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952大学への名無しさん:03/11/29 09:47 ID:yyJ7YZXX
 従って,a mod p, 2a mod p, … (p-1)a mod p はすべて異なる数になる。…(*)

 (これはすなわち, mod pの世界で見たとき、1からp−1までの数字に任意の数字aを掛けると
いうことは1からp−1までの数字を入れ替えるということに同じであるということである。)

(3) 従って,これらをすべて乗じると、a X 2a X … X (p-1)a = 1・2・…・(p-1) X a(p-1) となるの
で、これを p で割った あまりを考える。

 すると、(*)から、a X 2a X … X (p-1)a mod p = 1・2・…・(p-1) mod p となることが分かるか
ら、 a X 2a X … X (p-1)a mod p = 1・2・…・(p-1) X a(p-1) mod p と連立すると、 a(p-1) mod p = 1 を得る。(証明終)

 

953大学への名無しさん:03/11/29 09:51 ID:yyJ7YZXX
■フェルマー・ワイルズの定理と狭すぎた余白
『x^n +y^n =z^n でn≧3のとき、x,y,zは正の整数解をもたない。』

 フェルマーが愛読した古代ギリシアのディオファントスによる本「アリスメティカ(算術)」の
欄外の余白にこの書き込みをしたのは1637年、日本では島原の乱が起き、三代将軍家
光の治世下のことです。たった8文字で書かれたこの単純な式はフェルマー予想と呼ばれ
、人類の頭を悩まし続け、多くの高名な数学者がフェルマー予想に挑戦したにもかかわら
ずことごとくそれを退けてきました。フェルマーの問題は見かけがシンプルであるうえに、新
規性、意外性、美しさ、難しさ、完全さなどの要素を備えていた一種の芸術作品といえるで
しょう。
フェルマー予想は360年ものあいだ未解決の数学的難問であったのですが、1994年、
イギリス人で米国プリンストン大学の数学者ワイルズがその証明に成功し、かくして「予想
」は「定理」となりました。難攻不落のフェルマー城はついに落城したのです。

954大学への名無しさん:03/11/29 09:52 ID:yyJ7YZXX
なぜこの問題がそんなに高い関心を集めたのかというと、

1)問題の意味が誰にもわかるほどやさしく、今にも解けそうでなかなか解けないきわ
どさと不思議さ、芸術性の高さをもっていたこと

2)フェルマー自身が「驚くべき証明を私は見つけたが、これを記すには余白が狭すぎ
る」という謎めいた言葉を残したためでしょう。フェルマーはこれをいかにして証明した
かを記してはいないため、われわれはどのようにしてこの事実を証明したかについて
は推測するほかありません。


955大学への名無しさん:03/11/29 09:52 ID:yyJ7YZXX
フェルマーの問題は、n=1のときにはx+y=zという単なる足し算ですから、xとyにどんな自
然数を入れても自然数zは必ず存在します。n=2の場合はピタゴラス方程式と呼ばれ、無数
の解をもち、しかもすべての解をもれなく求めることのできる公式も知られています。n=4の
場合は、フェルマー自身が無限降下法という一種の背理法を用いて0と1の中間に整数が存
在するという矛盾を導き出すことによって証明が与えられました。指数が3以上のフェルマー
方程式については、n=3の場合はオイラー(1770年→【補】)、n=5の場合はディリクレと
ルジャンドル(1825年)、n=7の場合はラメ(1839年)によって証明が与えられ、それ以上
のnについては素数の場合だけを調べればよいのですが、初等的な方法では手続きが急速
に複雑になって行き詰まりこれ以上進むことに限界がありました。

956大学への名無しさん:03/11/29 09:53 ID:yyJ7YZXX
個々のnに対して攻略する時代はこれで終わり、あとは一般的なnに対する攻略の道筋
にまったく新しい方向性と理論を見いだす必要があったのです。最大のブレークスルー
は1851年、クンマーによってなされました。クンマーは円分体の整数論の研究に専念
し、正則素数であるすべてのnに対してフェルマー予想が成立することを示したのです。
正則素数pはBp-3 までのベルヌーイ数Bk の分子を割り切ることのできない素数として
定義されていて、100以下の非正則素数は37,59,67ですべてですから、この3つの
数以外では100までのnに対してフェルマー予想が正しいことが証明されたことになります。

957大学への名無しさん:03/11/29 09:54 ID:yyJ7YZXX
非正則素数は無限に多く存在するにもかかわらず、1980年代にはフェルマー予想はほとん
ど正しいことは証明されていたのですが、一つもないかどうかまではわかりませんでした。まこ
としやかに見えるだけで真実だと断定するわけにはまいりません。「almost every n」からalmo
stを取り除くのが次代の数学者の課題になったのです。代数幾何学を数論に応用するという
アイディアを導入してこの行き詰まりを解決することになるのですが、・・・・・。
 ピタゴラス数は方程式x2 +y2 =1に有理数解があるかどうかを考える問題に対応しま
すが、フェルマーの問題を解くことは、ピタゴラス方程式を一般化した任意の2変数多項式xn
+yn =1に有理数解があるかどうかに置き換えて考えることができます。

958大学への名無しさん:03/11/29 09:55 ID:yyJ7YZXX
 整数解を要求する2変数1次方程式ax+by=c,2変数2次方程式ax2 +by2 =c(a,b,cは整数)などは
、ギリシャのディオファントスにちなんでディオファントスの不定方程式と呼ばれます。たとえば、y2 =x3 −2
の整数解について、ディオファントスは、y=t+1,x=t−1とおき、y2 =x3 −2に代入すると
t2 +2t+1=t3 −3t2 +3t−3。この式はt(t2 +1)=4(t2 +1)と変形できるので、t=4すなわちy=5,x=3が
解であるとしています。しかし、端的にいって、このような解き方にはアート(技巧)はあってもセオリー(一般的理論)がなく
、勘や経験や個々の問題の性質に負っていて、決定打ではありません。問題はこの型の不定方程式に対するすべ
ての整数解、あるいは有理数解を求めることですが、ステップアップしながら考えてみることにしましょう。


959大学への名無しさん:03/11/29 09:56 ID:yyJ7YZXX
a)整数係数のax+by=cは無数の有理数解をもちます。

b)二次曲線ax2 +by2 =cのグラフは円錐曲線ですが、この方程式が有理数解を1つもてば、
実は無数のもつことを示すことができます。たとえば、方程式x2 +y2 =1には、無限に多くの
有理数解、(3/5,4/5),(5/13,5/12),(12/37,35/37)など・・・が存在します。と
ころが、半径が√3の円、x2 +y2 =3になると有理点は全くなってしまいます。2次曲線は有
理点を無限のもつか、1つももたないかのどちらかです。


c)「三次曲線ax3 +by3 =cや楕円曲線y2 =ax3 +bx2 +cx+dなど、3次以上の不定方
程式には一般に整数解が有限個しかない。」

 
960大学への名無しさん:03/11/29 09:58 ID:yyJ7YZXX
 これを証明したのはジーゲルで、その定理はジーゲルの有限性定理(1929年)と呼ばれています。
この定理により、すべての2変数多項式の可解性が決定したわけではありませんが、少なくとも2変数
2次多項式の可解性条件はわかったことになります。


d)また、モーデル・ファルティングスの定理(1983)とは、「種数が2以上の代数曲線は有理点を有限
個しかもたない。」というものです。2次曲線のように有理点全体を1つの変数でパラメータ表示できる
曲線を種数が0の曲線と呼んでいます。一方、種数が1である曲線に楕円曲線があります。したがっ
て、有理点が無数にあるような曲線は種数が0か1ということになり、直線(種数0)か、円錐曲線(種数
0)か、楕円曲線(種数1)に限られてきます。また、リーマン・フルヴィッツの公式よりフェルマー曲線
は種数が(n−1)(n−2)/2で、これはn=3のとき1ですが、n≧4のときは2以上となりますから、
そこでフェルマーの予想を征するために必要となるのが楕円曲線であったというわけです。


 円錐曲線の有理点は無限ですが、楕円曲線の有理点は有限です。実際問題として、有限とはい
ってもものすごい大きさこともあるわけですが、無限よりは範囲が狭められたことは確かです。すな
わち、フェルマーの方程式に解があるとすればそれぞれのnに対して解は高々有限です。モーデル
・ファルティングスの定理によって有限個しか解がないことはわかりましが、1つもないかどうかはわか
りません。フェルマーの予想が証明されたというのではありませんが、それでも大変な前進であるこ
とは明らかです。
961大学への名無しさん:03/11/29 09:59 ID:yyJ7YZXX
e)さらに、フライとリベットによってフェルマー問題は楕円曲線の問題に還元できることがわかりました。すなわち
、楕円曲線はフェルマー問題の定性的な一般化であり、フェルマー予想に反例が存在したときに生ずる楕円曲線
は特異な性質をもつことになり、そのような曲線は絶対に正しいと信じられている谷山・志村予想の反例になりま
すから存在し得ないように思われたのです。フライとリベットがフェルマー(フェルマー曲線)と谷山(楕円曲線)を
結んだことになりますが、それが証明されればフェルマーの定理は正しくなくてはならないということになります。
フライはこの課題に取り組んだのですが、成功しませんでした。


f)英国生まれの数学者ワイルズは、フェルマーの定理の証明が一筋縄ではいかないことを実感して一時棚上
げにしていたのですが、この結果にフェルマー攻略への道を確信し、研究室に7年間もこもって、彼独自のアイ
アをもってとうとう証明に成功しました(1994年)。ワイルズはフライとリベットの結果に感服するとともに苦節7年
、この結果より出発してこの手段を用いて成功するであろうということをあたかも雷光に打たれたかのごとく直感
して、フェルマーの定理の解法を得たのです。

962大学への名無しさん:03/11/29 10:00 ID:yyJ7YZXX
 19世紀の数学者クンマーはxp −1=0 (p:素数)の複素数解を有理数につけ加えて、整数の概念
を複素数まで拡張した円分体の整数という概念を導入することによって、フェルマーの予想を攻撃しそ
れに肉薄したのですが、ワイルズは楕円曲線を等分する点のつくる代数幾何学によってフェルマー予
想を完全解決したことになります。


 読者の中にはいつか数学者になってフェルマーの定理を解いてやろうと思った経験をお持ちの方や
あるいは何百年も解かれないような問題を作ることを夢見た方も多くいらっしゃるでしょうが、ワイルズの
場合、10才のときフェルマー予想を知り、数学を志望したのもこれを解こうと思ったのがきっかけであ
ったといいます。


963大学への名無しさん:03/11/29 10:01 ID:yyJ7YZXX
ピタゴラスの定理は非常に応用範囲が広いのに対して、フェルマー予想はほとんど応用が見込めない単
発的な興味の対象であって、それを解くことが数学にとって進歩の重要な過程になるような問題ではない
ということですが、しかしながら、フェルマー予想によってある深い数学的洞察がなされ、数学に革新がも
たらされたことも歴史的な事実です。フェルマー予想は数学の発展のためにはどうしても越えねばならぬ
山であって、現代数学の眼前に横たわる未踏の高峰を征服し陥落させることは非常に意味のあることでしょう。


 専門家の話には耳なれない言葉がずいぶんと見受けられ、はじめて接した読者の多くは新しい用語や
記号などに拒否反応を起こしてしまいがちです。フェルマーの定理の証明にいたるまでの過程と取り組み
については心理的抵抗感の少ないもの、たとえば、足立恒雄著「フェルマーの大定理が解けた!」(講談
社ブルーバックス)などを参照されたい。整数論の問題は表現の容易さとは裏腹に証明の難しさをもって
いるのですが、そこには底知れぬおもしろさが潜んでいるのです。なお、ロシア人のマチアセビッチにより
、すべてのディオファントス方程式(不定方程式)の解の存否を判定するアルゴリズムが存在しないこと
が証明されています。一般に3変数以上のディオファントス方程式を解く有力な方法はまったく見つかっ
ておらず、たとえば、x3 +y3 +z3 −3=0が(1,1,1),(4,4,−5)とその並び換え以外の整数解を
もつかどうかすらわかっていません
964大学への名無しさん:03/11/29 10:02 ID:yyJ7YZXX
【補】オイラー予想とその反例

 オイラーは、一般のn乗ベキに対する証明に拡張する望みはまず見いだせないと書いています。
さらに、オイラーは、フェルマー予想の条件をゆるめて一般化した問題

『x1^n+x2^n+・・・+xn-1^n=xn^n、たとえば、x^4 +y^4 +z^4 =w^4 にも自然数解がな
い』と予想しました。この不定方程式には整数解がないであろうことが長い間予想されてい
て、モーデルはコンピュータを使ってw<220000の範囲でこの問題は成立することを紹
介しています。ところが、オイラーの推測からおよそ200年後、コンピュータを使って

965大学への名無しさん:03/11/29 10:02 ID:yyJ7YZXX
27^5 +84^5 +110^5 +133^5 =144^5  (1966年)

95800^4 +217519^4 +414560^4 =422481^4  (1988年)

2682440^4 +15365639^4 +18796760^4 =20615073^4  (1988年)

などのオイラー予想に対する反例が発見されました。さらに、エルキースにより、x^4 +y^4 +z^4 =w^4
には無数の解があることが楕円曲線の理論に基づいて示されました(1988年)。


966大学への名無しさん:03/11/29 10:04 ID:yyJ7YZXX
 反証はたった一つの反例があればよいのですから、潜在的には易しい問題なのですが、
反例がなぜないかがわかれば証明につなげることができるという意味で重要です。コンピュー
タを使ってフェルマー予想の反例を見つけようという試みは、これまでのところ全て失敗に帰し
ていて、1993年まで、四百万以下のnに対してフェルマー予想の正しいことが確かめられて
います。結局、コンピュータによって、フェルマー予想の個々のnについて検証する作業が長
年行われてきたようなものですが、反例がみつからないのは、単に反例のサイズが膨大す
るからではないのか。もしも反例があるとしても、それは100万桁以上の数を含むものになる
だろう。そこで一松信先生による冗談を一つ。もし、フェルマー予想の反例が発見されたとす
ると、その数は「あまりにも大きすぎて、ここに印刷する余白がない。」



967シュリニヴァーサ ラマヌジャン:03/11/29 10:08 ID:yyJ7YZXX

 1887年に南インドに生まれたラマヌジャンは、貧困ながらもバラモンの伝統と誇りにより、
数学の道を邁進する。彼は研究の一端をイギリスの専門家に送り、ケンブリッジのハーデ
イと運命の出会いをする。彼はバラモンの戒律を破りロンドンに渡る。彼は数千もの新定
理を、"神の啓示により"、発見する。「大天才」と目されながら、イギリスでの生活になじめ
ず病気になり自殺未遂を図る。インドに戻った彼は1年あまりでこの世を去った。

968大学への名無しさん:03/11/29 10:09 ID:yyJ7YZXX
ラマヌジャンは友人から数学の非凡さ、その発想の由来を尋ねられたとき、こう答えたという。
「信じられないかもしれないが、すべて毎日お祈りしているナマギーリ女神のおかげなんだ」と。
969シュリニヴァーサ ラマヌジャン:03/11/29 10:10 ID:yyJ7YZXX
その頃、ラマヌジャンが勤めていたのは、マドラスの港湾信託局だった。
すでに彼は「インド数学協会誌」に「ベルヌーイ数の諸性格」という処女論文をだしていたが、
それだけが唯一の業績であって、港湾局へ就職する前は書く紙にこと欠くような失業者であった。
その港湾局への就職も協力者の裏工作でやっとできたというような状態だった。だが、それでも
妻や両親を安心させることができたし、直属の上司ナーラヤーナは数学に理解が深く、かつ
仕事は閑職だったので、ラマヌジャンは職場に出かける前も、帰ってからも数学に没頭していた。
そして25歳になっていた彼は、ある日、一面識もないイギリス数学界の大御所ハーディ宛てに
一通の手紙を書いたのだった。

「拝啓。自己紹介させていただきます。私はマドラス港湾局経理部にて、年収20ポンドで働い
ている一事務員でございます。23歳くらいで(実際は25歳----注)通常の学校課程は終えま
したが、大学には行っておりません。学校を出た後、余暇を数学研究に励んでまいりました。
正規の教育は受けていませんが、独学で研究し、発散級数に関するいくつかの成果は、当地
では驚くべきと形容されています。」
970シュリニヴァーサ ラマヌジャン:03/11/29 10:11 ID:yyJ7YZXX
こんな書き出しで次には数学公式がずらずらと並べられている手紙が、ハーディの目に留まったのは、
世紀の不思議のようなものである。ハーディが通常の数学者だったなら、これだけ読まれただけで手紙
は捨てられる運命にあっただろう。天才数学者ラマヌジャンも生まれなかった。ところがハーディは並み
の数学者、並みの洞察家ではなかったのである。彼も最初は手紙に書き並べられた奇妙な公式をみて
、タワゴトと思ったのだが、次の瞬間、「これらの公式がインチキだとすれば、いったい誰がそれを捏造
するだけの想像力をもっているだろうか?」と思い直し、友人リトルウッドと1週間かけて隅々まで検討
したのであった。
971シュリニヴァーサ ラマヌジャン:03/11/29 10:12 ID:yyJ7YZXX
そして得られた結果が「偽者ではない。これは本物の天才だ!」というものであった。
こうして無名の天才ラマヌジャンが発見されたのだが、こんな経過そのものが「世にも不
思議な物語」である。一通の手紙がラマヌジャンの運命を変えた----こういう経過を見
ると、ラマヌジャンのいう「すべてナマギーリ女神のおかげ」という言葉も真実味を帯び
てくるというものだ。

ラマヌジャンは単なるヒンドゥー修行僧ではなく、むしろ数学修行僧といった趣きだったが
、それでも生涯バラモン僧だった。ハーディに招かれ、イギリスに渡ってからもラマヌジ
ャンはイギリス式近代生活を受け入れず、ヒンドゥーとしての生活態度をつらぬき、非妥
協的で、非社交的だった。そして数学研究に没頭した。

972シュリニヴァーサ ラマヌジャン:03/11/29 10:12 ID:yyJ7YZXX
30時間眠らず数学に没頭し、20時間連続で眠るというような超人的でとんでも
ない生活を続けるのであるが、そのためかわずか32歳で倒れる。病状が悪化
しインドに戻った彼は、ついに1920年、妻ジャーナキ、両親、わずかな友人に看
取られながら息を引き取る。その後、この夭折した天才の伝説的なほど有名な
ノートに書かれた数々の公式の証明は、近年になってやっと終了したという。
夭折はナマギーリ女神の加護とは思えないが、このことを思うと、女神とは慈
悲深くもあり、時間を要する老獪なものでもあるのかもしれない。

いや、いや、女神ではなく、ラマヌジャンはラマヌジャンであって、信仰する女神
の加護をもはるかに超えた孤高の天才の闘いの軌跡であろう。そう思わずには
いられない。もしラマヌジャンがなにかの加護を受けていたとすれば、それはナ
マギーリという名の、職業や貧困や現実生活を打ち破るいわば形而上学的な没
頭と戦いの不屈の内部神であったのではないのか・・・・と
973シュリニヴァーサ ラマヌジャン:03/11/29 10:13 ID:yyJ7YZXX
ラマヌジャン亡き後、ハーディは数学者の天賦の才能について次のような採点をした。
「自分自身は20点、リトルウッド30点、ヒルベルト80点、ラマヌジャン100点」
ハーディがいかにラマヌジャンの天賦の才を高く評価し、その死を惜しんでいたかが分かるというものである。
妻や近親に看取られたラマヌジャンのひそかな死は、だが、静かには収まらなかった。その知らせは雷鳴の
ようにインド中を響き渡り、たとえば、当時まだ小学生だったチャンドラセカールの耳朶をも激しく叩いたのであった。

974大学への名無しさん:03/11/29 10:22 ID:abIIKHbz
虎さん!ばればれですよ!

IDかぶってるレスがありますよw

誰か虎を通報しれ
975小樽商科大学から:03/11/29 10:31 ID:yyJ7YZXX
一、司法試験受験の契機

 司法試験を目指して勉強を始めてからちょうど7年、私は今年、幸いにも司法試験に合格することができた。

 そもそも私は、在学中は、司法試験など自分とは全く無縁のものと考え、興味を抱くことはもちろん、どんなも
のかすらも知らなかった。89年に公務員試験に合格し、翌90年に卒業後は公務員として社会に出た。ただ、私
が公務員を志願した理由は、多くの人たちに直接役立てるからという漠然としたものであって、特にこれをして
みたいというものはなかった。それでも、採用が決まってからは、それなりに希望に燃え、なったからには一生
働き続けようと思っていた。

976小樽商科大学から:03/11/29 10:32 ID:yyJ7YZXX
しかし、与えられた仕事は、自分の能力を生かせるものではなく、なんでも「きまりです」の
一言で片付く単調なものだった。「きまりどおり」に執行すればよいという行政機関の位置付
けを痛感した。これで多くの人たちに真に役立っていると言えるのだろうか。また、大学時代
に、好きでいろいろな法律を勉強してきたのに、それが生かされているとは到底言えない。こう
したことを感じて、次第に私は現状に疑問を持つようになった。

 そんなある日、私は部屋を掃除中、大学時代に先輩からもらった法学書院発行の『法曹への
道』という本を偶然見つけた。中をめくると、法曹の仕事=法律の素養を生かして法を解釈・適用
し、社会正義を実現すること、そして、変動してやまない現代社会では、絶えず社会の動きを直
視し、それに対処しうるべく姿勢が求められることなど、今の自分の仕事には考えられない魅
力が書かれていた。自分の好きな法律を存分に生かし、能力を存分に発揮できる法曹、また、
限りない可能性を内包しているその仕事・・・。

 こうして、法曹に強く惹かれた私は、転職を決意し、司法試験受験を決めたのである。92年
秋のことだった。

977小樽商科大学から:03/11/29 10:33 ID:yyJ7YZXX
二、受験生時代

 受験勉強とはいえ、就職していたため、一日の勉強時間は多くて3時間だった。そこで私は、勉強
を要領よくこなし、かつ必要最小限の労力で抑える必要性を感じ、予備校に通うことにした。こうした
勉強方法は自分に合っていたのか、実力は目に見えてついていった。

 そうして、初受験の93年は択一試験にいきなり合格した。しかし、この年は忙しい職場に異動とな
ったため、一日の勉強時間は一時間を確保することすら難しくなった。このため、切にまとまった時
間が欲しく思い、ついに93年9月限りで仕事を辞め、受験勉強に専念することにした。そのかわり、
2年以内の合格を誓った。

 その後は、思ったとおり一日フルに勉強でき、9〜10時間はやった。実力もさらについてきている
ことも体感する。

 こんな中迎えた94年の択一試験だったが、自信あったにも拘わらず不合格、ショックを受ける。
その合格発表の日から一週間後、いまだ択一不合格のショックが抜けきれない中、弟が交通事故
に遭い、意識不明状態になってしまった。このため、私や私の母は一日中弟の付添いや介護に
追われ、病院通いが日課となり、勉強どころではなくなってしまった。こういう生活が続く中、今度
は、幼少の頃からかわいがってもらい、合格を誰よりも心待ちにしていた祖母が急死してしまった。

978大学への名無しさん:03/11/29 10:34 ID:vCYEx+mY
新手の荒らしですか?
979小樽商科大学から:03/11/29 10:34 ID:yyJ7YZXX
こうした94年夏の相次ぐ災難に、「俺は司法試験なんて受からなくていい。弟が元気になり、
祖母が生き返ってさえくれれば。」と考える毎日だった。もちろん勉強時間はゼロ。

 しかし、この年の暮れになると、弟の意識は回復し、少しは手がかからなくなったので、私
は勉強を再開することができた。

 95年に入るとペースも徐々に上がり、択一・論文の答練では成績優秀者として名前が載る
ようになっていた。こうして95年は択一試験合格、さらに天王山の論文試験も難なく合格して
しまう。この時点でほぼ最終合格を手中にしたため、仕事を辞めたときに誓った2年以内の
合格を達成できたと胸をなでおろしたのであるが・・・。最終関門の口述試験はまさかの不合格だった。

980小樽商科大学から:03/11/29 10:34 ID:yyJ7YZXX
 翌96年は、合格した前年以上に手応えのあった論文試験に不合格のうえ、口述試験も再
度失敗してしまう。これにより、私の受験は全くの振り出し状態に戻されてしまったのである
。例えてみるなら、マラソンのゴール目前でもう一度42.195・走ることを宣告されたようなも
のだ。私の受験生活の苦しみは、94年夏の災難だけではなかったのである。


 あんなに勉強したのに合格できないという空しい気持ち、やってもどうせダメだろうという自
棄的な気持ちが私の中を支配し、すっかり厭戦ムードになった。97年は択一には合格するも
論文で不合格、98年は択一で不合格となり、まさに凋落の一途。

 でも、今年になってふと、「このままダラダラしても永久に自分は負け犬のままだ。4年前に
論文試験に合格した実力があるんだから、本気を出せば今年絶対に合格できるのではない
か。」と感じるようになった。今年は合格者も増えるらしいのでチャンスだと思い、合格を信じて
久々に真剣に勉強に取り組んだのである。結果、合格は転がり込んできた。

981小樽商科大学から:03/11/29 10:35 ID:yyJ7YZXX
10月29日、合格を知ったとき、まずは仏壇に手を合わせて祖母に報告。そして重度の
障害を持つに至り、今なお施設でリハビリ中の弟には電話で合格を伝えた。
三、最後に

 私が司法試験に合格して思ったことは、この試験は世間で言われているほど無茶苦茶な試験ではな
いということである。むろん、天才を要求する試験なんかではありえない。試験に要求されるレベルを
知り、ポイントを押さえた要領の良い勉強方法をすることで、2、3年で合格することができる程度のものだ。

 私が司法試験にチャレンジしていることを知った友人らは、「頭がおかしくなったのか」と揶揄してきた
。しかし、この試験は、実力があれば誰しも合格できるのである。たとえ一流大学と言われるところの学
生でも実力がなければ合格することはない。反対に、商大のように、司法試験合格者を輩出していない
ところの学生でも、実力さえあれば合格できるのである。私が7年間、何とか頑張って勉強してこれた
のは、そうした司法試験の魅力を忘れず、また、必ず合格するのだという自分を信じていたからに他ならない。

982小樽商科大学から:03/11/29 10:36 ID:yyJ7YZXX
近年、司法試験は合格者が若年化し、合格までの平均受験回数も少なくなってきた。
それだけ合格しやすくなっているのであり、法曹を目指す人には良い機会といえよう。

 幸い、今年は私の他にも商大出身者が合格された。その方が今後の私の力強い仲間
であり、励みとなる存在であることは言うまでもない。私達に続く商大出身の合格者が今
後も輩出されることを期待してやまない。
983小樽商科大学から:03/11/29 10:37 ID:yyJ7YZXX
今年ようやく最終合格しました。足掛け9年。少々かかりすぎた感じです。

 短答試験には毎年合格しており、論文式試験でつまずいていました。9年かかったのも、論文
の攻略法がわからなかったためです。今年は昨年までと異なり、論文の「コツ」みたいなものを
つかめたから、結果的に受かったのでしょう。

 では、論文に受かる「コツ」とはなにか。一般論はあるので、ごく簡単に説明します。

〜略〜
984小樽商科大学から:03/11/29 10:37 ID:yyJ7YZXX
最後に、では以上に述べたことだけで受かるかと言うと、おそらく足りないと思います。試
験は結局相対評価ですから、みんなと同じ金太郎あめの答案ばかり書いても相対評価の
中に埋没するだけです。頭一つ抜け出すには何か「プラスα」が必要です。

 プラスαは合格者の数だけあるといって良く、これをすれば身につくと断定することはで
きません。例えば私の場合は、北法会という北大の内部答練会を通じて多くの受験生仲
間と知り合い、彼らと毎日朝から晩までゼミを組んで勉強したことが一番ためになったの
ですが、合格者の中には他の受験生との交流はあまりなく、ゼミなど組んだことは1回も
ない、という方もたくさんいます。彼らは予備校の積極的な利用、毎日の独学、あるいは
特殊な人生経験(例えば、東大に合格するために猛勉強した、というのもこれに含まれる)
から、何かひと味違う「プラスα」をえたのです。

985小樽商科大学から:03/11/29 10:38 ID:yyJ7YZXX
合格するためには、大前提として、合格答案のイメージと知識を得て反復練習する、という当たり
前のことを淡々とこなすべきです。これを全くやらないと、他人から大きく遅れをとってしまい、合格
どころではなくなります。しかし全く他人と一緒では平均点止まりなので、何か一工夫して個性を発
揮することが要求されます。

 常識と個性、この相反する要請のバランスをうまく保っていくことは、最も重要ではないかと思いました。

986大学への名無しさん:03/11/29 10:43 ID:yyJ7YZXX
あまりにも有名な「人間不平等起源論」だが、以下にその抜き書きを掲げる(
【序文】
 残酷なことは、人類のあらゆる進歩は、人類をたえずその原初の状態から遠ざけ、われ
われが新たな知識を蓄積すればするほど、あらゆる知識のなかでもっとも重要な知識を
得る手段が奪われることであり、ある意味では、あまりにも人間を研究するために、人間を
知りえなくなったということである。
 容易にわかることであるが、人間の構造の次々に起こるこうした変化のなかに、人々を区
別する差異の最初の起源を求めなければならず、われわれが気づいている多様性がいく
つかの種に、さまざまな肉体的原因によって導入されるまえには、それぞれの種の動物が
平等であるのと同じように、人間が本来おたがいに平等であることは一般に認められている
。じっさい、こうした最初の変化が、どんな方法で起こったにせよ、まったく同時に同じように
種のすべての個体を変化させたとは考えられないが、あるものがよくなったり悪くなったりし
て、その本性に固有のものではなかったさまざまの善悪いずれかの性質を獲得し、ほかの
ものはもっと長くその根源の状態にとどまっていたのである。こうしたことが、人間のなかで
は、不平等の最初の源であったので、このように一般的に証明するほうが、その本当の原
因を正確に決めるよりも容易である。
987人間不平等起源論:03/11/29 10:44 ID:yyJ7YZXX
【本文】
 …人間は自由で独立していたのに(さまざまな技術の発明や私有の発生とともにいまや無数の新しい
欲求によって、いわば自然全体に、とりわけ、同胞の支配者となりながらも、ある意味ではその奴隷とな
り、同胞たちに屈従し、金持であれば同胞の奉仕が必要であり、貧しければその援助が必要であり、ほ
どほどであっても同胞なしではすませないのである。それゆえ、人間は、たえず同胞たちから自分の運
命に関心を持ってもらえるように、現実であれ見せかけであれ、その人の利益のために働くことに自分た
ちの利益が見出してもらえるように努めなければならず、そのために、ある人々に対してはずる賢くなり
、ほかの人々に対しては横柄で冷酷になり、自分が必要とするすべての人々から恐れられなかったり、
その人々に役に立つように奉仕しても自分の利益にならないときには、どうしても欺かざるをえなくなる
のである。けっきょく、むさぼりつくす野心、真の欲求というよりも他人の上に立ちたいために、自分の
相対的な財産をふやそうという熱意は、おたがいに危害を加えあうという陰険な傾向と、もっとも確実
に成功を収めるためにしばしば好意の仮面をつけているだけに、ますます危険なひそかな嫉妬心を
あらゆる人間に呼びさましたのである。要するに、一方では競争と対抗心、他方では利害の対立、
そしてつねに他人を犠牲にして自分の利益を得ようという欲望、これらすべての悪は私有の最初の
結果であり、生まれたばかりの不平等から切り離すことのできない付随物であった。
988人間不平等起源論:03/11/29 10:44 ID:yyJ7YZXX
【結論】
 不平等は自然状態ではほとんど無であり、その力と増大は、われわれの能力の発達および
人間精神の進歩からひきだされるものであり、所有権と法律が確立することによってついには
安定し合法的なものとなることである。さらに、実定法のみによって認められている倫理的不平
等が、それが肉体的不平等と釣合っていないときには、いつも自然権に反しているということに
なる。この区別は、文明化したすべての人民のあいだを支配しているような種類の不平等につ
いて、どう考えなければならないかを十分に決めてくれるものである。というのも、自然法をどの
ように定義するとしても、子供が老人に命令したり、愚かな人が賢い人を指導したり、多くの飢
えた人々が必要なものにこと欠くというのに、一握りの人々が余分なもので満ちあふれている
ということは、明らかに自然法に反しているからである
989大学への名無しさん:03/11/29 10:45 ID:yyJ7YZXX
・人間は自由なものとして生まれたが、いたるところで鎖につながれている。
自分が他人の主人であると思っているような人間も、実はそれ以上の奴隷である
―「社会契約論」―

990大学への名無しさん:03/11/29 10:45 ID:yyJ7YZXX
・あらゆる人間の知識のうちで最も有用でありながら、最も進んでいないものは、
人間に関する知識であるように思われる。
―「人間不平等起源論」―

991大学への名無しさん:03/11/29 10:47 ID:yyJ7YZXX
・自然は決して我々を欺かない。我々自身を欺くのは常に我々である。
―「エミール」―

992大学への名無しさん:03/11/29 10:47 ID:yyJ7YZXX
どんなものでも、自然という造物主の手から出るときは善であり、
人間の手に渡ってからは悪となる。
―「エミール」―

 

993大学への名無しさん:03/11/29 10:48 ID:yyJ7YZXX
・私達はいわば二回この世に生まれる。
一回目は存在するために、二回目は生きるために。
―「エミール」―

994大学への名無しさん:03/11/29 10:48 ID:yyJ7YZXX
・気を落とさないようにしなさい。見てごらん、
空はなんときれいに澄んでいるのだろう!わたしはあそこへいくんだよ。
―臨終の言葉―

995大学への名無しさん:03/11/29 10:49 ID:yyJ7YZXX
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996大学への名無しさん:03/11/29 10:50 ID:yyJ7YZXX
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997大学への名無しさん:03/11/29 10:51 ID:yyJ7YZXX
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998大学への名無しさん:03/11/29 10:51 ID:yyJ7YZXX
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999大学への名無しさん:03/11/29 10:52 ID:yyJ7YZXX
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1000大学への名無しさん:03/11/29 10:53 ID:yyJ7YZXX
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