311 :
富山中部:
「おれだよ」は雪の降りしきる富山県の山奥で生を受けた。
過疎化の進む田舎での「おれだよ」の誕生は村にとって願っても無い事であり、
村人は「おれだよ」の誕生を村の救世主の誕生として、記念の祭りを開いた。
満一歳にして歩くことを覚え、翌年には片言ながらも言葉を喋るようになった。
「おれだよ」は村人の愛情を一身に背負い、幼年期を過ごした。
六歳になり、「おれだよ」も教育を受けなければならない歳になった。
だが、「おれだよ」の村には学校など存在しなかった。
村人達はなんとか「おれだよ」に教育を与えようと考え、
互いに金を出し合って村から十里離れた小学校に馬で通わせることにした。
学校から帰り九九を暗唱する「おれだよ」を村人達は神童と崇めた。
村人には摩訶不思議に見える足し算・引き算をこなす「おれだよ」を見て、
末は博士か宰相か、と、村人達は思った。
「おれだよ」もまたその幼い身に自分への期待を感じ、そして自分の能力の絶対性を疑わなかった。
思えば、これが悲劇のはじまりであった。
9年間の教育を受けた後、「おれだよ」は村のたくわえを託されて上京した。
まず「おれだよ」をはじめに襲ったのは、都会の目新しさ。
やる事為すことが全て目新しい事で、「おれだよ」は村では絶対に味わえなかった生活に酔いしれた。
そして次に「おれだよ」を襲ったもの。
それは真綿で首を絞める様に残酷な、大いなる挫折であった。
「おれだよ」は数学には自信があった。
九九の暗唱なら誰にも負けない自信があった。
分数の計算では誰にも負けない自信があった。
だが、「おれだよ」は大学の入試試験用紙の前で凍り付いた。
微分・積分、ベクトル、関数・・・・・・。
・・・
「おれだよ」は井の中の蛙だった。
可哀相な事に、その事に気付くのが遅すぎた。
「おれだよ」は村にも戻れず、貧相なアパート暮らしをはじめた。
友人もおらず、やる事と言ったら村の蓄えで買ったパーソナル・コンピュータで一日中インターネット。
・・・
・・・
そして今、「おれだよ」はこのようなくだらないレスを立て続けにつけてしまったが、それは「おれだよ」が悪いわけではないのだ。
全ての元凶は「おれだよ」を襲った盲目的空間と境遇なのである。
だからどうか、「おれだよ」を責めるのだけは止めて欲しい。
「おれだよ」も、哀れな被害者なのだから、、、、、、、。