知の広場〜理性と感性のスーベニア〜

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565きゅりお
>>553 名無しさん
「主体」のベースを「生への志向性」(生物学的な)へ置くことには反対だ。
という点で、非言語的な主体よりも、言語的な主体に期待をしたい・・・。

これが前回の名無しさんの主張だったと思います。いくつか答えは用意して、メモ張に
概念の欠片(かけら、概念としてまとまる前の言語的な閃き)としていろいろ書き付け
ました。この議論で数年停滞していたものが一気に進むのではないかと、一人で勝手に
期待しています(笑)。

さて、その欠片を締めさせていただく前に、名無しさんがおっしゃる「言語的な主体」が
どのようなものか・・・、簡単で結構で見取り図を教えてください。

言語的な主体、つまり、「善く行きよ」という言語的な命題を所与のものとして、
現象面でこの「善く」という部分を解釈し、決断していく・・・。このシステムで
「善く」という価値は如何に保証されているのか。言葉を変えれば、言語的には
善い/悪いの境界線には何があって、何が善いとされているのか、という部分に
ついて示唆していただければと思います。

僕はここにごくシンプルに「生」を置きました。それに対置する意味で何があるのか・・・。
これを聞かないと、夜も眠れません。よろしくお願いいたします(w