△隠居が問う―民があるじ△

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419隱居
国会審議の野党ストライキに、一切の国会機能が停止して居る現状は、与党にも理があり、野党にも理がある。従って、「良識の府」としての議長提案が、比較的公平な立場から示された。内容の如何はそれぞれ有って、不調に終わった。

詰まり、国会における民主主義手続きにおける、「リスク管理」というモノが問われて居るのであって、議長裁定までで、乗り越えられた民主国会というモノは、今まで機能して居ったが、政党ファッショ的、危機が招来した場合、民主主義的手続きを如何いった形で、コレを乗り越えていくのかという、民主というモノの「根本的理解が徹底されて居らない、馬鹿政治屋共の醜態を顕して居ると言っていい。

こうした「民主のリスク管理」詰まり、政権と、民権の明瞭なる、戦いに経験の少ない「封建国家」の日本は、こうした事態を、国民が深刻に受け止めるチャンスもなかった。政治屋が、「民主主義だ、大衆政治だ」という側から、選挙向け用語であることが露呈して居る。

与、野党に「理」は有る。如かしながら、何れの政治屋も、「国民の利する」ところに従うという、民主主義の鉄則に戻り、その目的のために、国会を捉えれば、所詮「国民の使徒」が、こうした我が儘放題の、政治屋稼業で居られるはずがない。

利党、利与党の我利我利、押しつけでは、結局「数が民主主義」と言った、屁理屈しか付けられない、事に帰着するしかないじゃないか。要は、己の利する処に、数多く、民の利する処に「おこぼれ行政」。破廉恥政治屋共の、国会で、踊るのを見よ!