444 :
お久しぶりです。:
うちの父も、昨年、ガンで亡くなりました。
でも、一切、苦しみませんでした。安らかな死でしたし、安らかな死に顔でした。
とある宗教を信じて、その信仰に勤める理由には、いろんなものがあるでしょうが、
その一つには、安らかに臨終の時を迎えたいというものもあると思います。
死というものは、どういうものなのか、死とどう直面したらよいのか。
しかも、がんだと分かって、その死というものが直前に迫ってくるわけです。
父の心境はどういうものだったのか、分かりませんが、
一切、恐怖や愚痴を口にすることはありませんでした。
父の安らかな死を観て、父は、幸福な人生であったんだなと感じました。
どの宗教を信じようが、信じまいが、生老病死から、免れることなどできません。
問題は、そういった問題にぶつかったときに、どう対処して、
どう、それを乗り越えて、この人生を生きていくことができるか、
それをあらゆる宗教はいろんな角度から説いているのだと思っています。
ガンで死んだから、どうだとか、それは、ちょっと違うのでは?
公表を何故しない?とのことですが、紙面上、紹介されるのは、本当に、
全国の誰もが知っているような場合だけなのでは?
私は西口さんのことは知っていますが、知らない学会員は多いですよ。
世間では、広報室長ということで、知っている方もいたのかもしれませんが。
逆に、学会内部では、表に出てきて何かやっている方ではありませんでしたから。
そうそう。それと、平成9年から室長辞めたというのは、誤りなのでは?
つい、去年くらいでも、朝生で、見た記憶があるのですが。
元々、喘息で、若くして死にそうなところで、入信された方でしたし、
頑健な方ではなかったので、
病と闘いながらの人生であったのでは?と感じています。
そういう意味では、長生きされたのでは、と思います。
また、長生きした方が良いのでしょうけど、
それよりも、人生、どう生きるのか、どう生きたのか、
何を人に対して、社会に対して、プラスとなるようなことができるのか、
しているのかが、大事ではないのか、とも思っています。
たまたま、久しぶりに遊びに来てみました。
それでは。