思慮深い聖職者は今後数週間に渡り、答えを探して苦しむだろう。「本当に賢い人なら、
神は神秘的で、人間がすべてを説明することはできないと言うだろう」と、アーマンは言う。
ラビのクシュナーに言わせれば、自然災害は神の力が及ばない領域だ。
理不尽で説明のつかない苦難に直面したときに重要なのは、信仰を守り、苦しんでいる人々を助けること。
「神の意思はわれわれに災害をもたらすことではなく、乗り越えられる災害をもたらすことだ」と、クシュナーは言う。
ちなみに、ヨブ記に関しても、大半の学者がそうした見解にたどり着いている。
「神秘的な神とともに生きる信心深い生活の奥底に解決策がある」と、
ニュー・オクスフォード注釈つき聖書の解説にも書かれている。
もっとも、無心論者にとっては、「なぜ神は善人を苦しめるのか」という神義論は強力な武器だ。
実際、無実の人々が苦しむ様子を見て、多くの信者が信仰を捨てている。
アーマンもその一人だ。長年キリスト教徒として生きてきたが、
「強大で慈愛に満ちた神が世界を支配しているのに、
なぜこんなことが起きるのかという疑問に答えられなくなってしまった。
古くからの問題で、多くの答えがあるが、どれも違うと思う」
http://newsweekjapan.jp/stories/2010/01/post-930.php