早稲田の校歌のルーツ?

このエントリーをはてなブックマークに追加
32大学への名無しさん
校歌シンポジウムは悲惨だったな。
始めから最後までかつていかにクラシックにすら類似曲が多かったかを、
演奏聞かせて紹介したり、版権は30年ですでに切れていたとか、すべて
言い訳に終始した会だった。

「Old Yaleにさえまた原曲があるのです」としてやったりの言い方。
さらに都の西北は原曲さえ凌駕していると東儀を称えるのである。 
聞いていて不快であった。

逆に質問のとき立ったH氏は素晴らしかった。
・都の西北を校歌の嚆矢と説明したが、その時点ですでに40校に校歌があった。
 →回答:しかし模範になったことで早稲田を嚆矢といったのです。

・しかし影響があったと言えるのは2校のみです。訂正してください。
 →回答 でもワセダの繰り返しは早稲田のオリジナルでマネされた。

・いや校名繰り返しでは関西学院がのほうが先でしたよ。
 →全員無言

・Yaleでもまた他校でも借用した場合どれも出典を明かしています。
 ワセダも作曲のところを正直に書き換えるべきではないですか?
 →ひな壇上水凍りつき動揺が走る。(後ろめたい空気、誰も答えない)

司会者あわてて「時間が過ぎましたので会長からご挨拶頂き、全員で歌いましょう」
と質問スルーし、あとは会長と応援団に任せ会場中に起立を強制し、歌ってチョン。

終始ワセダ式押し付け、言い逃れ、厚顔戦法で、誠実さも反省もなく時間切れ。
「相も変らず、腐敗体質そのまんま」 それがきょうのシンポジウムであった。