学会に対する批判にお答えしましょう その3

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371特撮オタ
>夜更かし学会員さん
さらに続きです。

>>343(共産党との激突の原因の考察)
1)電車に乗り遅れてしまった創価学会
戦後直後、「神々のラッシュアワー」と呼ばれる時期があり、各種の新宗教が
勢力を伸ばしました。創価学会は当時理事長だった戸田氏が事業失敗により
逃亡生活を行っていた事、戸田氏の会長就任をめぐり学会内部で戸田派とアンチ
戸田派に割れた(戸田氏推戴派は当時の学会の5000世帯に対して3000名。戸田氏
会長就任後、戦前からの旧理事は学会を去る)事もあり、創価学会の布教開始は
大きく出遅れ、新規の会員獲得は困難な状況にありました。

2)生活貧困層への布教開始
この事から、当時の創価学会は「幸福製造機」論、「お金がかからない宗教」
(当時の会員の負担は多くても年額4000円程度)をテーゼとし、首都圏を中心に
一気に普及してゆきました。また各地方にも支部が開設されるなど、都市型宗教
から全国的宗教へと広がりを見せました。

3)共産・社会主義勢力との激突
この結果とその後の創価学会の政治進出により、同一の普及層を持つ労働組合との
激突が発生しました。労働組合は社会党や共産党との関係が極めて深く、また創価
学会は戸田会長と岸、佐藤、鳩山氏等の保守勢力と親密(岸−戸田両氏は特に昵懇
な関係。鳩山氏は後に離脱)であったので、当時の政治闘争の代理戦争的な色彩も
有していました。