△隠居が問う―民があるじ△

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82隱居
創価学会の池田名誉会長が、
先日聖教新聞紙上にて教育基本法の見直しに
疑問を呈しそれによって公明党議員も
反対していることです。
今の日本の現状を見た時、私は教育基本法の
改正は必要不可欠だと思うのですが、この問題に
ついて貴殿はいかにお考えですか?

<創価学会の池田名誉会長が、教育基本法も見直しに疑問を呈し、併せて公明党がコレに反対という立場>については、知っております。

かつて「革新」を看板に、「革命家気取り」で躍り出た公明党の議員が「気取り」であった、事の裏打ちを示したような出来事であると、ワシは思っております。

池田名誉会長が革命家を自認し、その弟子達が独り立ちして、政界に、或いは、法曹界に、或いは実業家として巣立っていった。詰まり、弟子達の時代になって来た。いかなる世界も、いつまでも、その師匠が前戦に立って、事にあたるという事はあり得ない。

そのこと自体不可能であるし、まして、思想的結実は、国家でさえ「百年の大計」と言わしめるものであり、まして、宗教的思想拡大の事業は、何世代ものタームを要するものじゃなかろうかと思う。

従って、池田名誉会長がその位置を、実践的な革命家から、思想家への道程を辿る事は、何ら不自然でない、とワシは考える。その思想家が、その弟子の思慮に対して、苦言を呈することは、何ら訝しいものでなく、自然の姿である。弟子の浅慮を戒めるのは、師匠の役目。

弟子も思慮の上、改めるのに何ら支障はない。如かしながら、そうした弟子の、行為行動というものが、一体どこに反映されるのかという事を考えると、浅慮な弟子の、行為行動に批判を受けて立つのも、また師匠の役目じゃなかろうか。

「日本は神の国である」と言って、何らその政治屋のセンスを疑う事のない、学者達の、机上の理論で、果たして、今の青少年に未来を託す、教育制度改革が、出来ようものであろうか?ワシも現状の教育制度改革は、疑問だらけである、という認識を持っております。