●個人情報をさらした奴は許さん●

このエントリーをはてなブックマークに追加
600非公開@個人情報保護のため
・ 晩秋の京の旅路
部活の関係で、京都大学へ遠征にいったときの話です。船酔いにやられました。

晩秋の京の旅路

 「京大遠征は交通費が支給されないらしい。」
このような不吉な噂を耳にした私は、野宿ができる支度を整え、交流会の3日前の
夜、稽古が終わるとすぐその足で京大遠征に出発した。

 私がまず向かった先は、東北大遠征の際にヒッチを行った大谷地の高速高架下であ
る。ここから苫小牧行きの車を捕まえ、フェリーで八戸に行こうという寸法であっ
た。しかし、車は捕まらなかった。1時間ほど粘ってみたが、北広島まで行くという
車が1台とまっただけである。(時間不足を理由に断った)こうなったら小樽から
フェリーに乗ろうと、国道5号線で小樽行きの車を捕まえようとしたが、あえなくタ
イムリミット。やむなく終電で南小樽駅まで行って、そこから歩いてフェリーターミ
ナルに向かった。無念…。それにしてもすごい雪である。

 途中のコンビニで船内食を揃えた後、私はフェリーターミナルに着いた。フェリー
は折りからの悪天候で3時間ほど出発が遅れており私もこのことを見込んで、少し
ヒッチで粘ってから来た。乗船する人もまばらで、2等客室も広々使えた。これから
寝支度を整えようと荷物をいじっていると、近くにいたおじさんが声をかけてきた。
「ヒッチハイクかい?」
どうやら地名がデカデカと書かれたスケッチブックが見えたらしい。
「はい、部活の遠征で…。」
このおじさんはサロマ湖の辺りから来たらしく、関西の方に旅行に行くそうだ。それ
からお互い少し会話を交わした後、私たちを含めた客室のほとんどの人が眠りについ
た。

 翌朝私は、船全体がきしむ音と体が浮きあげられるようなひどい揺れで目を覚まし
た。とりあえず朝食をとろうと、私は、昨日コンビニで買ったやきそばに給湯室でお
湯を入れ、そしてガッツリ食おうと箸をつけた。

 ところがである。別に体調が悪いわけでもないのに、半分ほどの量で食えなくなっ
た。仕方なく残ったやきそばをしまい、地図を見ながらその後の計画を練ることにし
た。しかしその10分後、突然胃がむかつき始めた。そう、船酔いである。私は揺れの
激しい船内をふらつきながら歩き、トイレに向かった。その後部屋に戻ってみると朝
の11時だというのに、室内の客全員が横になっていた。みんな船酔いにやられたら
しい。ロビーの客までも全員ソファーに横になっていた。こうして買い置きしていた
カップラーメンのほとんどに手をつけることなく、私も丸1日横になっていた。
601非公開@個人情報保護のため:01/11/17 23:48
 夜10時半の入港時刻が近くなり、私は身支度を整えながら、さっきのおじさん
や、近くにいたもうひとりのおじさんの3人でいろいろ雑談をした。その中で最初の
おじさんが私に1枚の名刺を差し出した。なんと佐呂間の旅館の経営者だとのこと
だ。
「サロマ湖に来たときは一度寄ってくれ。」
ぜひ行ってみたいと思う。

 いよいよ下船の時間になり、私は他の乗客といっしょにロビーに集合した。京都方
面への足を確保しようと、私は「京都方面まで乗せて下さい」と書かれたスケッチ
ブックを掲げてみたが、失敗に終わった…。

 やむなく私は敦賀のフェリーターミナルで一夜を明かすことになることを覚悟して
いたが、ターミナルの人の御好意で、敦賀駅まで送ってもらえることとなった。
「早朝の始発の特急があるから、ここでしばらく待ってるといいよ。」こうして私は
無事(?)敦賀駅で駅寝することに成功した。先客のホームレスのおじさんの雄たけ
びのようないびきはうるさかったが。

 駅の待合室に通勤客が現われ始めてきたころ、私は敦賀I.Cを目指して駅を後に
した。とりあえず鶴賀I.Cから高速に入ろうという寸法である。しかし、その前に
腹が減ってしょうがなかった。いわゆる「ハラショ」という状態である。そういえば
船酔いで何も食べてなかった。どこかで弁当を買おうとするが、時間が早朝なことも
あって店も多くはしまっており、コンビニの棚も隙間だらけの状態で弁当がない。や
むを得ずそこらの自販機のジュースで腹を膨らまし、バイパスの近くでヒッチを開始
した。

 1時間ほど粘ったが、車の数もまばらで、登校途中の小中学生の注目の的になって
いるので、高速に入るのを諦め、30分ほど歩いて、国道に場所を変えてやってみ
た。すると30分ほどで一台のワゴンが止まった。
「京都までね?」
少し懐かしい訛りで、ドライバーは窓から顔を出して話し掛けてきた。
「はい!」
「はよここ乗れ。」
「ありがとうございます。」

 この人は北九州の門司から仕事で来た人で、帰りに大阪へ寄っていくところだそう
だ。私も福岡の生まれであり、両親の実家も福岡なので、話はそこから始まり、その
人の息子さんが今年大学受験だということや、道路が工事のために混んでいることな
ど、いろいろな話を聞いた。
602非公開@個人情報保護のため:01/11/17 23:48
 車に乗ることわずか2時間で、無事京都駅に到着した。その人と別れた後、新しく
なった京都の駅ビルを見て回って時間をつぶした。駅ビルはそれはそれはきれいだっ
たが、とある人通りの多い広場のベンチで男同士らしき人たちが激しく抱き合ってる
のを目撃してしまって少し萎えてしまった…。

 しかし、そんなことよりも重大なアクシデントが発生した。無事に着いたので、集
合時間を確認すべく、いったんみんなに連絡をとろうとしたが、PHSに一向につな
がらない。そして数時間途方に暮れていた。ちなみにその時、隣で同じく人を待って
いるおじさんと世間話をして暇をつぶした。下手に動けない者同士、やはり1番の話
題は「いつ相手が来るか。」ということであった。

 しばらくして、再度連絡を取ってみると、やっとつながった。しかし、相手方の返
事は、
「7時から30分遅れるから。」
とのことだ。無事連絡は取れたものの、東北大遠征に続いて、またもや待たされるこ
ととなってしまった。(ちょっと不機嫌)

 いろいろなことはあったものの、無事他のメンバーも到着し、京大の人たちの手厚
い歓迎を受けることとなった。


 日曜日、合同稽古の後の昼食会を終えた後、私は他大学の人たちや、うちの大学の
他のメンバーと別れて、1人ヒッチに望むことになる。とはいっても、フェリーの時
間まではまだ10時間もあったので、私は、丁度そのころ開かれていた京大祭や、河
原町で時間をつぶした後、阪急で西京極まで行き、5時半ごろ、国道9号線でヒッチ
を開始した。

 某大学の前の道路の脇で、夜なのでライトを点けながら、またいつものようにヒッ
チを開始して1時間近く、1台のワゴン(だったと思う)が止まった。
「亀山までやけどいい?」
40代ぐらいのおじさんが窓から顔を出した。
そして、私はいつものこの台詞、
「はい、ありがとうございます!」
603非公開@個人情報保護のため:01/11/17 23:49
 この人は、ケルト音楽のバンドのメンバーだそうで、これから亀山の自宅に帰ると
ころだそうだ。車内では、そのバンドの話や、お互いの学生時代のことの話で盛り上
がった。
「舞鶴方面だったら、ガレリアかめおかっていう道の駅に行けば、車がたくさん見つ
かると思うよ。」
1時間ほどのドライブの後、私はこの人のアドバイスに従い、道の駅で降ろしてもら
い、その人と別れた。

 道の駅に着くや否や、私は早速駐車場の車に交渉して回った。1台目を回ってみた
が断られ、止む無く2台目を探していると、
「お〜い。」
誰かと思って振り返ってみると、なんと、さっきの1台目の車に乗っていた人であっ
た。
「舞鶴までだったけ?いいよ、乗せてあげる。」
「ありがとうございます!」

 この人たち(二人連れ)は、道の駅の清掃員の人たちで、仕事を終えて、今から綾
部の方に帰るつもりだったらしいが、そのうちの
1人の50代ぐらいのおばさんの提案で、なんとわざわざ私に付き合って、舞鶴まで
行くことに決めたらしいのだ。
「せっかくだし、若い子とドライブもいいかなって思って。」
そのおばさんは私にこういった。

 私たちは、車内での2時間の間に、実にいろいろなことを話した。京大生の話や、
北海道の話、不況の話など、実にためになる面白い話を聞かせていただいた。そのう
えなんと、途中で焼き肉までおごっていただいた。
「北海道に来ることがあったら是非案内します。」
「そう、その時はよろしく頼むわ。」
そういって私たちは、お互いの電話番号を交換し、フェリーターミナルで別れた。ひ
たすら感謝である。
604非公開@個人情報保護のため:01/11/17 23:49
 夜の11時に出港した小樽行きのフェリーは、着くのは2日後の朝4時である。天
候はよいとは言えなかったものの、大した揺れもなかったので、船酔いもなく平和な
航海となった。ただ、30時間の船旅は退屈だったのと、ウルトラクイズがテレビに
映らなかったのが少し残念であった。

 入港時刻が近くなって、私は行きの時と同じように、ロビーのソファーに座って、
「札幌方面まで乗せて下さい」と書かれたスケッチブックを掲げて、乗せてくれる人
を待った。すると、わずか5分ほどで、とあるトラックの運転手の人が声を掛けてき
た。
「中央卸売市場までしかいかないけどいいか?」
中央卸売市場からなら、私の自宅まで歩いて1、2時間もあれば着く所である。
「はい、ありがとうございます!」
こうして私は船内ヒッチに初めて成功し、そのトラック運転手の人と一緒にトラック
に乗り込んだ。

 この人は、九州から高知を経由して、フェリーに乗りながら、札幌まで魚介類を運
ぶ途中らしい。
「ヒッチハイカーなら今までに何人か乗せたことがあるよ。でも、最近はあまり見な
いな。」
なんとこの人は以前にもヒッチハイカーを乗せたことがあるそうだ。
今回私を乗せたのは、そのことも関係しているという。
「面倒くさいから高速使おう。」
こうして私たちは高速に入ることとなったが、そのおかげで、グシャグシャになった
事故車を目撃することになった…。(しかも次の日の朝刊にそれが死亡事故として掲
載されていた…。)

 車内で、景気のこと、ヒッチハイクのことなどを話したあと、朝5時に無事、中央
卸売市場に到着した。
「忘れ物はないか?」
そう聞かれて確認した後、
「ないです。」
と答えた後、車から降り、そのトラックと別れた。(しかし、後日手袋を片方忘れて
いたことに気づいた…。)後は、雪の深い中を、コンビニに寄りながら2時間かけて
歩き、朝7時に無事自宅に到着した。しかし、それからすぐに2講目の英語(必修)
に出たのはさすがに疲れた。この後私が10時間ほど熟睡したことは言うまでも
ない。

ちょっとした旅行記へ戻る