミュニタリアン的な狙いと
してもエキセントリックだと思います。その「説得力のある」説明が十分になさ
れていないというのが、率直な感想です。
932 :
宮台ばつ壱:02/01/08 15:33 ID:aRilIUIC
>>896 >小林が国民国家ということを重視するのは、「正当な暴力」という概念がないなら、
>そもそもどれが侵略でどれが正当な暴力活動かを判定できない、
>ということがあると思う
この指摘も非常に鋭いと思います。承認された暴力概念の喪失が、現代日本人に
正当な暴力/不当な暴力の峻別を誤らせている、その境界を分からなくさせている
と思います。空想平和主義教育は将来、世界に暴力は「無くなる」「無くなるのがのぞましい」
という前提で、刷り込みを図ります。大半のマス媒体もそうです。
結果的に「承認された暴力」さえも無くすのがのぞましいという方向に意識が働くように
なります。この場合の承認された暴力とは、意思と歴史の共有にもと付く共同体成員の秩序保全
装置としての暴力ですが。空想平和教育の溢路が正当な暴力/不当な暴力を国民に
分からなくさせてしまったのを世に示した近年の顕著な例はオウム事件でしょう。
正当な暴力/不当な暴力=迅速な警察権の行使(捜査、逮捕)/信教の自由 人権の尊重
どちらも実は法の執行適用という意味では「暴力」なんですが
あきらかに何が「犯罪」なのか国民が判断に戸惑った事例だと思います。
小林は国家が国民のために何を「解決」しようとしているのかきっちり
判断させたいがために、国民国家を持ち出したんだと思いますね。つまり
国を忌避していては国の「意図」がわからないから。テロにしろ、北朝鮮にしろ
不況にしろ、少なくとも今現在僕には国の意図を知るためにも、国家を相対化
する理由などないですね。国家システムの誤作用を防ぐためにも(笑)
933 :
宮台ばつ壱:02/01/08 16:10 ID:VY+LDcb2
>>932続(名無し氏)
>で、近代のシステムは本来的に自己言及的なもの、つまり、
>その活動に外的な基準を参照しないことなんだ。
近代システム>外的基準の喪失>世界疎外
これは同意ですね。
>人間の意識は信念のネットワークだと言うプラグマティズムの
>考えを俺は採用している。
信念のネットワークという響きが
頭の中にしっくり来たんで、かなり驚きました。
氏のおかげでかなりスレッドが、かなり
興味深くなっています。(時間の合間縫ってまたコメントしまっす)
934 :
きゅりお:02/01/08 16:12 ID:hjfiIDPi
まあ、いずれにしても、
「物理的暴力」と「構造的暴力」の違いをはっきりと認識しないと、
国家の暴力装置を正しく認識できないだろう。
右派には「構造的暴力」の認識があまりにも薄すぎる。
935 :
宮台ばつ壱:02/01/08 16:26 ID:rSG3qTmx
俺右派かね?さしあたり
安全第一 信用第一
っていってんのは右なんだろうか。
936 :
きゅりお:02/01/08 16:28 ID:hjfiIDPi
>>935 引用してない場合は、一般論だと思ってくれw
937 :
日本男児@構造と力読解中:02/01/08 19:12 ID:JRvSeiRG
ちょっと合間を縫って・・・
>>934 >右派には「構造的暴力」の認識があまりにも薄すぎる。
これだけだと、よく分かりませんね。前に挙げた「世界システム論」
みたいなものですか?
それとも国家が恣意的に選ぶ暴力の現象の様な話ですか?
同じ犯罪犯しても処罰が違っているケースみたいな?
938 :
日本男児@構造と力読解中:02/01/08 19:44 ID:JRvSeiRG
>>931 >左派的な小林の感想から言えば、「何でいまさら国家なんだ?」というのが
>率直な気持ちなんですよ。
でも公共心の単位の一つとして国家を置くのは、そんなに変かなあ・・・。
公共心と密接に関係する法律だって、国単位で運用しているし、
とりあえず例外を除いて公共心の初歩を身につける学校教育だって
「国」単位でしょ?これが近々変化するというなら分かるのだけど、全然
その兆候が見られないし、パブリック・マインドが低落しまっくている現状を
考えるととりあえず国を単位とした公共性を検討する価値は(それだけでは
もちろんダメですよ)あるような気がするんですけどね・・・。
>参考になる資料がありましたら、よろしく示してください。
さっきからずっと著名は出しているのですが・・・。
一つに絞れいわれたら、名無しさんも挙げた
「国家と戦争 徹底討議」 飛鳥新社 \1,500 (多分ブックオフには余りおいていない(笑))
ですね。小林・福田和也・西部・佐伯の4名による対談本です。
端的に言って、例えば福田和也が「民族の誇り」とかいっているのを「何じゃそりゃ?」みたいな
言い返し方しているし。そういえばこの対談でドゥルーズ の名前も出てきていましたね。
結構読み応えありますよ
ちなみに私は福田和也は自称右翼といってますが、この対談本を読んだ限り隠れマルクス主義者
と見た(笑)。
939 :
日本男児@構造と力読解中:02/01/08 20:01 ID:JRvSeiRG
>>932 私はゴー宣を巡る現象を見ているうちに、最近こう考えるようになったんですよ。
日本人にとって敗戦って本当に大きな出来事だったんだなって。
その記憶がオウムへの破防法の適用を妨げたり、戦前日本の否定に
「過度」に走ってしまったり、何か振り子が逆に振れすぎてしまったんじゃ
ないかな。
で、小林はこの振りすぎた振り子を真ん中に戻す装置の様な存在かなと
思っているんですよ。それが「空気のこわばりをほぐす」っていう事じゃ
ないのかなって気がし始めています。一方に傾き過ぎるのは小林も望んで
いないでしょう。今のところ少数派なだけで、これがメジャーというか一色に
染まる様な状態になったら又変わるんじゃないかな。
連載中にそこまで行くとは思えないけど(笑)。
さて、仕事に復帰しよう(笑)。
940 :
きゅりお:02/01/08 22:34 ID:hjfiIDPi
>>938 >「国家と戦争 徹底討議」
いや、内容をまとめて示していただくと助かるんですが・・・
■公共心の単位としての国家
>「国」単位でしょ?これが近々変化するというなら分かるのだけど、全然
>その兆候が見られないし
あらあら、では国家のプレゼンス低下の方向性に「具体的に」反論を。
反論はないけど上に同意できない・・・というのは議論になってるの?
■言論としての振り子
漠然と「国家は善いもの」と考えている日本男児さんのような「心情右派」は
国家のイデオロギー装置そのものを「振り子を戻す」ために学ぶ必要があるん
じゃないんですか?w
941 :
日本男児@構造と力読解中:
>>940 >いや、内容をまとめて示していただくと助かるんですが・・・
うーんかなり膨大な情報量ですからね・・・。部分的に取り上げるのは
可能ですが。
>国家のプレゼンス低下の方向性に「具体的に」反論を。
>反論はないけど上に同意できない・・・というのは議論になってるの?
ですからね、方向性は同意ですが、それと現状の日本の無秩序への
処方箋を考えることは矛盾しないと思うんですがね・・・。
日本は安全度格付けも落っこち放しだし、犯罪は増える一方。足下は
見るべきだと思うんですが。
いつそうなるか分からないことに比重を置きすぎる思考もどうかと思いますよ。
今をよくする努力がなければ未来はないでしょ(笑)。それこそ近代国家の安楽死
に手を貸す余裕もなくなりますよ。
>漠然と「国家は善いもの」と考えている日本男児さんのような「心情右派」
ホーントあなたと話していると二元論の片側に人を持っていきたがる人だなー
とつくづく思いますねぇ・・・。
私は悪い面」「いい面」両方を見ないと現実が見えなくなると指摘しているだけなのに・・・。
そういうの誤読だと思いません?国家には私も不満たっぷりですよ(笑)。
でも日本人である限り、真っ正面から向かい合う必要はある。そのためには両面をしっかり
見ないといけないと思いますけど。
いやーそこまであなたがイデオロギー装置とやらがイヤなら日本に住まずに
構造主義者の宝庫であるフランスに移住すればいいのにと思っちゃいますよ。
そこで活躍できれば近代国家の安楽死にも手を貸すことにもなるし。
それが知行一致でしょ?