△隠居が問う―民があるじ△

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116隱居
ディスカスさん
ご意見、見ました。教育基本法が政治屋主導の元で書き換えられる、という事には、無理があるのではないか。という事です。国家の意図する教育ではなくて、社会が意図する教育を行う。それじゃあカワランじゃないか、と思われるかも知れんが、何というか、メガエジュケイションから、ミニエジュケイションとでも言おうか、例えば、骨子のみを国家が決めて、自治体ごとに、教育内容を決めていく、というような事で、とでも言おうか。

詰まり、安く、人手を掛けずに、メガ対応で、教育を均一化してきた、教育環境というモノを、もう少し社会に開き、更に、社会が関わっていく事が大事。昔、藩校というのが、在ったが、ここからは、なかなか有為な人材が出て居る。有為でなくとも、少なくとも、その地域を代表するような、見識を備えた振る舞いをそれぞれが行って居る。教育というモノが、隔絶された環境の中で、行われず、生活の中の知識を得るため、いわゆる補助手段であった。

社会人となる上での、総合教育が、其の年齢、成長に応じて、行われていたからじゃろうと思う。勿論、そのままでは、使い物にならんが、一括国家教育で、細部まで国家が関与し、且つその成長ぶりまで管理するような、教育に、子どもの側から拒否反応が出て居る。従って、今の政治屋主導の、学者の机上での教育改革は、抜本的に見直さねばならんし、第一、この教育制度改革の委員の存在は、コレを各自治体単位で選出し、自治体で、起案する位のことが必要じゃろうと思う。

ロボットが人間を生めないように、機械的なレールの上で、子供は育めない。盆栽も、立木も、同じ鎌では刈れない。教育には、金が掛かると同時に、実に手短な人間育成は可能であるのに、それに鎧を被せ、板を張り、複雑にすればするほど、出来てくるモノは、人間から遠くかけ離れた、怪物、という事じゃろうと思う。

たくさんの疑問点が述べられておりますので、徐々に書き込もうと思っております。