創価学会と公明党・政教一体の歴史@

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1政教分離名無しさん
01/04/21(土) 21:16
おおき・みちよし → Home
1. はじめに
2. 戸田城聖における国立戒壇
3. 岸首相とのエールの交歓
4. 政治進出は仏の聖業完遂が目的
5. 政治進出での得失
6. 国立戒壇放棄の意味1.はじめに


いまふたたび“政治の季節”がめぐってきた気配もあるが、あらためて創価学会と政治との関わりについて過去にさかのぼって見てみる必要があるのではないだろうか。そこには、現在のヒナ型がおそらくは見てとれることと思う。
 創価学会が二十年以上も前に捨てた「国立戒壇論」を、いっしょになって捨てた日蓮正宗が再び復活させるかのような法主発言も為されている昨今であるが、故・戸田城聖第二代会長時代の国立戒壇をめぐる動きと政治との関わりを、駆け足でおさらいしてみることとしよう。
2政教分離名無しさん:2001/04/23(月) 01:22
2.戸田城聖における国立戒壇


 戸田城聖における「国立戒壇」とは何だったのか

 創価学会が「国立戒壇」の建立をその最大の目標とし始めたのは一九五〇(昭和二十五)年である。それまでは抽象的表現として「広宣流布」を唱えていたに過ぎず、この時から具体的に「国立による本門戒壇」建立を目指した宗教活動=折伏が活発化し始めたのである。
 一九五〇(昭和二十五)年十一月十二日、第五回本部総会の席上で戸田城聖は学会トップの座=理事長職を辞任し、後任に彼のライバルであった矢島周平(のちに出家し、日蓮正宗僧侶となった故・矢島秀覚)を推し、戸田自身は、
《第二代の会長、第三代の理事長を推薦、推戴、学会の前途を、あくまでも見守って》
いくとして、自らは第一線での活動から身を引くが如く語った。そして、その直後の発言において、
《広宣流布は、仏意であり、仏勅であります。(中略)しかし、国立の戒壇は、まだ建立せられず、現在にいたっております。それこそ、末代にのこされた仏勅といわなくて、なんでありましょう》
と「国立戒壇」について初めて言及したのである。
 これを契機として学会員の間には急速に「王仏冥合」「国立戒壇建立」の思想が浸透して行った。
3政教分離名無しさん:2001/04/23(月) 01:22
 それから半年後の五一(昭和二十六)年五月三日に、戸田は学会の第二代会長として復活しトップの座に着いたが、その就任式の席上で再び「国立戒壇」の必要性について次ぎのように述べている。
《天皇に御本尊様を持たせ、一日も早く、御教書(みきょうしょ)を出せば、広宣流布ができると思っている人があるが、まったくバカげた考え方で、今日の広宣流布は、ひとりひとりが邪教と取り組んで、国中の一人一人を折伏し、みんなに、御本尊様を持たせることだ。こうすることによって、はじめて国立の戒壇ができるのである》
 この段階に於ける「国立戒壇」建立の条件は発言にあるように、「天皇」の帰依や「一日も早い「御教書」の下附(かふ)にあるのではなく、「国中」の人間「みんな」を日蓮正宗に帰依・入信させるということにあったが、これはあくまでも「国立戒壇」建立に到る手続きであって、具体的な方法論は未だ明らかではなかった。
 その方法論が示されたのは一九五四(昭和二十九)年四月二十九日の“一支部一部隊結成式”であった。
 そこで戸田は、
《戦争で負けたということになって、広宣流布は、ずっと早くなってくる。必ずできる。軍隊という、おっかないものがありません。枢密院という、じゃまなものもありません。もう、こわいものは国会ひとつなんです。こうなると、御教書は出る。広宣流布には、もってこいの態勢が整っている》
と述べ、広宣流布を果たし国立戒壇を建立するには「御教書」を必要とするという考えを示した。
 御教書とは平たく言うならば、「建築許可」であるとされるが、それは勿論「国家予算・国費で戒壇を建立」することの「許可」を指していた。
4政教分離名無しさん:2001/04/23(月) 01:23
このパターンはROCKさんですな。
5政教分離名無しさん:2001/04/23(月) 01:24
それでは、その「許可」が出るための要件は何であろうか。
 それが明らかにされたのは同年十二月に行われた“女子青年部第二回総会”であった。
《もし広宣流布がくる、そのときになれば、国会というものが、ひとつの問題になる。
 これは御書にも、『勅宣(ちょくせん)並びに御教書』とあるが、御教書とは、国会の賛成が御教書となる。女性が賛成してくれれば、男の連中はかまわんでも、衆議院ができてしまう》
 ここで述べられていることは、国立戒壇建立のためには「御教書=国会の議決」が必要であり、それには国立戒壇を指示する衆議院議員をそれに必要なだけ当選させなければならないという事である。戸田はこの段階で既に学会選出の国会議員が衆議院に進出することを必然としていたと言える。しかしこの考え方は会長就任式の際の彼の発言と比較したとき、大きな矛盾をはらんでいると言えよう。
6政教分離名無しさん:2001/04/23(月) 01:24

 すなわち、就任式の時点に於ける発想は、「国民全員が日蓮正宗に入信して、はじめて国立戒壇が出来る」というもので「国民全員の入信」が絶対的条件であった。
 それに対し、今回の発言によると「議員を選出し議決を通すことによって国立戒壇を建立する」という事である。それは、国立戒壇を認めない議員や、認める議員には投票しない者、更には投票を棄権する者の存在を必然として認めることになろう。
 たしかに前者の場合ならば、どこからも異議の出る余地は無いかもしれない(全員が信者であるならばの話だが筆者はそれでも、それを無条件で良しとするものではない)が、後者は多数による国教の樹立であり、それに賛成しない(敢えて反対とは言わないが)少数者の意志を封殺するものである。この多数による少数支配が、当然、全体主義的意味合いを持つことは否定できないであろう。
 また、ここでは御教書については説明されているが、「勅宣」については触れられていない。それに触れられるのは一九五五(昭和三十)年三月の鶴見支部第四回総会の場であった。
《人々のなかから国会議員が出て、国立戒壇の請願が出され、国会に可決され、天皇陛下も、また、御本尊様のありがたさを知ってこそ、初めて広宣流布ができるのです。これがためには、なまじっかの闘争では、けっして広宣流布はできない》
 国立戒壇に反対の者はいても、それを除く賛成者と天皇の帰依があれば広宣流布が達成される、という考え方が、やはり就任式の際の発言と相入れるものでないことは明らかであろう。この発言より以後、戸田はこの「国立戒壇論」を機会あるごとに繰り返し、また、そのための具体的な行動を起こしはじめたのである。 (つづく)
7政教分離名無しさん:2001/04/23(月) 01:31

いちりん  
ようするに国立戒壇とは、創価学会の信仰を国教にするということですよね。

しかし、どうして、自分たちの信仰を国教にしようと思っていたのでありましょうか。

それは、そもそも信仰の対象である、尊敬してやまない日蓮という宗祖が、そのように弟子に遺命していたということですよね。

弟子の使命としては、宗祖の遺命を達成することであると思い込んでいた。

そうして、なによりも、自分たちの信仰は最高で真実である。他の信仰では救われないが、自分たちの信仰によってのみ、人類は救われると思い込んでいる。

だから、国教にすることは、すばらしい崇高なことである。
そういう思いこみがあるわけでしょうね。


国教になることの危険性は、たくさんありますが、大きいことは言論の自由が制限されることですね。

つまり、創価学会以外の信仰は、許されなくなる。
創価学会の意思に反した言論は権力によって弾圧される可能性がある。

その危惧が事実としてあらわれたのが、公明党による、藤原弘達氏の著した「創価学会を斬る」という書物の出版妨害事件でした。

なにしろ自分たちは絶対的な正しい、正しいのは自分たちしか射ないと思い込んでいる人たちが政治権力を握るわけだから、こんなにアブないことはない。
8政教分離名無しさん:2001/04/23(月) 01:34
>いちりん
↑誰コレ?
9政教分離名無しさん:2001/04/23(月) 01:34
10名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/24(火) 04:21
良スレッド…あげ
11創価問題新聞アクセス数向上委員会(by注釈の人、委員は私一人):2001/04/25(水) 18:20
失礼・・・・・
創価問題新聞です。

http://www.sokamondai.to/


12政教分離名無しさん:2001/04/27(金) 04:50

ROCK  
> 《広宣流布は、仏意であり、仏勅であります。(中略)しかし、国立の戒壇は、まだ建立せられず、現在にいたっております。それこそ、末代にのこされた仏勅といわなくて、なんでありましょう》

> 《天皇に御本尊様を持たせ、一日も早く、御教書(みきょうしょ)を出せば、広宣流布ができると思っている人があるが、まったくバカげた考え方で、今日の広宣流布は、ひとりひとりが邪教と取り組んで、国中の一人一人を折伏し、みんなに、御本尊様を持たせることだ。こうすることによって、はじめて国立の戒壇ができるのである》

58年に聖教新聞社から出ている『戸田城聖全集』第三巻では
「国立の戒壇」の部分が「本門の戒壇」となっていますね。
もし、「国立の戒壇」と言っているのであれば学会はまた、歴史を
改竄したということになりますね。

13単なるひまじん:2001/04/27(金) 04:55
別に歴史の見直し自体は悪いことではない。
14学会員:2001/04/28(土) 14:45
>>1
今は誰も国立戒壇なんて考えてねえよ。例えば日蓮大聖人御在世の鎌倉時代なら
当時の世情からしてそれもありだろう。でも現代でそんな事出来る訳ないだろ。
どうやって国民の半数の憲法改正賛成票をえるんだ?学会内部でも国立戒壇なん
ざ、とうの昔に明確に否定されてるよ。

資料は読みこんでるように見うけられるが、脳みその中身を更新した方が良い
な。今時国立戒壇めざして、つまり国教化を目指してる学会員なんて1人もい
ねえよ。立正佼成会と勘違いしてるぞ、お前。
15学会員:2001/04/28(土) 14:46
>>1
書き忘れた。細かい事だが「政教」なら「一致」だ。
16政教分離名無しさん:2001/04/28(土) 14:52
>15

「政教一致」と「政教一体」という概念用語があるのは
ご存知?

創価学会と公明党は政教一致というよりも、「政教一体」と
表現した方が的確という説が有力になりつつある。
つまり、公明党の選挙運動が公明党員主導によって行われるなら
「一致」という表現でかまわないが、
公明党の選挙運動は学会員がやっている。公明党員でない学会員が
選挙運動の指揮をとっていたりする。
学会の学会員による公明党の選挙運動であるから「一体」。
17政教分離名無しさん:2001/04/28(土) 15:18
>>16

創価は教の実態を備えていないとの説もある。
営利団体
18トニー:2001/04/28(土) 15:30
>14
「国教化」についてあれこれ騒いでいるアンチがよくいます。
でも広宣流布と国教化って似ているようで全然違うと思います。
国が宗教を定めても意味の無いことだと思います。
民衆の一人一人の幸せのために正しい教えを広めて説くことが
広宣流布であり永遠に続く作業だと思います。
新しい世代が生まれたならまた新たに教えを説かなければ
なりません。私たちも毎日疑念という魔と闘い、自分の中の
弱さと向き合って大聖人の仏法を実践しなければなりません。
国や権力で強制されても宗教は意味がありません。
一人一人が心から納得して自ら手を合わせて南無妙法蓮華経の
題目を心から唱える、自発的に唱える気持ちが無ければ
形式だけならばそれは意味がありませんよね。
形式だけで結局民衆の幸せが目的ではなくお金が目的
権力権威が目的となれば日顕一派や、すでに哲学を失った
葬式仏教と同じ愚行を繰り返すことになりますよね。
ことの本質がわからないからこそ学会に対して政教一致なんていう
とんちんかんないちゃもんをつけたり、意味のない妄想で
自慰的な恐怖で騒ぎ立てたりするのだと思います。
19佐田和成@本物。:2001/04/28(土) 15:33
>>18
質問に答えないで、言いたいことだけ言うな(藁
中立派から見ても、君はちょっといい加減だぞ
20如是我聞:2001/04/28(土) 15:33
 聖教新聞に書いてあったな。(笑)
21政教分離名無しさん:2001/04/28(土) 15:39
思い込みをだらだら垂れ流すのは創価の特徴。
これで全国の人々が被害にあって、怒ってると
いうよりは怖がっている。
22トニー:2001/04/28(土) 15:43
佐田さんって中立派なんですか?
学会員を頭から馬鹿にしているでしょ。
23トニー:2001/04/28(土) 15:45
>21
わかっていただきたいから話しているのです。
思い込みを垂れ流しているのは一部の週刊誌や
タブロイド新聞です。それらの情報を鵜呑みにしているアンチや、
前回落選してしまった某氏らです。
24政教分離名無しさん:2001/04/28(土) 15:48
>22
佐田がちゅうりっぱなわけないよ。
学会員をおちょくるためにここでレスしてんだから。(藁
25佐田和成@本物。:2001/04/28(土) 15:52
>>24
そんなら、アンチ派に回るよ(w
26政教分離名無しさん:2001/04/28(土) 15:54
しかしトニーは久々にキャラが立ってるよ。
ただ喪家のワンパターンと言えない事も無いが、
片山って線も棄て難い。
27トニー:2001/04/28(土) 16:01
片山さんではありません。

こう書くと、また片山さんの自作自演と言われるかも知れませんが、
片山さんがかつて白川のところで展開したような見事な破折は
できません。ただ、心意気では負けないつもりです。
私には確信があるんです。それをなんとかお伝えするつもりです。
28政教分離名無しさん:2001/04/28(土) 16:12
[265] 創価学会と公明党・政教一体の歴史A 01/04/27(金) 04:12
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3. 岸首相とのエールの交歓
「お山でも武運長久祈願をほぼ了承」


 一九五八(昭和三十三)年三月一日に日蓮正宗総本山富士大石寺で行なわれた“法華本門大講堂”の落慶法要には、当初、時の内閣総理大臣岸信介と前文部大臣松永東の出席が予定されていたが、党内事情により欠席し、岸首相は代理として夫人と秘書官であった娘婿の安倍晋太郎を出席させた。
 戸田は当日のあいさつの中で次ぎの様に語った。
《岸先生の名声のある限り、このお山で岸先生の武運長久を祈ろうと思った。これはお山で大問題でありました。
 法主さまに直接私が談判して(中略)だいたい御了承願った》
 戸田は法華講大講頭、創価学会々長という地位と大講堂の寄進という「ムチとアメ」を利用し、日蓮正宗の信者でもない岸首相の「武運長久」を総本山で祈願させようとし、それが大体認められた……この事実は戸田の逝去によってウヤムヤになったが、この事は当時すでに学会と政治権力が緊密な関係にあった事を物語るものである。
 法要当日に代読された岸、松永両氏の祝辞の抜萃は次ぎの通りである。

《  正宗の発展を喜ぶ
           総理大臣 岸 信介

 大導師日興上人がこの地に大法弘通の法基を定め、立正安国の大旗を掲げ、正法広布に努められましたことは、わが国仏教史上に一時代を画したものでありまして、誠に意義深いことと存じます。
 大石寺が日蓮宗門史上に占める位置は今更申しあげるまでもありませんが、六百余年前から富士岳麓の名刹として一般に景仰され、今ここに大講堂の完成を見るに到りましたことは御同慶にたえないところであり、ますますその真価が内外に発揚されることを深く喜ぶものであります。
 現下、思想的にも、道義的にも憂慮を禁じ得ない事象の発生を見ており、祖国再建の途はなはだ峻険であります。宗門の各位におかれては国民が極端な思想に左右されることなく、伝統の道義を重んじ、正しい愛国の精神と高い民族的自覚を堅持して、新日本再建にまい進するよう、強力な布教に努力されんことを切望してやみません》
29政教分離名無しさん:2001/04/28(土) 16:13


《  世界平和の確立へ
          前文部大臣 松永 東
 日蓮正宗は日蓮聖人を宗祖とし、日興上人を派祖とされております。すなわち正応三年日興上人が身延を出でて秀麗富士の麓大石原の地に大石寺を建立されたのに由来しております。(中略)その間僧俗一致して布教活動に努力せられ、今日の教勢を見るに至ったことは各方面の斉しく注目するところであります。
 世界平和の確立は今や世界をあげての重大課題でありますが、今後わが国の尽すべき使命と責任とはまことに大なるものがあります。いわんや国際連合の非常任理事国となった今日われわれ国民は世界的視野をもち高い倫理性にめざめて、この崇高な理念と友愛とに立脚した自覚あり節度ある生活行動をとるものでなければなりません。道徳教育ないし道徳の問題が社会の関心をたかめているゆえんもまたここにあるといえましょう。
 このように道徳的心情を確立することが今強く要請せられるにつけその基底として宗教のになう役割が大きく高く評価されるとともに社会の眼もまたここに多く注がれているのであります。
 貴宗教におかれても深く思いをここにいたされ、大講堂の落成を新たな契機とせられて、更に一層御精進あらんことを希望してお祝いのことばといたします。》
 しかし学会と保守権力とのよりいっそうの緊密な関係は、この発言後約ひと月後の四月二日、戸田の急逝により実現出来なかったのである。(つづく)
30政教分離名無しさん:2001/04/28(土) 16:19
>27
寝言は寝て言え(藁
31政教分離名無しさん :2001/04/28(土) 16:22
>>23
思い込みを垂れ流しているのは第三文明やパンプキンや潮や
創価新報や聖教新聞やグラフSGIです。困ったものです。
32佐田和成@本物。:2001/04/28(土) 16:31
トニー君。時々俺の偽物が出てくることがある。
正体や意図はわからんが覚えておいてくれ。
俺はトニー君を信じているぞ(謎藁

ところでトニー君は片山友一のことを知っているのか。
33トニー:2001/04/28(土) 17:01
ええ、ネット上では松戸末楠さん、片山友一さんが好きな
キャラクターです。堂々としているところが好きです。
やっぱり、折伏は理屈じゃないんですね。気合いなんです。
それを教えてくれるからです。
でも、片山さんは、2chにはほとんど出ていないそうですよ。
ここの片山さんは偽物が多いです。
松戸末楠さんは、今、ヒューマニズムの輪に出ていますね。
もっと活躍して欲しい人です。
34特撮オタ:2001/04/28(土) 17:03
>33(トニー)さん
松戸末楠って複数の人物の共同ハンドルですけど、どのタイプが好き?
35トニー:2001/04/28(土) 17:11
えっ?複数なんですか?

強い松戸さんが好きです。
だって、アンチの誰も勝てないじゃありませんか。
みきえさんとか、まみむさんも好きです。
純粋ですもの。
あれこれクドクド言うよりは実践こそ仏法なんですよね。
36トニー:2001/04/28(土) 17:15
片山さんでも、直気(よくしらん)ではありません。
37佐田和成@本物。:2001/04/28(土) 17:17
そうか!トニーはかつやだったのか!(藁
何しに来たんだお前(藁
38政教分離名無しさん:2001/04/28(土) 17:18
>>27

アレ?ナンカオカシナイ?(W
39名無しさん@お腹いっぱい:2001/04/28(土) 17:20
かつや?
40政教分離名無しさん:2001/04/28(土) 17:21
41特撮オタ:2001/04/28(土) 17:31
>35(トニー)さん
私も落ちますので最後に

松戸末楠軍団の中の一人は成蹊大学の高松教授だったと言われています。
42大王蛇
>22
 変だなぁ。この板で「中立派」と言ったら、かつて現れた
創価馬鹿のハンドルのはず。と言うことで……
>19
 本物ですか?