カルト予備校?みすず学苑

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229宝島30/1993年6月号
東京の中央線・西荻窪駅前に「三十鈴(みすず)学苑」という名の予備校がある。
教室は一号館から十七号館まであり、小学校受験から大学受験までの生徒約三千人が通っているというから、予備校としては中堅クラスといってよいだろう。
学苑長を務めるのは半田晴久(四十三歳)である。
半田はこの三月、三十鈴学苑の関連会社の女性社員から、強制猥褻を受けたとして、横浜地裁に訴えられた。
女性側の原告代理は、何者かに誘拐されたあの坂本弁護士が所属していた横浜法律事務所である。
予備校の責任者といえども教育者の一人。その教育者が強制猥褻とは穏やかではないが、猥褻行為は数年前からあり、それがいやで会社を辞めた女性は複数に及ぶ。
これまで社会的に公にされなかったのは、未婚の女性ゆえの弱さもあったが、それだけではない。
半田晴久が女性たちにとっては「神様」であったがゆえに、恐ろしくて訴えることができなかったのである。

名前の使い分けは他の人にはややこしく、本人にとっては実に便利だ。宗教活動では深見青山、経営活動では半田晴久。
だから三十鈴学苑に通う子どもや親からすれば、学苑長と猥褻で訴えられた教祖様とが同一人物とはにわかには信じにくい話だろう。

三年前の夏、夕刊紙の「日刊ゲンダイ」に深見青山のことを八回にわたって連載したことがあった。
ところが、西荻窪を軸に中央線沿線の駅の売店から日刊ゲンダイが何者かによって買い占められた。
二、三日目からは配達員が到着すると同時に、梱包のまま買っていく。そこで、配達員が身元を確かめると、コスモメイトの社員だという。
その買い占めに加わった元社員が話す。
「朝、会社に行くと、深見さんが一人一人に十万円から二十万円渡し、日刊ゲンダイをすべて買えと命令しました。私を含め、二十人ぐらいはいたでしょうか。
申し訳ないことをしました。でも、あの当時一部七十円の夕刊紙を二、三百万円分買うのは大変な作業だったんですよ(苦笑)。
深見さんが何を嫌がったのかはよく分かりませんが、商売のやり方とともに、コスモメイトの深見と三十鈴学苑の半田とが同一人物だ、と知られるのが嫌だったのだと思います」
女性たちの訴訟が、新聞、雑誌などで報道されると、深見はコスモメイトの社員や会員(信者)に、
当初は「これは神仕組(かみしぐみ)、神様が僕に(猥褻行為を)やらせたのだ」と神のせいにし、
その後は「事実無根。やったのは俺ではない」と一転して否定し、
最近では動揺する社員に、「一休禅師は弟子たちの前で尼さんを犯して見せたが、それでも弟子たちは不動の精神で辞めなかったぞ」と珍説を説いている。

230宝島30/1993年6月号:02/03/29 18:11 ID:Z32suk6O
修行の内容は省力するが、朝からディスカッションをしても、生活費は稼がなければならない。
当初は健康食品の訪問販売などをして糊口をしのいでいたらしいが、
愛子の兄・植松健税理士の宗教仲間(真光文明教団)である弁理士の栂村繁郎(虎の門特許事務所所長)がスポンサーとなり、
(株)三十鈴を設立し、予備校経営と、ポルノビデオ、健康機器の訪問販売のちに時計の卸を始めた。

しかし、わが深見青山先生は寝ているだけではない。
マンツーマンの直伝の救霊も行う。これは数百万円の単位である。

救霊客に“この救霊ですべてが良くなる”という意味のことを断言してはならない」
「救霊客に“病気が完全に治ります”と断言してはならない」
「なぜ、ここまで細心を期するかといえば、言った通りにならなかった時、“責任をどうしてくれるんだ”と、皇大神社の組織を追求してくる場合があるからです。
たとえば、“言った通り にしたのに会社が大損した”とか、“言われた通りにしたのに結婚できなかった”とか、受験に失敗したりする場合、
複数の人を連れてきて、皇大神社に直談判にきたり、訴訟騒ぎになったりすることも考えられるからです」
語るに落ちるとはこのことだ。しかし、わが深見先生は、こんな指摘では、ビクともしない。決まってこういう。
「無数の悪い霊がくっついているのだから、一回の救霊や秘法だけで救われるわけがありません。
薄皮を一枚一枚はがすように、少しづつ少しづつよくなっていくのです」
「薄皮を一枚一枚」は深見の口癖である。確かに、動物霊があるとすれば動物の数ほどはあるだろうし、個人の先祖だって無限大だ。
両親にはそれぞれ両親がいるから二代遡れば四人、三代前なら八人だ。先祖がネズミ算式に増えることを面白がった堺利彦の『予の自伝』の一節を思い出す。