検察庁総合

このエントリーをはてなブックマークに追加
819非公開@個人情報保護のため
当時、聖子が所属していたサンミュージックの相沢秀禎社長は、「ニセモノですよ。だいたい聖子と郷君の恋愛なんて事実無根。したがって、あれがホンモノなんてありえない」と力説していたが、後になってみれば、まさにこの頃、2人は熱愛真っ只中。
そうなると「これがニセモノだなんてありえない」っていうことになるが。

もともと松田聖子は、デビュー前から郷ひろみの大ファン。
同じ福岡県出身というよしみもあり、福岡での郷ひろみのコンサートには必ず足を運び、握手をしてもらったその手を、1週間近く洗わなかったという話は有名だ。

それが、1980年4月1日、「裸足の季節」で自らも歌手デビューすると、郷ひろみはもはや、手の届かない雲の上の存在ではなく、歌番組で毎日のように顔を会わせる同業者同士となった。
しかも、レコード会社は同じCBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)である。

2人はどんなふうに親しくなっていったのか。
一説には、80年、ひろみがNHKのリハーサル室で、デビュー直前の聖子を名指して「彼女、紹介して下さい」とスタッフに頼み、その後、スタッフと3人で食事をしたのが最初だとか。

この夢のようなチャンスを、聖子は確実にものにしようとした。
中学、高校時代から、これっと思った男の子のハートを射止めることにかけては天才的だった聖子のこと、以後は、得意の手紙作戦で彼の心をつかんでいく。

松田聖子は本名・蒲池法子(現・神田法子)。
1962年3月10日生まれ、福岡県久留米市の出身だ。
幼い頃は目が細くてよく太った、お世辞にも器量の良い子ではなかったが、妙におませだった。
入園した幼稚園で若い女の先生に、「先生、キスって知っとる?」と聞いては困らせていたらしい。

成長するにつれて可愛らしさが際立つようになった聖子は、男の子にはとりわけ積極的だった。
小学校6年の時には、意中の彼に想いを伝えようと、ラブレターを何通も書き綴っては、「読んで!」と相手に直接渡した。