△隠居が問う―民があるじ△

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386隱居
参院の選挙制度改悪は、放置できない。自公の我利我利、就中、自民党の次期選挙の遣り方が露骨すぎて、「良識の府」どころか「自民我利の府」である。

野党議員が欠席する議会で、国政、特に選挙制度を変える法案が、半数を超える議員のストライキの中で法律として通ることは異常じゃないか。而も、政治屋の身分保障に関わる法案を、その国民の代表の半数が欠席する中で、「採決」するという。

反対意見の皆無の中での採決を、果たして採決と呼べるか。「独断にして、押しつけ」の法律であり、民主主義の名を借りた「専攻」である。国民に対して「自公が下す託宣」である。一方で「神の国」を押し付け、一方で「仏教の慈悲」を言う、自公の寝床は、まさしく「神にオカマを掘られた、仏の愛の子法案」とでも言おうか。

まさしく、国民も泣く「破廉恥、神仏国会」である。もし、創価学会が、日蓮の「立正安国」に恥じない議員を押して居ると言うなら、まさしく今、寝床を共にする、自民党に対して、公明党から「諫行」させるのが、支持団体の所以ではないか。「仏の慈悲は、遍く、民のために」在るのではないのか。

民を利する宗教団体の使命があるのではないか。我利我利与党の片割れとして、今自民党にこうした暴挙を諫める力を持たねば、日蓮を神髄とする政治団体の「立正安国論」は、後世に「失笑暗黒」の基となったのは、創価学会の出した公明党という、政治屋共のせいだと笑われ、それは、仏の顔に泥を塗る事になるのではないか。

民衆の支持無き改悪法案に、国民の足を引っ張ることよりも、無益で無能、政治屋職業団体の参議院、そのものを解体させる方が、余程、国民の為になる。