ツァラトゥストラはこう言った
「新しい偶像」
ところが国家は、善と悪についてあらゆる言葉を駆使して、嘘をつく。
国家が何を語っても、それは嘘であり、国家が何を持っていようと、それは盗んできたものだ。
国家における一切は贋物である。
盗んできた歯で、それは噛む。
その臓腑までが贋物である。
善悪に関する言葉の混乱。
善人も悪人も、すべての者が毒を飲むところ、それを私は国家と呼ぶ。
善人も悪人も、すべてがおのれ自身を失うところ、それが国家である。
すべての人間の緩慢なる自殺、それが「生きがい」と呼ばれるところ、それが国家である。
http://homepage3.nifty.com/Durga/also sprach zarathustra.html
ニーチェ
理想を形成するとは、おのれの悪魔をおのれの神へと改造することだ。
そして、そのためには人々はまずおのれの悪魔を創造し終えていなくてはならない。
私たちは無政府状態の時代に踏み入っている−−だが、これは同時に最も精神的で最も自由な諸個人の時代でもある。
途方もなく多大で精神的な力が渦巻いている。
天才の時代、それは、これまで、習俗、道徳等々によって妨げられていたものだ。
http://members.at.infoseek.co.jp/metalfatigue/Homofaber/Nietzsche.htm アンチクリスト
ニーチェにかかると社会主義も民主主義もケチョンケチョンである。
人間の自由闊達な活動とその結果に、むやみな制限を加える思想は全て排除の対象になっる。
孔子もマホメットもプロテスタントのルターも、プラトンもカントもルソーも、大凡著名な宗教家神学者哲学者ことごとくが彼の批判を受けている。
思想の健全性で部分的ででもあれ支持を与えられたのはゾロアスター教、バラモン教・ヒンズー教のマヌ法典、それから仏教である。
仏教は「罪に対する闘い」ではなく、「苦しみに対する闘い」を説いているとして評価した。
イスラム教は「海賊」十字軍の略奪対象になるほどの文化を発展させたとしてかなり好感を持って評論されている。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/shigas/HOMPG833.HTM