「早稲田大学」VS「横浜国立大学」

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94大学への名無しさん
>>75
明治以来の官尊民卑の時代、また、30〜40年前には私学助成金制度も始まって
おらず、設備的にも国立と私立大の格差が激しかった時代には、私立大文系の授業料
年間8万円に対し、国立大の授業料が年間1万2千円と、当時の日本でも
ラーメン一杯の値段で国立大学にいけるといわれていた。

 横国は、現在の僻地に移転しておらず、横浜駅から5〜6分の弘明寺駅
から歩いて5分ほどの地にあり、都内、多摩地区、千葉・埼玉地区から
通学可能であった。

二期校の東大といわれていたのは事実で、東大、東工大、一橋の殆どの受験生の
併願校で、 入試難易度だけは、一時期、東北大、名大をしのぎ、
阪大と争っており、そのため、全国から受験生が集まった。
 
早大、慶大を振って、
設備、社会的実績、ネームバリュー等は伴っていないが、
入試難易度の高い横国にいくものも多かった。

この辺は家庭の事情、神奈川出身か、都内出身かでも選択は分かれた。
2期校時代に横国より一時的に早慶の難易度が下になっていたことはあるが、
しかし、その当時の社会評価(就職状況)は早慶のほうが上。