1 :
ひゃっきまる:
僕の関心は、以下の四点です。
1・牧口会長の思想・哲学とはどんなものだったのか
2・牧口会長は、なぜ日蓮正宗を選んだのか
3・なぜ創価教育学会という組織を発足させたのか
4・牧口会長が今の創価学会を見たら、賞賛するのか、激昂するのか
まず、これらに関心をもった動機について説明します。僕は、創価学会員ですが、創価学会の教義、行動には疑問をもっています。この板ではアンチ創価学会としての立場をとっています。
僕は創価学会員に対し、狂信的で独善的で、本当の自分の考えを持たない、という印象を持っています。しかし、数は少ないけれども、全くそのような印象を受けない学会員がいることも事実です。
人徳に優れ、自分の判断で納得してから行動し、創価学会の見解を鵜呑みにしたりせず、自分自身の力で組織を改革しようとの気概をもった人達です。折伏にしても、高校の頃の名簿を引っぱり出して順番に電話をかけるなどということはしません。学会活動よりは自己実現のための行動(勉学など)に重きをおくようです(場合によりますが)。折伏などしなくても、周りの人は自然にその人を尊敬し、その生き方を見習います。
こうした人達に共通してみられる特徴があることに気づきました。彼らは、もちろん教学などの勉強も熱心なのですが、「牧口会長」と、その思想に対する関心が高いようなのです(特に教育関係者に多いように感じます)。創価学会全体のムードでは、牧口会長は歴史的礎となった、という以上にはさほど重要視されないだけに、彼らの態度は対比的に感じられます。(といっても、彼らの人間性の高さが牧口会長の思想と関係あるかどうかは早計には結論づけられません。むしろ、彼ら個人個人での資質・環境に依ると考える方が自然ですから)
以下から、1〜4を順に説明していきます。
2 :
ひゃっきまる:2000/06/22(木) 15:36
1・牧口会長の思想・哲学とはどんなものだったのか
哲学者であった牧口会長の「価値論」に代表される諸々の思想は、日蓮仏法とは無縁に、独自に発想されたものだと思います。それがどんなもので、なぜ日蓮仏法とつながっていくのでしょうか?
2・牧口会長は、なぜ日蓮正宗を選んだのか
二代からの会長と違って、牧口会長は、いかなる先入観もなく、白紙の状態から日蓮正宗のみを選んだはずです。あまたある、「我が宗教こそが唯一」と叫ぶ宗教の群の中で、なぜ仏法を選んだのか、また、なぜ他の日蓮宗ではなかったのか。1の疑問とからめて考えてみたいところです。
3・なぜ創価教育学会という組織を発足させたのか
これが最も重要なのですが、もし単に日蓮正宗の在家組織としてだったら、こんな名前をつけないと思うのです。「創価(価値を創る)」という名前には、牧口会長独自の思想が感じられるし、「教育」とあるところからも、単なる宗教団体ではなく、もっと大きな、全く新しい概念をもつ組織をつくろうとしていた、ということが分かります。
4・牧口会長が今の創価学会を見たら、賞賛するのか、激昂するのか
牧口会長の発想として、「善人は一人でも強いから、群れない。悪人は弱いから、群れる。その結果、悪人が強くなってしまい、善が行われなくなってしまう。だから、善人も結集して、悪の集団に負けないようにしよう」というのがあります(うろ覚えです。間違ってたら訂正して下さい)
だとすれば、「組織」というものは、善を遂行するための手段でしかなく、「組織」そのものに絶対性や、宗教的価値があるということにはならないのではないでしょうか? とすれば、法華経に帰依させる、ということと、創価学会に入る、ということをイコールとしている、今の創価学会の認識とは異なるということになります。
また、「組織」は手段以上のものではない、という認識があれば、ここまで創価学会は独善的にならないと思うし、組織の自浄能力ももっと正常になると思います。
牧口会長が今の創価学会に対してどう思うのか、非常に興味があります。といっても、この疑問は、まず創価学会の現状というものを正確に把握してからでないと考えられないので(僕は今のところ、創価学会は組織としておかしい、という認識をもっていますが、もちろん反対意見もあるでしょう)、一番最後にとっておきたいと思います。
恥ずかしながら、僕は牧口会長の著作を読んだことがありません。これから読もうと思っているのですが、なかなか時間がとれません。ですから、僕から一方的に教えをこう、という形になってしまいます。上の4つのことに関して、考えのある人はぜひ、お答え頂きたいと思います。といってもしばらくは現れないと思うので、当分このスレッドをあげ続けることにします。(「続・日蓮って」スレッドをメインの活動場所にしたい、という事情もありますが)
牧口会長について全く知らない人でも、以上のことについてなんらかの感想があれば、ぜひカキコして下さい。
3 :
古い時代の学会員:2000/06/22(木) 16:26
4 :
文底:2000/06/22(木) 18:57
ひゃっきまるさん
早速伺わせて頂きました。
ひゃっきまるさんが新たに問題提起された「牧口初代会長の思想」は私自身も興味がありますので、又色々発言させて頂きます。
まだ、私自身、牧口氏に関しては、意見を論ずるほどの知識は持ち合わせておりませんので「古い時代の学会員」さんが掲示された、板などを拝見させて頂いたりして、勉強させて頂きます。
このスレでのひゃっきまるさんの御活躍、楽しみにしております。
このスレッドにおいても宜しくお願い致します。
5 :
ひゃっきまる:2000/06/22(木) 22:16
>古い時代の学会員さん
すぐに役に立つアドレスを提示して頂いて、ありがとうございます。読んでみて、牧口会長はやはりまぎれもない偉人であったと思いました。著作の現代語訳は出版されているのでしょうか?
学生部から池田名誉会長の著作をたくさん頂きましたが(名誉会長からの贈呈という形で)、牧口会長に関する本ももらえたらなあ、などとずうずうしいことを考えてしまいました。
>文底さん
さっそくのお越し、ありがとうございます。
創価学会の思想として、日蓮仏法と、創価教育学体系という二つの側面があります。
両面を見なければ創価学会を理解することにはなりませんので、このスレッドを通して勉強していきたいと思っています。
牧口会長が見た、宗教の理想、これからの世の理想、に対する考察は、もしかしたら文底さんの疑問に答えるものなのかも知れません。
今後ともよろしくお願いします。
6 :
間違ってたらごめんなさい:2000/06/22(木) 23:20
戦前の日本文化が好きで、色々読み漁って得た知識なので
うろ覚えですが、書きこみますね。
牧口氏は学校の先生でした。大正の頃個人の趣味?として
学校へ行けない子供達に読み書きを教えていらした。
その中には後に水平社運動に関わるひとたちもいたそうです。
すべての子供たちに公平な教育を望んだ方だったみたい。
大正時代はのんきに見えて、実は軍の締め付け、言論統制が厳しく
しかも旧幕の偏見が残っていたので
牧口氏が「目には目を」的な日蓮にいったのは心情として解ります。
わたしも個人的には牧口氏の創価教育学に敬意を表します。
やはり池田学会と牧口氏の教育学は全くちがう。
戦後の日本の混乱の中で変質してしまったと思うし、今の学会を
見てると、牧口氏が可哀想でなりません。
わたしは学会員ではありませんが、心ある学会員の方にがんばってほしい。
長々と失礼しました。
7 :
ZEGA:2000/06/23(金) 00:23
「価値論」も「創価教育学体系」も、レグルス文庫から出版されています。
価値論の後半で、なぜ日蓮仏法の実践が必要なのかということについての記述があります。
端折って説明するほど長いものではないので(三日で読める)、ぜひ著書をご一読なさって下さい。
生協1階の創立者コーナー近くにある筈です。図書館にもあるでしょうし、創価教育学についての講義もある(実はあんまりお勧めしませんが……)なにより創価教育学研究会というクラブもあるわけですから、ひとつ遊びに行ってみては如何でしょう?
学会員とはなるだけ関わりたくない、というのなら止むを得ませんが。
また、「人間革命」の中でも、なぜ戸田二代会長は恩師である牧口常三郎の創立した「創価教育学会」から「教育」の字を除いたのか?という問いに対する答えが見つかるはずです。
8 :
名無しさん@1周年:2000/06/23(金) 00:35
私の蔵書の中に『略解・創価教育学入門』というものがある。
牧口常三郎原著、窪田正隆略解、東京精文社刊。
窪田正隆氏が学会員かどうかは不明だが、あとがきによると、
牧口氏が西町小学校・白金小学校の校長をしていたときに、
訓導として招かれ、牧口校長の下で教職に従事した人のようだ。
この本には、彼の代表的著作『創価教育学体系』に対する、
田辺寿利氏、新渡戸稲造氏、柳田国男氏の献言が載っている。
年譜などを見ていて興味深いものの一つに、
当時の東京市助役・前田多門氏との関係がある。
牧口氏は、一部権力者の暗躍によって左遷されるものの、
前田助役の尽力で、白金小学校の校長に就任している。
ちなみに、この前田多門氏の息女が、『生きがいについて』や
『こころの旅』等の著作で有名な、精神科医の神谷美恵子氏である。
9 :
少数派だな:2000/06/23(金) 00:36
1、ご自分の目で確かめた方がいいでしょう。
2、第三者(確か記者だったと思う)の紹介で、高校の校長で正宗信徒の三谷さんという人に会い折伏されました。
3、自分の理想とする教育理念を追求するためではないでしょうか。
4、牧口氏は少数精鋭を好んでいました。文献に残されております。肥大した組織を売りにするような折伏を肯定するとは思えません。
価値論は柔らかめな文体です。しかし、戦中の大善生活実証録は論調が厳しい。当時の世相を考慮する必要があります。
10 :
ひゃっきまる:2000/06/23(金) 02:48
みなさん、情報と感想、ありがとうございます。
>6さん
>わたしも個人的には牧口氏の創価教育学に敬意を表します。
僕も牧口会長は、教育者として、哲学者として、一般に評価すべき人物であると思います。聖教新聞の内容や、会員の行動によって、創価学会はカルト宗教団体である、という誤解をもたれるのはもっともだと思うのですが、そのために創価教育学までも偏見の目で見られるのは惜しいと思います。
>ZEGAさん
来てくれてありがとうございます。さっそく「価値論」、「創価教育学体系」を購入して読んでみようと思います。創価教育学についての講義があることは知っていたのですが、他の講義との関係で今までとれずにいます。創価教育学研究会なるクラブの存在も知っていましたが、ロビー展示や、創大祭(文化祭)の展示を見て、具体的には言いませんが、不審感を持ったので接触を持とうとは思っていません。
>9さん
>4、牧口氏は少数精鋭を好んでいました。文献に残されております。肥大した組織を売りにするような折伏を肯定するとは思えません。
失礼ながら、ひっかかった部分だけ、お聞きしたいと思います。少数精鋭、という意味では、現在の創価学会は少数の人間が全体の方針を決めている状態であると思います。また、日蓮仏法の性質上、むしろ組織は巨大である方が目的にかなっているのではないかと思うのですが、どうでしょうか?
11 :
名無しさん:2000/06/23(金) 06:15
牧口会長は戦中に国家神道に迎合せず、日蓮大聖人の仏法を国家が信仰しなければ
国が滅ぶ主張され、今は創価学会が捨てた国立戒壇論支持し、このために不敬罪で
特高警察に逮捕され獄死されました。ちなみに戸田会長も国立戒壇を支持してます。
かの池田大作会長もかっては国立戒壇を主張していましたが、共産党より憲法違反と
追求され国立戒壇論を放棄しました。
牧口会長は創価教育学会の教育理念として日蓮大聖人の仏法を根本にしたのです。
戸田会長も日蓮大聖人の仏法を根本にしていました。かの池田会長も会長就任当時は
日蓮大聖人の仏法を根本にしていました。しかし現在の池田会長の姿を見るととても
仏法を根本にしていると思えず池田教になっています。牧口、戸田の両会長が見たら
嘆き、悲しみ、憤ることでしょう。
最後にこのことを上げるときりがないのでこのへんで終わらせて下さい。
12 :
9:2000/06/23(金) 09:03
ひゃっきまるさんへ
とにかく文献を読んでみてよ。
少数精鋭とは上意下達のことではありませんよ。
一人一人の自立です。たとえどんなに組織が大きくても。
目的は巨大な組織に属することではないし、組織を巨大化させることでもありません。
13 :
ひゃっきまる:2000/06/23(金) 20:09
>9さん
失礼しました(^^; 文献を読んでから再度質問させて頂きます。
1、2の文章では勘違いしていたのですが、「価値論」「創価教育学体系」は、日蓮仏法に触発されて書かれたもののようですね。
ところで、今まで頂いたレスでは、現在の創価学会に対する肯定のスタンスをもった人がいないようですね。反論も聞いてみたいです。
14 :
ひゃっきまる:2000/06/23(金) 20:59
>11さん
>かの池田会長も会長就任当時は日蓮大聖人の仏法を根本にしていました。しかし現在の池田会長の姿を見るととても仏法を根本にしていると思えず池田教になっています。牧口、戸田の両会長が見たら嘆き、悲しみ、憤ることでしょう。
長文になってもかまいませんから、11さんの思うところを知りたいと思うので、お願いできませんか。
決して皆さんのことを言っているわけではないのですが、どこの世界でも、「昔は良かった」という主張が出やすいものだと思います。今と昔では状況が違うのだから、組織のあり方にも変化があるのは、僕はむしろ当然と考えています。要は、根本を忘れていないか、とか、目的にかなっているか、という部分ですね。その辺をぜひ詳しくお伺いしたいと思います。
また、今の組織が悪くなってしまったのは、何が原因だったのか、予想程度のことでかまいませんから、お伺いしたいのですが。
15 :
名無しさん@1周年:2000/06/23(金) 21:07
今の学会が悪くなったのは池田大作のせいでしょ。
創価学会内の権力を掌握し会長になり、
常に一番強い影響力があったのは池田のハズです。
功績もあれば間違いもある。
いずれにせよ、ミスリードの責任は免れません。
ただし、現在の創価学会、池田の方針が正義であり、
間違っていないのであるとの主張であれば、その功績は
池田のものでしょう。
現在の学会を非難する人にとっては、池田の功績は、
池田の間違いとなります。指している部分は一緒。
16 :
ひゃっきまる:2000/06/24(土) 12:42
>15さん
ミスリードとはなんでしょうか?
17 :
名無しさん@1周年:2000/06/24(土) 16:23
age
18 :
名無しさん@1周年:2000/06/24(土) 19:38
age
19 :
名無しさん@1周年:2000/06/24(土) 19:57
関係ないですけど
今、20:01
公明党のくそがき
まだ、演説してやがる>うるさくてしょうがない
頼むから一度頭の中を洗ってきてもらえ!!
うるせぇ〜〜
20 :
名無しさん@1周年:2000/06/26(月) 13:07
age
21 :
名無しさん@1周年:2000/06/26(月) 13:44
>19 書き込みの時間をよくみてね
22 :
名無しさん@1周年:2000/06/26(月) 15:24
>19
まぬけなので、つるし上げ
23 :
名無しさん@1周年:2000/06/26(月) 15:30
4分ぐらいまけてやれ
24 :
名無しさん@1周年:2000/06/26(月) 15:56
学会内部にも冷静な批判者がいるの感心して読んでるんだから、
あらさないでくれよ。
25 :
名無しさん@1周年:2000/06/26(月) 19:19
21,22,23>
すんません
デスクトップの時計が進んでました
陳謝致します
でも、判ってください
この「反挿花」の心を!!
26 :
名無しさん@1周年:2000/06/27(火) 14:23
27 :
名無しさん@1周年:2000/06/27(火) 15:18
ひゃっきまるさん みなさん
興味深く読ませて頂きました。
学会の内部の方だそうですが、私が出会った学会員とは随分違う視点で冷静に学会を
見ていらっしゃるのですね。
私もかなりアンチ創価学会だったのですが、ここを読んで随分見方が変わりました。
初代牧口会長のことは「人間革命」でちょっとしか触れてないので知らない事が
沢山ありました。
今はもう会員ではないですが、自分が所属していた団体の初代の思想を知ることが
できてよかったです。
それだけでも、この団体に属していた価値があります。
今後のご活躍 楽しみにしてます。
28 :
ひゃっきまる:2000/06/27(火) 19:23
>24、26、27さん
ありがとうございます(^^)
なんだか今、「日蓮って」スレッドがいそがしくてあまりこっちで書き込みできません(まだ著書を読んでないというのもありますが)
牧口会長のことに関してだったら、自由に発言してスレッドをお使い下さい。
29 :
名無しさん@1周年:2000/06/28(水) 01:21
age
30 :
ひゃっきまる:2000/06/29(木) 22:55
以下は「日蓮って」スレッドで進行中の、僕(ひゃっきまる)とZEGAさんの議論の転載です。この議論の経過をもっとくわしく知りたいと思う方は、同スレッドで
113(Z)、122(ひ)、144.145(Z)、162(ひ)、164(ひ)、185〜187(Z)、186(Z)、189(アルフさん)、191(ひ)
を御覧ください。
諸事情により、以下の議論をこちらで行いたいと思います。なお、僕の意見、ZEGAさんの意見、双方とも突っ込みどころがたくさんあると思うのですが、その反論とするところを感想や一言レスのような形ではなく、論理的に、しかも議論の流れに沿う形で述べてくださると、スレッドが混乱せずにすみます。
31 :
ひゃっきまる:2000/06/29(木) 22:56
[論点1/創価学会の組織の正常さについて]
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(ひゃっきまる)
ところで、以前ZEGAさんは、「創価学会の全てが正しいとは思っていない」と言われましたが、どこからどこまでが正しくて、どこからは間違っているのでしょうか? 末端信者は基本的に上層部の意向に従うし、出版物などの仏法を解説するものも上層部から来ているわけですから、上にさかのぼるほど正しさが増す、というのが自然な考え方だと思います。自分の判断で仏法を理解することは独見、我見と呼ばれますよね? 例によって(^^)これだけ予想してみました。
1・仏法は正しい
2・池田名誉会長は正しい
3・秋谷会長は正しい
4・本部直属の幹部は正しい
5・部長クラスの幹部までは正しい
6・池田名誉会長以外は全て間違っている可能性をもっている
7・あくまで御書を自分なりに理解するしかない
8・部分的に間違っているところがあるにしても、「全体の目的」としては正しい
9・行為自体は間違っているかも知れないが、何をやっても結果的に正しくなる
(ZEGAさん)
あくまでも程度の問題なので、Yes or Noで答え切れる性質のものではありませんが、一応参考まで。
僕の見解としては、
1、8がYes、
2、3、6は100%ではないもののYes(人間ですから)
4、5も人による(「幹部」でひとくくりにされても困ります)
6はNo、
7は最終的にはYes、但し、信行学の実践が磐石であれば、の話で。
9は、「大善は小悪に勝る」との見地からすればYesですが、ケースによるでしょう。
しかし、本来、学会員に上も下もありません。人数が多すぎて統括できないので、便宜的に役職を設けているだけで、人としての価値は役職では量れません。
上層部といっても、最初は役職がない普通の学会員ですし、教学の解釈に関しても、「上の人間が納得するから自分も納得する」などということは有り得ないでしょう?
(ひゃっきまる)
このお答えでは、やはり創価学会のどこまでが正しくて、どこからが間違っているのか、というのが見えにくく思います。人間だから誰しも間違いはある、というのは、それはそうでしょうが、では、正しいか否か、という判定はどこに存在するのでしょうか?
僕は、「考えることはしないが、活動は真剣にやる」という学会員がどんど ん上の役職にまでのぼりつめて、下を指導する立場になった場合、非常に恐ろしいと思うのですが。(実際、幹部の中にそのような人がいるとは思えませんか?)
「上の人間が 納得するから自分も納得する」ということはありませんが、「上の人が言ったことがそれらしく聞こえ、自分の考えや経験による検証なしに信じ込んでしまう」という現象は容易に起こりうると思うのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
32 :
ひゃっきまる:2000/06/29(木) 22:58
[論点2/創価大学の正常さについて]
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(ひゃっきまる)
そもそも牧口初代会長は、「教育」という観点から「創価教育学会」を創設されたのであり、今でも学会の中では「教育」を重視する声が高いです。しかし、それを理想的に行うべく仏法を基調にして建てられたという創価系の学校で、牧口会長の構想と似ても似つかぬ洗脳教育、無思考教育、あげくの果てに自分の人生の目標を創価学会のために尽くすこと、との考えを吹き込まれ、本部職員になるのでは、一体何のための学校なのでしょうか?
創価系の大学には多額の寄付金が送られています。それゆえに他の私立の大学に比べ、教授陣にしても、施設にしても、すこぶる豊かな状況といえるでしょう。寄付金の出資者は、心から創価大学が比類ない素晴らしい大学だと信じています。また、入学者の両親親族も、そう信じているからこそ、子供の入学を喜びます。聖教新聞には連日のように創価大学は最もすばらしい大学である旨が報じられていますが、実際卒業されたZEGAさんなら、どれだけ報道と実態がかけ離れているか実感されたことでしょう。
こういった状況は、避けがたい仕方のない状況なのでしょうか? 僕は決してそうは思いません。組織の指導の方向性がこのような状況を生み出していると思っています。
(ZEGAさん)
創大の学生部について、手前勝手な考察を述べますと、まず、活動にのめりこむことで、一心に一つのことに打ち込むことの楽しさが得られます。気の合う友人とも会えるし、功徳も積むことが出来ます。
また、真剣に考えるということは多大な労力を要します。学生ですから、本分である勉強が第一ですし、教学のポイントは大白蓮華、先生のスピーチ、幹部指導などでつまみ食いすることで代替出来ます。僕は興味があったから教学を齧っていますが、面白くなければやりたくないのが人情でしょう。
こうして、「考えることはしないが、活動は真剣にやる」学生部員が出来てしまうのではないか、というのが持説です。
活動は一途だが、言動にいい加減なところがあったり、過激な行動に及んだりしてしまうタイプの人というのは確実に存在すると思います。しかし、こうした人が一番折伏をしたり人を引っ張る力があるという面もあります。
まずいところもあるが、頑張っているのも事実、しかしやっぱりまずい……こうした人に注意や警告を与えれば、活動全体が失速する……痛し痒しだと思います。以前、プチダノンのCMで、「アッタマばっかりでもカッラダばっかりでもダメよね」という宣伝文句があったのですが、けだし名言だと思うのです。
ただ、教学を学び、人格を陶冶し、題目をしっかりとあげてから活動を……なんてやっていたら埒が開きません。いわゆる「見切り発車」です。頭で分かっていなくとも、活動することにより功徳が現れる(功徳の是非についてはまたいずれ)ので、それは正しい方向付けと思っています。
創価大学はやはり崇高な理念を持ち、教育を施していると思います。「創価大学が」学生を盲目化させるような方向付けを行っているとして、それは例えばどのようなことなのでしょうか?僕の通った4年間で、そうしたことは一度も目にしたことがありません。「創価大学学生部」と、「創価大学」を混同されて いるのではないでしょうか?
学生が質を下げるような行動をしているのは残念ですが……。学生個人としてのあり方は、本質的には実にその個人によってしか決定されません。こうした傾向に危惧を抱くものではありますが、これが創価大学のせいであるとされてはたまりません。同じ信心をしている学生でも、非常に理知的かつ精力的に学会活動をしている人間もまた確かにいますよ。
33 :
ひゃっきまる:2000/06/29(木) 22:59
(転載の続き)
(ひゃっきまる)
では、創価大学の、他の大学とは違う、優れた点とはなんでしょうか? 僕は、大学の具体的方針(これはつい最近決まりましたね。今までなかったのは なんだったのでしょう)、講義、などは、他の大学に比べ、際だって特徴的なところはないと思います。(学生の不真面目さなどはおそらく他の大学でも同様と思います)
創価大学の特徴は、明らかに「創立者(池田名誉会長)への思い」という一点です。事務、経営者側ではそれを利用して(というと嫌な言い方になってしまいますが)学校をよくしていこうとしているし、実際それが(良くも悪くも)創価大学の、他の大学には見られない特徴ではないでしょうか?
そして、多くの教授らは、その部分で眉をひそめています。学校の種々の催しが、宗教的意識によってなされているからです。これが良いことか、悪いことか、というのは意見の分かれるところだと思いますが、僕は、少なくとも「大学」として誇れるものではないと思っています。何かの間違いで創価学会員でない人が入学してしまったとして、創価大学を大学として評価できるとはとても思えないのですが、どうでしょうか。
宗教的意識の中で大学生活を送ることは、「学問の目的」を見失わせることになる、というのが僕の考えです。なんのために、と聞かれたとき、「池田先生のために」と答える人は、けっこういるのではないでしょうか。(これが創価大学の三指針と異なってしまうのは奇妙な現象ですが)
結局己の生き方は己次第である、というのは正論でしょう。そして、信心も学問も、僕には及びもつかないほど立派な人が創価大学にいる、ということも知っています。しかし、それはそれとして、大学が正常に機能しているか、というのを見過ごして良いという理由にはなりません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
34 :
ひゃっきまる:2000/06/29(木) 23:02
念のため、同じ内容を書くことになりますが御容赦ください。
以上は「日蓮って」スレッドで進行中の、僕(ひゃっきまる)とZEGAさんの議論の転載です。
諸事情により、以上の議論の続きをこちらで行いたいと思います。なお、僕の意見、ZEGAさんの意見、双方とも突っ込みどころがたくさんあると思うのですが、その反論とするところを感想や一言レスのような形ではなく、論理的に、しかも議論の流れに沿う形で述べてくださると、スレッドが混乱せずにすみます。
よろしくお願いします。
35 :
名無しさん@1周年:2000/06/30(金) 12:19
36 :
ひゃっきまる:
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