>>21-22 その後、美術・音楽・演劇に評論の筆を振るう傍ら、
マルクスの「資本論」を読んで社会主義の影響を受け、1884年、穏健な社会主義団体で、後にイギリス労働党の元となったフェイビアン協会の創設直後に入会、以後、同協会の主要メンバーとして、パンフレットに講演に街頭演説にと大活躍しました。
劇作は「やもめの家」を処女作として以後半世紀以上の間に約50編の戯曲を発表し、その奇抜な皮肉と辛らつな破壊力とを社会のあらゆる因習の上に浴びせかけました。
また、1903年の「人と超人」以降は、単なる因習打破にとどまらず、「生の力」を唱え、超人へと進化するよう努力するのが人間として生まれた使命であるとして、悦楽に耽り怠惰に流れる人類に警鐘を鳴らしつづけました。
http://www.eonet.ne.jp/~m-hirose/ijinden/7gatu/0726.htm