前期後期制度ってのはなあ、1987年入試から七旧帝と筑波の8大学を東西4大学(北、東北、筑、東大と名、京、阪、九大)に分け
それを軸に全国公立大(公立大一部学部を除く)をA,Bグループとし国公立大を2ど受験できるようにした。つまり東大と京大の併願が可能。
東大はA、京大はBだったが京大法学部だけがAに属し文Tと京法の併願を不可能にした。この制度が4年くらい続いた。
ところが関西の受験生は従来京大思考が強かったのに京大を東大の滑り止めにする傾向が出て
京大は滑り止め大になるのを阻止するために苦肉の策と提案したのが前期後期制度。
前期後期制度が出来てからも受験生は大変だった。大人数の学部学科なら定員を2つに分けられるが
教員養成学部の音楽、技術など少人数定員のところは前期後期制度を適用しなかったし、前期後期制度よりAB制度の方がいいと言ってAB制度の大学もあった。
つまり前期後期制度が出来てからもしばらくは前期後期、A日程、B日程と公立大一部学部のC日程と大混乱だった。
ちなみにオレの知り合いで現役は京理落ち、一浪は理T落ちで二浪の時AB制度で理T・京理を併願し理T落ちて京理に受かった。