名古屋市職員専用スレッドPart94

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290非公開@個人情報保護のため
◇副市長に「秘書給与」肩代わりを強要した!◇
◆河村たかし「庶民革命」の正体◆
◇減税日本のまやかし◇
(週刊文春1月27日号131〜133ページ)

市長も議員の給料を下げます!
市民税も10パーセント下げます!
名古屋の河村たかし市長は威勢がいい。
だが間近に接した側近やプレーンが次々離反している。
「ウソつき」「実は弱気」「自分の手は汚さない」……
出直し市長選を前に、知られざる「正体」に迫る。

「十一日の河村市長の定例会見で、大西副市長が辞職すると発表されました。
市長は『副市長が最初から一期限りと決めていた』などと説明しましたが、いつもは同席する大西さんがいないのがいかにも不自然でした。
実際は大西さんが市長に愛想を尽かしたんですよ」
(名古屋市政関係者)

 民主党衆院議員から転身し、「庶民革命」を標榜した〇九年四月の市長選で五十一万票を得て当選。
以後、議会との対立でしばしばマスコミを賑わせてきた河村たかし名古屋市長(62)。
「就任後、話題には事欠きませんでした。
本来の市長給与二千五百万円を自ら八百万円に減額。
年収一千六百万円の市議会議員に対し、議員報酬と定員の半減などを訴えました。
これが否決されるや市長は地域政党『減税日本』を結成し、議会のリコール運動を展開。
この二十一日には市長を辞職する予定で、市議会解散の是非を問う住民投票と愛知県知事選に出直し市長選を加えたトリプル選挙を仕掛けています」
(地元記者)
291非公開@個人情報保護のため:2011/01/24(月) 20:02:26
 今なお市民に絶大な人気を誇るというその河村市長が、自ら民間から抜擢した副市長に三行半を突きつけられたというのはどういうことか。
調べてみると、喧伝される威勢のよさとは裏腹な、「気弱な張り子の虎」の実像が浮かんできた。
 発端は、〇九年の名古屋市長選だった。
河村氏が当初掲げた二大公約は「市民税一〇パーセント削減」「ボランティアによる地域委員会の設置」。
しかし、選挙期間中に「年収八百万円」を言い出したことが、後に自分の首を絞めることになる。

「市長給与を引き下げることは検討していたが、具体的な数字は掲げていなかった。
ある日選対内部で『名古屋は八がシンボルマークなので八百がいい』という意見が出たのを真に受け、街頭演説でいきなり口に出してしまった。
本人は『どえりゃあ評判ええで』と浮かれていましたが、奥さんには、『あんた何を言い出すの』と怒られていた。
当選後は引くに引けず実際に八百万円にしたから、そりゃあ大変でしょう。
税金は議員だった前年の所得にかかりますからね。
元々のケチに拍車がかかり、葬式で香典も出さないし、呼ばれた結婚式に祝儀も持っていかない徹底ぶりですよ」
(当時の民主党選対関係者)

 単なるケチなら庶民革命に相応しい気もするが、市長は大西聴副市長(64) に強烈な泣きを入れたのだ。
「〇九年七月に副市長に就任した大西さんは、同年十月三十一日の土曜日、河村氏の自宅兼事務所に呼び出された。
待っていた河村夫人と、河村氏の高校の同級生だった私設秘書は、こう要求したのです。
『選挙運動などのために私設秘書が二人必要だが、収入が減って苦しいから雇えない。
年に計八百万円の秘書給与をあなたが負担してください。
あと、あなたの個人所有の乗用車も河村がいつでも使えるように役所に置いてください』
 副市長の給与は年二千百万円ですが、そんなことをしたら贈与になるし、違法性が高いから無理だと大西さんはきっばり断った。
もちろん、車の提供も断った」
(名古屋市政関係者)
292非公開@個人情報保護のため:2011/01/24(月) 20:03:20
◇歳出の削減にはやる気なし◇
 ところが、河村氏側はこれであきらめなかった。
「河村夫人らは『あなたが会社か政治団体を立ち上げて雇用する形態にすれば違法じゃない』と迫った。
『私は行政改革をするために副市長になったのであって、政治をするつもりはありませんよ』と断る大西さんに、二人は食い下がり、あまりのしつこさに辟易した大西さんは『わかりました。ではAさんが了承したらおっしゃる通りにしましょう』と退席したのです」
(同前)

 A氏は、大西氏が愛知トヨタに勤めていた頃の先輩で、大西氏を河村氏に引き合わせた人物だった。
「河村夫人が電話したところ、Aさんは激怒した。Aさんは『河村本人は忙しくて電話をする暇もないとさ』
と憤慨していた」
(同前)

 しかし、河村氏側は懲りない。
翌日曜日に副市長担当の秘書課の職員を呼び出して、大西氏を説得するよう頼んだという。
「大西さんは週明けの十一月二日朝、河村市長に一部始終を報告し、こう伝えたのです。
『違法性の高い贈与はできませんが、トップが年収八百万円でバランスが悪いのなら、私は喜んでそれ以下に下げますよ』。
しかし、河村市長は無言だったそうです。自分の手を汚さず、都合が悪くなると逃げる人なんですよ」
(同前)

 大西副市長に秘書給与の肩代わりを拒否された河村氏が頼ったのは、支援企業だった。
河村氏がリコール署名運動などのアシとして使っている高級乗用車は、もともと不動産業者が登録したもの。
運転しているのは同社の元役員で、議会解散請求手続きをした代表者の一人にして「ネットワーク河村市長」の広報担当を務める平野一夫氏。
大西氏が車提供を断った直後の〇九年十二月に、車の名義を平野氏個人に変更している。

平野氏に聞いた。
「会社で乗っていた車を、私が買い取ったんです。
会社は一旦退社して、今は顧問契約を結んで顧問料をいただいています。
車はボランティアで出していて、大きな意味はないですよ」
一見格好いい「給与引き下げ」で悪者議会との対立を演出する裏で副市長に「給与供出」「車提供」を強く迫っていた河村氏。

その実像と虚像の隔たりについて語るのは、〇九年の市長選でブレーンを務めた名古屋大の後房雄教授(政治学、行政学、NPO論)だ。