△隠居が問う―民があるじ△

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508隱居
<犯罪を犯した少年に対して、どのような方針で臨むべきだとお考えなのですか?>
少年が犯した犯罪を、大人の分別を以て裁くべきであって、大人に成りきっていないと言うか、大人なのだが、どう見ても大人の振る舞いを出来ない社会、そうした「破廉恥社会」を形造って居ることに本当の「根っこがある」と言いたい訳で、あんたいう事も全くその通り、まず世の大人から、反省をせねば、法律を幾ら作って、それに実行を警察や司法に任せたところで何ら少年の非行は減らない。

少年法の見直しをすることは結構かも知れんが、「破廉恥社会」の教科書の中から、出てくる、大層で無責任な法案が、果たして、見直したと言うだけの価値のあるモノかどうか、今のまま行けば、まあ、よくてアメリカ並み、警察官の立ち会いの元で,人間教育をしなければならないような事になる。

破廉恥社会人を生み出した、日本の人間教育観、或いは国家の経済観、或いは、国家観、などというモノが、戦後の経済施策の中で、何処か狂ってしまった。顕著な事は「金に狂った」日本民族。とでも言おうか。更にその上に「似非民主」の教育は、それに輪を掛けてしまった。「おかしいぞ!」と気づきながら、無責任と、エゴと、破廉恥が蔓延ってしまって居る。

まともな感性では恥ずかしいような選挙戦を遣り、当選した政治屋は、まともな感性では恥ずかしいような国会論議に明け暮れて居る。正直者ほど、無知で、貧乏で、強者に虐げられ、虐げられて居ることが、まるで、正直者の責任のように取り扱われて、一向に恥じない「破廉恥社会」。

邪で、強欲で、我が儘で、人を騙して金を儲けて、強者になったモノは、ますます、無知で、貧乏な正直者を虐げて、己の利する処に弱者を利用し、弱者にツケを廻す。
少なくとも、こういったさもしい連中が、今の日本のリーダーシップを自認している辺りを見ると、算数を教えることは出来ても「人間教える」事は無理な話。
こういう破廉恥人間主体の国家教育から、教育をもっと身近に取り戻す必要があるのじゃなかろうか。とか思っております。

姑息な話じゃが、犯罪を犯した少年は、何処までも犯罪者扱いでなく、「教育未習者、或いは、教育不全者」として「教育的指導環境」の中に扱うべきであって、「償い」を主体とした法的な取り扱いは、全く、未熟な者を取り扱う大人の態度ではない、という事をワシは言いたい。被害者の立場になれば、「仇討ち」も止む無しという究極の結論も導き出しかねない、勢いがあるが、精神文明の上からも、そうした主張は通らないことは明らかであるから、これこそ、国家がそうした社会的責任を背負う事である。加害者の責任と、賠償を追及するのみの国家の立場は、こうした社会的な不利益に対して、充分其の少年加害者に代わって、被害者を救済する手だてを持ってこそ、司法の論理と責任にかなうモノである。