△隠居が問う―民があるじ△

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609隱居
<加害者の非行少年の尻拭いまで国家がやれとは、私は暴論に近いと思います>

国家は国民の負託を受けて、国家を運営して居る。暴論に近いと仰るが、一般的で日常的に行われておりまする。いわゆる、会社の「引責辞任」、「犯罪者の近親者の道義的責任」などと言われております。国は、国民との間に、契約を結んで居ります。憲法を始めとして、法律を作り、国家を維持するために、国民にこれを順守させる、国民はこれに対して、税を払い、その保障、保護を受けております。

個人の責任能力を超える事項が生じた場合、これを後見して、保障保護するのは、国家の責務じゃと考えます。大人としての人権を持たない少年が、殺人を犯した、どう見ても償いようの無い事をしでかした。迷惑を掛けた国民も、掛けられた国民も国は放置するモノではありませぬ。迷惑を掛けた国民に対しては、国があらかじめ定めてある法律によって、少年法に基づき、いわば負の保障、保護を加える。一方、迷惑を掛けられ国民に対しては、国家としてその管理監督の不備を、保障を以て、加害者と共に、贖罪する。といった、国家と、国民の契約です。考え方です。
例えば、日本人が、ヒマラヤの奥地で行方不明になったとします。日本国政府は、国民を見捨ててはいけません。大使館を通じ、或いは、現地に役人を遣わして、日本人の安否を尋ねることは、国の責務です。国民と、国家との契約による、国家賠償です。その為に、一生税金を払って、日本国で暮らす事になっております、これがワシの暴論です。