現代文総合スレッド Part41

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59大学への名無しさん
現代文の勉強法@


昔の俺は、そもそも問題文が読めない、何を言っているか分からない状態で、
漢字やら評論用語やら、読解のテクやら、参考書で四苦八苦しても、一向に
点数が伸びない。それが何年も続く、本当に何年も。

でも今は、現代文を予備校で教えることもできるくらいにはなった、
と多少の自惚れすら持っているのだ。

普通、現代文の効果的な勉強法の1つとして、本文の要約が推奨される。
俺もかなりやってみた。だが、効果は全く現れなかった。そりゃそうだろう。
本文を読めない人間がどうして要約などできるのだろうか。

イイタイコトを掴むことが現代文読解やその要約の第一歩だとか終着駅だとか、
そんな言葉はもう聞き飽きた。俺は、筆者のイイタイコトを掴めないのだ。

参考書の解説には、イイタイコトがまことしやかに説明されている。だが、
俺は、どうしてそれがイイタイコトだと言えるのか、大抵は腑に落ちなかった。
「そうかもしれないが、うーん…」という感じだった。
60大学への名無しさん:2009/06/29(月) 21:30:01 ID:L6KNJukm0
現代文の勉強法A


だが転機が訪れた。

きっかけは、哲学の本を理解するヒントを得たこと。具体的な書名は失念したが、
竹田青嗣氏の本だったのは覚えている。

「なぜ哲学は分からないのか? それは、何が問題となっているか、のみならず、
どうしてそれを問題とするのか、という動機が自分の中に持てないからだ!!」
という趣旨の文章を目にしてから、俺の中で現代文読解に転回が生じた。

問題文のテーマは何となく分かる。近代社会と日本の世間の関係について、とか、
ぼんやりと分かる。ただ本当にぼんやりとなんだな。現代文が苦手な人はみな同じだろう。

でも、この程度の把握では、イイタイコトは掴めない。さらに踏み込む必要がある。
61大学への名無しさん:2009/06/29(月) 21:31:32 ID:L6KNJukm0
現代文の勉強法B


<問題の所在> この言葉が、竹田青嗣氏の本に出ていた。なぜ、それが問題となるのか、
あるいは、筆者は、どうしてそれが問題だと認識しているのか、そして、その問題の
所在は、どうして他の人にも共有されるのか、そして、俺は、なぜ共有できないのか、
等々を、考えて問題文を再読しているうちに、急に、明晰な理解が、いわば向こうから
やってきたのだ。

イイタイコトを掴もうともがいているときには、現代文を読めなかったのだが、
筆者(その他の知識人)が提示する「問題の所在、あるいは、問題意識」を
掴もうとすることが、現代文の理解にダイレクトに結びついたというわけなんだ。

問題文を読む。当然、漢字や評論用語に慣れ親しんでおいたほうがいいに決まっている。
だが、筆者は、何を問題にしているのか、それはなぜ問題となるのか、を考えながら
読み進めていくうちに、筆者のイイタイコトも自然に分かってきたのだ。

問題の所在が分かることにより、拙いながらも、俺自身なら、その問題にこう答えると
生意気なことを考える。だが、これにより筆者のイイタイコトとの対決関係が発生し、
その結果として、筆者のイイタイコトと自分の考えとの「対比」「距離感」が、
筆者のイイタイコトの把握を促進するのではないかと、思うに至った。

なお、東大の問題は国語、社会などは、端的な表現を要求するが、現代文が読めるように
なったような気がしたときから、少しずつその表現力が向上するのを自覚することが
多くなったことも付記しておく。

何かの参考になれば幸いである。