石原慎太郎が都立大改革に熱心な理由はただ一つ。若き日の都知事選の怨念
を晴らしたいためである。
1967年の都知事選のとき、都立大には、後に美濃部都政の下で企画調整部長
となる柴田徳衛をはじめ、美濃部シンパが大量にいた。選挙戦は、時代を象
徴するかのような保革の激しいぶつかり合いとなったが、革新統一候補の美
濃部が勝利、飛ぶ鳥を落とす勢いだった石原は一敗地に塗れた。
このことは、若き日の誇り高き石原にとって忘れ難い屈辱だったに違いない。
石原は、「俺は都立大が嫌いだ」と公言してはばからない。知事になった今
こそ、忌々しい記憶に連なる大学を自分の手で抹殺するチャンスだ。
「俺には大学のことは分からない」と言いながら、石原は、都立大の言う事
に耳を貸そうとはしない。都立大の人事・予算に全面的に介入できるシステ
ムをつくりあげ、自分に敵対的な思想の持ち主を放逐する。これが石原のめ
ざす都立大改革のすべてである。研究や教育の改革など、彼にとってはどう
でもよいことである。何しろ都立の大学の予算は都の全体予算の0.2%にすぎ
ず、都内学生定員に占める割合もごく僅かなのだから。
忘れてはならないことがある。知事の任期は4年だが、都立大はすでにその十
数倍の歴史を刻んできたことである。都立の大学は知事の所有物ではないし
、そうあってはならない。都立の大学の大学としての生命を保ち、都民の財
産を守ることは、すべての都民と都立の大学関係者に課された責務である。