創価学会は戦時中投獄されたが、初志を貫いた。

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423池田さん
「十二月二十四日に、広島の部隊へ入る事になっていますから、二十三日の夜光で出発します。二十一日と二十二日の二日だけ正一に、兄さん、姉さんと呼ばせて下さい」
正一は肉づきのよい丸顔を赤らめ、大きく瞠っている両眼に、涙を浮かべて、巌さん夫婦の前へ両手をついた。
「ぼくは継母に育てられて、愛情に餓えてたんです。そして性根が歪んで、不良の仲間に入ったこともあるのに、愛想も尽かさないで、今日まで面倒を見ていただいた御恩は死んでも忘れません!」
夜が更けて家の内も外もしんしんと静まりかえっているから、正一が涙を畳へ落としている音が微かに聞こえてきた。おつやはわッ!と声をあげて泣き出した。
「しかし、日蓮正宗の信者として、日本国民の一人として、巌九十翁の義弟として、きっと、恥ずかしくない働きをしてきます!
前線から生きて還れば真先にこの家へ戻ってきますが、生死は、ご本尊様にお委せして、なんにも考えません。お兄さんもお姉さんも、どうか、体を大切にして下さい。
そして貞一さんと一緒に、いつまでも幸福にくらしてください……」
おつやの嗚咽が烈しくなって、巌さんは眼鏡を外し、袂からハンカチを取出した。彼が涙を見せたのは、牧口常三郎に大法に背くものとしてさんざんに急所をえぐられ、
浅薄知識を無残に剥ぎ取られたときに、山茶花が白い花びらを砂利の上に散らしている……牧口の家の門を出て、口惜しさと一緒に涙を落として以来のことであった。
二十三日の午後、巌さんの家で、森田正一の歓送会が開かれた。
牧口常三郎は正一のために総本山からお守りご本尊を御下渡しいただいて、巌さん夫妻や創価学会の幹部と一緒に厳かな勤行をすると、その後、祝いに席の正座に赤襷をかけて坐っている正一に向かって口を開いた。
「森田君、しっかりやってきて下さい。日本の兵隊は勇敢だ。米太平洋艦隊や英国の極東艦隊の主力を全滅させたのは、勿論、作戦も巧妙であったろうが、搭乗員たちが勇敢で、敵の防禦砲火をものともしないで突っ込んだからであろう。
しかし、緒戦の華々しい戦果で安心できる日本じゃない。いや、日本は危ない!」
424池田さん:2001/07/14(土) 07:41
牧口常三郎の声が沈痛に響いて、意外な言葉を聴く……といいたげに、学会の幹部たちは訝りの視線を一斉に向けた。
「日本の政治、経済を論ずるまでもない。日蓮大聖人が弘安三年の五月に、『諸教と法華経と難易の事』と題する一編をしたためられて、
富木殿に与えておいでになるが、その中に、『仏法は影のごとし、世間は影のごとし、体曲がれば影ななめなり……』と仰せられている。残念ながら、今の日本が、まさに、その通りで、体は曲がっており、影はななめになっている!国民の魂を培う教育は、その有力な影の一つなのだが、
この牧口は、永年教壇に立ってきて、絶望に近いものを感じている!」
今日、巌さん夫妻は、出征していく正一の親代わりなので末席に坐っていて、巌さんは銚子を取持って独酌で飲んでいたのだが、この時、
(先生は目のつけどころが違っている!)
彼は感動を覚えて顔をあげ、遠く、牧口の顔を見て、東条内閣が成立して首相の挨拶をラジオ放送で聞いた時、牧口がなんの感想も述べないで無表情で椅子を立ったのが、今、ようやくわかったような気がした。
「現在は、国運が衰えてきたようだけれど、かつては広大な領土を全世界に持っていて、日の没しない国と誇っていた英国と、
逞しい開拓精神と巨大な製産能力とを持っている米国を相手の戦争は、文字通り、前線も銃後も一体の総力戦になる」
牧口常三郎の薄い眉毛の下で炯炯と光りだした目は、緒戦の戦果に酔っているものへ冷水を浴びせる目だった。
「立上がりの一突きで、相手が土俵を割って、それで勝負がつくのは、国技館の相撲だ。死命を制するまで闘争を繰返すことになると、全体の力がものをいう。
緒戦の戦果に安心できない所以だし、この牧口の眼には、華々しい戦果に酔って、早くも、国民の間に、米英を見縊る傾向が現れたのが映っている!」
425池田さん:2001/07/14(土) 08:07
牧口常三郎が烈しい口調でいって、おつやが汲んでだした茶を呑むと、創価学会の幹部たちの中にも、鼻白んで顎を撫でる者、顔を見合わせて首を竦める者などがあった。
「仏法が乱れて体の曲がっている日本、歪んだ影の国民の間に、この傾向がひろがると、真剣なものを奪ってしまって、
国運を賭したこの戦争を、桟敷で酒を呑みながら見物している国技館の相撲のように、戦争は軍部と兵隊がして、国民は高みの見物になる!
それでは勝てない。ことに日本は中国を相手に戦うこと五年で、国力を消耗しており、満を持して欧州の戦乱にも参戦しないでいる米国との力には大きな開きがあると見るのは、具眼者の常識なのだ」
森田正一の両眼が凍ったように光っている。
緒戦の戦果を華々しく輝かしいものに受取り、有頂天になっている者は巷に溢れていて、牧口のように冷静で深刻な観察をしているものを、全然、見ないからであった。
「だから、この大東亜戦争は、一年の後か、二年の後か、それは測れないが、容易ならない難局に突入するであろうが、有難いことに、森田君も、諸君も、この牧口も、大御本尊様の加護をいただいている。
われわれは日本が難局を乗切るために広宣流布に挺身するから、森田君は御本尊様に一切をお委せして、前線で悔いのない働きをして下さい」
牧口が正一に激励の言葉をはなむけ、学会の幹部たちと引上げて行くと、しばらくして電燈がともり、町内の有志や在郷軍人関係の人や隣組の人たちが集まってきた。
426池田さん:2001/07/14(土) 08:29
「正ちゃん!どこにいるの!正ちゃん!」
町会長が乾杯するといいだしたのに、正一の姿が席に見えないので、おつやはあちこちを見て廻り、正一の居間が二階だったので階段を登って行ったが、二階座敷の電燈の明かりが射している廊下が見えた時、一瞬、階段に釘付けになり、あわてて下りてきた。
「正ちゃん、机の引出しの整理を忘れてたらしいんです。間もなく、下りてきますから……さあ、一つ、どうぞ……」
おつやは町会長の前へ行って弁解して酒を勧めたが、彼女が階段を登って行って見たものは、今日、印刷会社の事務所から手伝いに来ている雪子が、赤襷ををかけている正一の胸へ取り縋って泣いている姿であった。
「姉さん!ちょっと相談があるんですが……」
正一が追いかけるように二階から下りてきて、お料理のことを勝手で指図しているおつやに、今迄に見せたことのない、なにか、迫っている……真剣な顔でそういうので、誰も入ってこない居間へ連れて行くと、正一は顔を真赤にしていった。
「姉さん!ぼくは雪子さんに恋をしたらしいんです!」
「まあ!」
おつやは細い眉を弓なりにしている。
「今、雪子さんに泣かれて、それが判ったんです!兄さんや姉さん、貞一さん、それに雪子さんも待ってくれている日本を護るために、正一は命をかけて戦います!
後で、兄貴に、正一が恋をしていたことをいって下さい!」
正一は無邪気な子供のような顔になって、おつやに打明けると、急いで居間を出て行き、間もなく、広間の方から、町会長が音頭を取る声が聞こえてきた。
「森田正一君、万歳!」
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以上、聖教文庫26 戸田城聖著「人間革命(下)」104ぺージ〜109ページ。