日蓮って ver.24

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836名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/14(土) 00:07:54.16 ID:I/SGtz5i
>特定の境界になることはない

これが仏界である、とは法華経は教えないのですか?
837名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/14(土) 00:13:54.77 ID:I/SGtz5i
>>835
結局解釈で無理矢理納得しようとしているだけですよね。あなた。
838名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/14(土) 00:26:55.65 ID:6VwNHXOh
>>835が述べていることこそ、まさに空理空論そのものですね。
839名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/14(土) 07:54:54.15 ID:hC+UoXS0
>>834
法華経経典についてはこうよ。

天台・真言・浄土宗 → まったく読まないし、興味もゼロ。

禅 → おバカ経典の代表として、たびたび突っ込みの
     対象になっている。

日蓮教 → 方便品、寿量品の二つをちょっち読んだだけで、
        自分たちは法華経マスターになったような気分に
        洗脳刷り込みをされている。

日蓮さま → 安楽行品にある四つの行法のうち、四番目の
         営業のみやってて、一から三番目の行法を
         まったくやっていない。というかむしろ正反対の
         ことばっかやってる、じっさいは反法華経の
         にせもの法華経行者です。
840名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/14(土) 07:57:57.05 ID:cX8I0wuZ
“森羅万象の実相”って、誰が一番最初に言ったのだろうか?
“諸法実相”とは釈迦がこれまでに説いてきた教えの諸々の法のことをいうのだと思うのだが。
そんで、「方便品」というのではないか?
まぁ、法華経内容からしてそうだと思うのだが。
841名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/14(土) 09:10:09.81 ID:KpuNyCvM
>>839さんの要約は的を射ていると思う
842名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/14(土) 11:00:48.55 ID:AZ87j26/
>>840
バラモン教の凡「ブラフマン」は宇宙の真理と言う意味だそうだが、
これなんかは森羅万象の実相と解釈できる。
梵我一如とは、ブラフマンと個人の我とは一体であるというもの。

仏教と良く似ていると思う。
仏教では、森羅万象の実相は無相であるとし、故人の我は無我を我とすると教える。
無相とは無我の別名である。だから、無相と無我は同じことになり、一如であるということになる。

バラモン教と仏教が異なるところがあるというのならどこが異なるのであろうか?
バラモン教は森羅万象の実相は、何であるか答えて無いだろう。一方個人の我は、
これもなんであるか聞いた事が無い。

個人の我があるのか無いのか、これは仏教では重要な論点である。
又森羅万象の実相が何であるかについても重要な論点として
説明されている。

もしバラモン教の森羅万象が無相、無我、一相だというのなら、バラモン教でも
個人の我は無我でなければならない。これでは仏教と同じ思想である。

諸法実相は、諸法とは森羅万象と言わなければならず、続く実相は諸法つまり森羅万象の実相と
言わなければなら無い。

方便品の意味は、釈迦は、人々を実相に導こうとして、その方法を説いたのであるが、
その方法のことを方便と言うのだ。だから、釈迦の教えは全て方便であり、
実相そのものでは無い。方便品はこのことを言っているものだと思う。

実相そのものを表そうとしたのが、虚空会の儀式に当たろう。
843全日本人:2013/09/14(土) 12:17:12.86 ID:friFZ86d
池田大作先生は蓮祖聖人である。
844名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/14(土) 13:00:15.61 ID:o8uCgMtl
>>836
悟るという事はどういう事だい?

>>835
要は、仏界を涌現するためには、修行という特別の方法(ここは、仏・法・時代等によって違ってくる)が必要だという事。
さらに簡単に言えば、やってみなければわからない。・・・ということ。
別に成仏だけの話ではないだろう。
例えば、仕事で○○をやって苦労している同僚を見て、大したことではないのにつらそうにしていると笑う。
→同僚云く、だったらお前がやってみろ。
→やってみて、はじめてその同僚の苦労が分かった・・・とかな。

これ以上は止めておく。
大聖人の仏法は、妙法蓮華経が「根本ではない」からな。
(少なくとも、興門派はこの考え。…中には、興門派でありながら所謂日蓮宗に行ってしまった寺もあるが。)
釈迦仏教の範疇では、法華経の読み方は天台の右に出る者はいない。
自己流の読み方を論じたいなら、天台三大部と比べるのが早道。
845名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/14(土) 13:10:33.00 ID:CM3ZfSxB
>>839
ここでは度々そのような分類になってるが、
はたして他宗の公式見解なんだろうか?
846名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/14(土) 13:10:43.60 ID:o8uCgMtl
>>842
方便には、必要な方便と捨て去るべき方便がある。
法華経以外の経典で用いる方便は、法用方便・能通方便。
この二つは、捨てるべき方便。

一方、法華経で用いている方便は、秘妙方便。
我々は、真実は仏であるが、それを悟る前はただの凡夫でいる。・・・・・というのが秘妙方便。
詳しい説明は面倒くさいので、パス。
(長者窮子とか、衣裏珠を調べればわかる。)

では、改めてさようなら。
847名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/14(土) 14:46:07.21 ID:I/SGtz5i
>>844
>悟るという事はどういう事だい?

知りません。般若心経で言う無明亦無明尽無無明亦無無明尽を
あなたがそのレスで出している
>→やってみて、はじめてその同僚の苦労が分かった・・・とかな。

という例えのように、実感の伴った理解、をすることだとは思いますが。
それは解釈の世界に一生溺れたところで出てくる理解ではないでしょう?
848名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/14(土) 15:00:15.65 ID:I/SGtz5i
訂正 般若心経で言う無明亦無明尽無無明亦無無明尽を
→ 般若心経の内容について
849名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/14(土) 15:48:04.18 ID:AZ87j26/
自灯明法灯明の教えがあるように、修行する人は、自分と法の他に必要なものは無いと思うのだ。
何故他に師を必用とするのだろう?
これは釈尊在住のときでも、基本としてあったはずである。
そりゃこのほかに生きてる指導者がいれば越したことは無い。

そうすると、菩薩を教えるという必要はなかったと思う。
菩薩は自分と法を頼りに修行できるのだから。

そこで、声門とか独覚とか差別することはおかしいと思うのだ。
独覚も声門も、法と自分を頼りに修行してるはずだ。

そこでこの三者は、自分が完全に解脱したか、どうかは自分が一番わかるはずだ。
不完全なところで、完全なところに居ると誤解しているというのは、ありえないと思う。

釈迦の四諦の法門、12支縁起の法門、六波羅蜜の法門、これらはみな一味なのだ。
優劣は無いということだ。
850名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/14(土) 20:08:50.81 ID:cX8I0wuZ
>>842
詳しいご説明有難うございます。

確かに法華経での釈迦はその実相とやらを説明しようとはしてるでしょうけど、声聞や独覚には難解だと言い切ってるわけですよね。
ここでの二処三会に集まった対告衆、たとえば舎利弗は天台の解釈する十界のどの境界に入ると思いますか?
私が思うに、声聞界ですよね。
この舎利弗は、この法華経を聞く前に確かに、空思想的、独覚の修行もしてきたようですし、それでもここでの釈迦はダメだと言っているわけなのですよね。
この法華経作者は諸法の実相をブラフマンとアートマンを一如であるとの解釈するで、はまさしくバラモンの教えと同じになるのではないかと、また小乗となんも変わらんとなります。
これでは法華経内容にも書かれている文にも矛盾を感じなられるので、作者の意図するところにバラモン教と同じ思想があったとは思えないのですが。
たとえば、これから法華経を説こうとする釈迦が、結論という森羅万象の実相を最初に話してしまわれるようでは内容薄の説となり、物語に統制が付かなくなります。
ここでの(妙法蓮華経)実相とは、釈迦がこれまで説いてきた教えの実相を言われているのだと解釈をすれば、法華経の内容にもう少しすんなりと読めるようです。

>実相そのものを表そうとしたのが、虚空会の儀式に当たろう。

そうですよね、その“虚空会の儀式”こそ釈迦内心の話であり、なにものにの捕らわれない自我として、またこの法華経の読み手の己心を表たものだと思われます。
話がもどってすみませんが、ここ方便品はとても大事なところで、ここをよくよく読んでおかないと次の話が先に進んでいかない章だと私は思いました。
途中読みをしても・・・迷えばとりあえず方便品にもどると結構、読み取れた気がしましたが、それが正しいか誤りかはわたしは一般解釈には頼らないことにしていますので、
反論がありましたら、のんびりとでも御教示くださいませ。

レス有難う御座います。
851名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/14(土) 20:15:34.32 ID:cX8I0wuZ
>>846
釈迦の方便説は捨ててもいいのだろうけど、その方便説を究尽したうえで捨てなければならいと思うが。

では、さようなら。元気なままでアンチになって帰ってきてください。
852名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/14(土) 20:31:35.06 ID:iwRj3yt0
>>842

>個人の我があるのか無いのか、これは仏教では重要な論点である。
論点として重要なことは確かだが、仏教での結論は出ている。物事はすべて縁起によって成り立つ。全ては空だということ。
その点、梵我一如を説きブラフマンと個人の我の存在を説くバラモン教と仏教とはは全く似ていない。
従ってバラモン教が「仏教と良く似ていると思う。」というのは大間違い。
853名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/14(土) 21:05:08.85 ID:rQzgjGrk
>>839
>>841
全く間違っています。

お寺の宗派
http://www.janis.or.jp/~nkdseweb/users/sairyuta/tera/syuha.html
他宗の法華経信仰は狂信的ではなく問題の少ない捉え方です。
正宗や学会批判をするのに十分な理由になります。
きちんと勉強するか調べるなりしてからコメントして下さい。
854名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/14(土) 22:45:16.66 ID:AZ87j26/
>>850
833で失礼な言い方をして大変申し訳なかった。どうか許していただきたい。
謝罪したことを忘れないでください。

さて、アンチはそもそも法華経典の内容は文理真正では無いというのが、
定まっているのだ。

畢竟私は法華経の作者は、大乗小乗の差別の弁解をしたかったんだと思うのです。

今晩は疲れていますので、ここまでにさせていただきますが、検討して見ます。
855名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/14(土) 23:55:02.98 ID:CM3ZfSxB
>>854>
>アンチはそもそも法華経典の内容は文理真正では無いというのが、
>定まっているのだ。
そんなことは無いと思う。創価でも日蓮系でもない宗派でも法華経を
否定してない宗派や坊さんはいるぞ。でもそんな宗派の人達でも創価
を批判する人は多くいるぞ。
856名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/15(日) 10:38:07.38 ID:zTktt53s
>>853
このサイトは、ただの 
※個人の感想です、
というレベルに過ぎんだろ。
しかも法華経について、どこに書かれてるかさっぱりわからんし。

近所にある各宗派の寺に電話して直接聞けばええやん。

日蓮さまが「法華一乗」って仰ってるので、
とーぜん勤行の一番目は法華経を読んでますよね?

って聞けば、まず間違いなく笑われて、
てきとーにあしらわれて電話切られると思いますけどね・・。
857名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/15(日) 10:50:18.12 ID:zTktt53s
>>839
というか、何気に書いちゃったけど、

安楽行品の菩薩の四つの行動指針を
日蓮さんは、まったく守ってないのに、

なんで、日本国第一の法華経の行者。

となるのかね ?

の〜書きタレ流しの日蓮教団なんだから、
おエラい学者せんせ、高僧さまとか、
ダレか解説してもらえないんでしょうか?

むしろやってることは正反対だから、
これは妙法蓮華経の五文字のみパクった
中国のニセブランド商品みたいなもんだし、

むしろ法華経をショウバイに悪用してるだけの
邪教坊主は日蓮さまの方なんじゃねーの?

要約法華経 安楽行品第十四
http://www.james.3zoku.com/pundarika/pundarika14.html
858名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/15(日) 12:08:16.70 ID:bXjaGLh3
>>855
アンチといとことで言うが、法華経典に対するアンチと、それを固持する日蓮とその信徒に対するアンチがあるのだ。
相道宗の道元は法華経を捨てていない。天台のまか止観を尊重してる以上、捨てられなかったものだろう。
まか止観と言うのは座禅の方法の教えだからね。

現代の新興宗教で法華経を依教としてる者がある。当然法華経のアンチではないが、
日蓮創価のアンチだ。

しかしこのスレにおけるアンチは、法華経とその信者全体に対するアンチなのだ。
法華経の方便品のスタートは、仏の方便を自画自賛し、仏の悟りの世界を称え、
悟り「実相」の構造に言及するもので、ここには二つの事が主題になっている。
で、この方便の自画自賛に対して、舎利子が、そのわけを三回懇請したのだ。
仏は、三乗は方便で、そんなものはなく、仏の乗り物しか無いと答えるのである。
自分も勉強不足で仏の智慧ばかりに目を向けていて、方便の理解について危うかったと思う。
仏の智慧とは空、無相、無我であり、方便とは、それを体得させるための方法のことを言う。
日蓮創価が諸法実相の意味を諸法そのママが実相だというのに反対するのに引っ張られてしまっていた。

どうみても方便品自体値打ちのある教えに当たると思えない。
証文方により解脱を得たと思っていた人は、自分に嘘をついていたということになる。
独核により解脱を得たと思っていた人も、要するに、嘘つきだ、と言うことになる。
これは悟ってもいないのに悟ったという教団内におけるはらい罪と言う重罪にあたるのである。
そうするとお釈迦様は長い間、教団内で、こんなはらい罪が存在することを許していたことになる。

相では無いと思う、これは大乗派閥の妄想なのであり、その妄想に気づき自ら
訂正したものが、方便品なんでは無いかと思う。これは大乗派閥の、12支縁起による
自滅なのだと思う。
859名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/15(日) 15:12:06.43 ID:bXjaGLh3
>>852
>その点、梵我一如を説きブラフマンと個人の我の存在を説くバラモン教と仏教とはは全く似ていない。

ブラフマンと古河の一如、つまり別なものではない、同一なものであるというのが
バラモン教でしょ。別な存在であるというなら、それはそもそもバラモン教では無い。

で、仏教は、個我と言うものは無いすなわち無我を本姓とするとし、さらに森羅万象の個我というものも無い、すなわち無相
であるというのですね?だとすると、森羅万象の無相と個が飲むが=無相とは別なものではなく、同一
なものである、と言うことをいっていることになり、これは梵我一如に等しいではないか、といっているのです。

ただし、バラモン教の、ブラフマンが何であるか、個我我なんであるか、それが全く明らかではないのが
現状では無いでしょうか?これでは判定のしようがありません。まあ、勉強不測なんでしょうけど、

仮に、仏教の無我無相一相に近いものであれば、仏教に近いか、同じ思想と言わなければなら無いことになりましょ。
860名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/15(日) 15:50:56.66 ID:bXjaGLh3
>>859訂正
>森羅万象の無相と個が飲むが=無相とは→森羅万象の無相と個我の無我=無相とは

>>850
>たとえば、これから法華経を説こうとする釈迦が、結論という森羅万象の実相を最初に話してしまわれるようでは内容薄の説となり、
物語に統制が付かなくなります。

ここは方便品のスタート部分のことですよね?
ここで釈迦は、仏の智慧のすばらしさと、その智慧の発露である方便のすばらしさを自画自賛されたのですよね?
これに対して舎利子は、方便のすばらしさが判らないといって説明を求めたのですね?

なのに、創価では、ここは処方の実相を説いたというのですね、つまり諸法実相とは諸法そのママが実相であると?
だから、私は貴殿の意見に賛成するものです。

>ここでの(妙法蓮華経)実相とは、釈迦がこれまで説いてきた教えの実相を言われているのだと解釈をすれば、
法華経の内容にもう少しすんなりと読めるようです。

ここが解からない。創価の言うように妙法蓮華教がイコール実相だというのか?
それとも妙法蓮華経という経典の実相と言う意味か?
そして、ここまで釈迦が説いてきた教えの数々の実相、と言う限定された範囲の実相を言うのか?
861名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/15(日) 16:52:17.44 ID:CxrU/ZaN
>>859
>ブラフマンと個我の一如、つまり別なものではない、同一なものであるというのが
>バラモン教でしょ。別な存在であるというなら、それはそもそもバラモン教では無い。
バラモン教の主張は梵我一如であることは知っています。ブラフマンと個我は別だから仏教とは違うとは言っていません。
存在の主張こそ仏教とは根本的に違っています。

>で、仏教は、個我と言うものは無いすなわち無我を本姓とするとし、さらに森羅万象の個我というものも無い、すなわち無相
>であるというのですね?
>だとすると、森羅万象の無相と個我の無我=無相とは別なものではなく、同一
>なものである、と言うことをいっていることになり、これは梵我一如に等しいではないか、といっているのです。

個我という固定された実体は無いという考えは仏教として間違いではないとは思いますが、仏教では無我や無相を固定された実体のある存在
として考えないので梵我一如とは全く違います。
862名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/15(日) 19:03:59.51 ID:bXjaGLh3
>>861
ちょっと検索して、その思想家のいうところを読んでみたが、
彼らの言うところは理法が全く無いね。
やはり、自分の行う行為の根拠をしっかり把握していないと、
だらけてしまうし、修行を完成できるものではないと思う。
863名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/15(日) 19:41:47.30 ID:OcX5UuPX
>>860さんレス有難う御座います。

方便品で釈迦が森羅万象の如実に知見されたことを改めて謂うことに、なぜ廻りの対告者達が驚くのでしょう。
ここに集まっている者達は、元々から釈迦の説法を信じてきた者達なのです。
現代読みでの十如是などで、釈迦が言ったことなど当たり前のことであって、「九如是は究竟等なり」ぐらいで、
それほど驚くほどの発言ではないと思います。
彼等が驚いたのは、今まで(法華経の前)に説いてきた釈迦の説法が「まだ真実」ではなかったということに驚いたのだと解釈もできます。
仏達(十方の仏)の“究尽したまえり”とは、元々爾前説などは方便説であったことを了解した人達であったということであろうと思います。

今の、この法華経信者達は釈迦を馬鹿にしているか、トボケテ誉め称えているのか、例えばですけど、
小学生が突然このように言います。
「サンタクロースって本当はいないんだよっ」・・・ってね。
そのとき私達大人はどのように対応しましょうか?

 『仏の成就したまえる所は、第一希有難解の法なり。唯仏と仏と乃し能く諸法の実相を究尽したまえり。
  所謂諸法の如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等なり。』

「そんなの今更謂わんでも、とっくに釈迦様はそんなこと知っているもんだと思ってましたよ!」

と、こんな話から物語を作られ始めた話が法華経ではないのです。・・・・と思いますが。
そんな事の知らんでいた者達が阿羅漢とはお笑いと思いますがね。
そして今のその信者達も、昔、阿羅漢といわれた者よりも利口でありましょうから、よくよく考えてみるべきであると思いますよ。
頭良すぎて考え過ぎていく上に、墓穴を掘ることになるのでしょう。

日蓮の教えも方便です。真実は自ら“究尽”していくべきもので、それが思考錯誤をされている今の貴殿の姿だと私は思います。

それと、貴殿からの数々御質問に答えたいのですが、わたしも疲れますのでご勘弁をw
これって集中力を使いますので結構疲れるんですよ。
のんびりと行きましょうね。
864名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/16(月) 12:48:50.41 ID:RVfhUg4B
>>857
全くその通りだとおもうのですね。

そこで、空だとか無相だとか教えられたものは、その次にどうすればいいのでしょうか?
865名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/16(月) 13:23:04.06 ID:JIz5PXEc
>>864
馬鹿馬鹿しい与太話しだと識るワケだから、回心して、脱会して、社会に実情を訴えて、堅気として暮らすことだ!
866名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/16(月) 14:55:49.73 ID:RVfhUg4B
>>857 つづき
とっくに脱会しています。

しかし、空であるとは、過去も現在も未来も空であるということだ。
何をしても空なのだ。なにかをしてそれが、実体を持つものとして残るということは無いのだ。

そして、空と言う真実に反して、何かが、過去にも減税にも未来にもあると思うことが、
罪と言うことになる。
善悪があって、過去の善悪。未来の善悪、こう言うものに囚われていることは真実に反していることになる。

こう言う真実に反する思いを自分から払拭する行為が修行と言うことになる。
そこで三十七菩提分法を見てみると、これに沿った修行だと思われる。
867名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/16(月) 17:04:46.19 ID:1DI3DVRP
>>857
>なんで、日本国第一の法華経の行者。となるのかね ?

法華経行者とは、まったくをもって言うことはできないものだと思います。
どちらかといいますと、涅槃経の行者というべき輩であり、安楽行品を無視した教義は、まさしく法華経二十八品の邪智謗法者というべきものでしょう。
『刀剣や弓矢を持って弘法せよ!』との言葉はその涅槃経の一文ではありますが、こんなのが罷り通るった振る舞いはとても危険なものでしょう。
昔にルワンダ虐殺という事件があった事が思い出します。

日蓮はこの涅槃経の一文をもって開目抄で述べていますが、集団心理のうえにルワンダ大虐殺と同じに目にあう可能性をも、この日本に植えつけたことでしょう。
さて、ここでいう“刀剣や弓矢”とはなんであるのか?
多分、信者さん達からすれば“法華経”であると矛盾なことを言うでありましょうが、もうすこし表現をかえた教え方にしないと、あぁ〜恐ろしやぁ〜。
868名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/16(月) 18:39:31.72 ID:RVfhUg4B
>『刀剣や弓矢を持って弘法せよ!』との言葉はその涅槃経の一文ではありますが、こんなのが罷り通るった振る舞いはとても危険なものでしょう。

明らかな真理真実なら、そう言うことはありえる。そして、それが誰にも否定できない場合は。

法華経は実にこの真理真実の説明が無い経典だ。
涅槃経はこの真理真実について、阿含経を尊重した説明をしている。
むしろ阿含経に回帰している教えだ。

日蓮は法華経を涅槃経に入れて、涅槃経の教えのうち、その効果の確実性だけを
盗用して、シャク伏などといっている。涅槃経の教えはシャク福の資格はあると思う。
しかし法華経はその資格は無い。法華経中のどこにも涅槃経に似たシャク伏の言葉は無い。
869名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/16(月) 22:49:49.56 ID:wpw+KZhV
>>863
序品を読んで、少し頭を冷やせ。
序品での舎利弗と文殊師利菩薩とのやり取りを読めば、釈尊が方便品で説き始めた法は、今まで説いたものとは比べ物にならない法である・・・・という主張が読み取れる。

さらに、方便品を通しで読め。
通常は十如是で切ることが多いが、方便品はまだずっと長い後がある。
なぜ十如是で切るかといえば、十如是以降は最初から十如是までの内容をより詳しく説いたものだからだ。
(本末究意等の直後に、「爾時世尊。欲重宣此義。而説偈言。〜」と続く。)
870名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/17(火) 01:54:07.41 ID:tAHAyVvf
>>869
お気遣いありがとう。

じょぽんを、よんでみてから、また、あなたさまのレスをよんだのですが、
なぜだかよけいに、わたしのあたまが、こおってしまいました。・・・おしまい、じゃんじゃん。
871名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/17(火) 18:28:36.86 ID:9k6uqcyI
なっ! 願い事は叶ってしまう!、っていう意味が、分かっただろ!!
872名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/17(火) 20:42:28.04 ID:3t1rGSxE
まず相当な馬鹿であることが惚け狂信者にとって必須条件であることがよくわかるスレだな
873名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/17(火) 21:11:12.87 ID:poq2nyc4
法華経だけ読んでも肝心なことは何も分からない。
874名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/17(火) 23:21:55.78 ID:oyhtN/QB
現証、現証、と喚いていながら、いつもその身に悪い現証しか
現れず、自分の嫌いな敵対者とかに幸運が訪れたりするのを目に
してしまう時点でお察しだろう。
この現証をよーく創価は考えてみた方がいいw
875eco ◆Smw69BiSBo :2013/09/18(水) 03:40:47.85 ID:n0sGgkSi
>>874 「創価の特徴」と言うスレでも よく指摘されていたじゃん
創価に対して憎い相手に不幸が起きると「バチだ!」とか 相手の不幸を喜ぶけれど
自分たちに降りかかると「難が来た 魔がやってきた」・・と都合よく解釈してしまい
相変わらず 自分の犯した「罰」に対して 一向に気づかない・・と

その事は 富士宮ボーイ 常駐の あべひさんのブログでも
同じ趣旨の事が指摘されていたけれど⇒http://captivated.exblog.jp/18521692/
処が その指摘されている事象の糸を辿っていくと 
実は教宣部の指導や創価新報や聖教等々で報じていた事例に基づいて判断した
功徳や罰だったりもするわけで 結局 誤解の原因を造ったのは お前らじゃないかよ 
・・と突っ込みたくもなるもなるわな

もっとも最近の創価さんは 他人の功徳を「エア功徳」とか言ってやっかみになっていたり
http://captivated.exblog.jp/18521692/のような趣旨を批判的な輩が書くと 今度は聖教の功徳が信じられないのですか?・・と
↑これを書いた本人が富士宮掲示板で平然と言うし・・・
876名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/18(水) 11:22:36.32 ID:A0nUMV87
宗教から歴史、哲学、超常現象、政治経済まで

あらゆる情報の宝庫「中杉弘のブログ」です。

http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/
877名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/18(水) 14:03:10.99 ID:hQCxu4ut
>>872
破壊カルトで叶うものは、悪い未来結果だけ。因果応報という
878名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/19(木) 08:10:04.55 ID:Q8ofZCux
★コピペ★ 「【打倒】創価の富士大石寺 日蓮正宗 情報交換スレ」から

939 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/18(水) 07:54:42.26 ID:bxTUzeBH
>>935
日蓮は
「大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はあり とも・
潮のみちひぬ事はありとも・日は西より出づ るとも・
法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」祈祷抄

とたいそうなことを言っておいて

「叶ひ叶はぬは御信心により候べし。全く日蓮が咎にあらず。」
日厳尼御前御返事

と責任逃れしています
自分の下痢便すらろくに治せないのにガンが治るわけがない

まっ、ご僧侶に100万200万円ボン!ボン!ボン!と御供養
申し上げて御本仏の下痢すらろくに治せない南無妙法蓮華経
とやらを100万遍唱えてて下さいな
879名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/19(木) 17:51:02.49 ID:timcW8Vv
なんでも縁起と言うが、今度の東日本大震災も縁起と言わなければなら無い。
これはどういう縁起と説明できるのだろう?
880名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/20(金) 02:01:25.58 ID:bIN7uxiS
今日もアンチは華麗に論破されてるね
881名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/20(金) 05:53:25.97 ID:vG7KQlwb
>>879
自分で「今度の東日本大震災も縁起と言わなければなら無い。」と断定しておいて、他人に理由の説明を求めてどうする?
勝手に自問自答してろや。ここは日蓮の素顔をワイルドに曝すスレだぜぇ。
882名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/20(金) 07:54:54.10 ID:MbxRg2X5
日蓮の仏教解釈がどうなんだ?と言うことだろう。
おかしい、狂っていないか?と言うことだ。
そこで、正しい仏教を明らかにするなら、それは日蓮を曝すことになるのだ。
これが必要だろう。こう言うスレだ。

日蓮の時代にも自然災害があった。
これの原因を日蓮は、法華経が尊重されないからだ、と考えた。
しかし日蓮の法華経解釈がおかしければ、それは原因ではない。

日蓮は生命、財産が大事なものと考えていたのだ。それが自然災害により消失するのを理不尽
とし、その原因を法華経に求めたのだ。

しかし法華経は、仏教全体は、生命財産は価値の無いものである、それに執着しているものは
地獄に落ちる、と言うのだ。その苦しみから解放するために仏は、いろいろな方法で教えるのだ。
今度の大震災を以って、仏は人に、生命財産は何の値打ちも無いもだと、教えているのだ、
と解釈すべき、と考えることが出来るのだ。むしろそう考えなければならないといえるのだ。
日蓮の仏教解釈は、そもそも、仏教ではなく、仏教以前の御利益信仰では無いのかと。
883名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/20(金) 15:36:05.06 ID:UZ7t56Y4
>879
すべては関係性に依って成り立つ、ア・プリオリなものは存在しない、それが縁起の思想だ。
したがって、東日本大震災も関係性に依って発生したものだ。
どういう縁起と説明できるかって?
地震による揺れと津波と原発事故によって東日本大震災は発生したものだと簡単に説明できるだろ。
何を難しく考えているんだ?

神様の罰だとでもいうのか?鬼神の怒りとでもいうのか?法華経誹謗の罪だとでもいうのか?
そういう非論理的な思考をカルトと呼ぶのだよ。
故に天災を法華経誹謗の罪とした日蓮はカルトだ。正真正銘のカルトだ。

879は縁起をしっかり学んで出直して来い。
884名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/20(金) 17:20:52.57 ID:+fNeZRpR
2級範囲の種種御振舞御書読んだけど
大聖人ってこんなに痛い人だったの?
885名無しさん@お腹いっぱい。
>>840
“森羅万象の実相”って、誰が一番最初に言ったのだろうか?

凡文法華経では、十如是に当たる部分で、現象とか、事象とかといっている。
これは、諸法を釈迦の説法の教えとは解釈できないだろう?
森羅万象と解した方がよくないか?

漢文の訳者でも、それまで諸法無我とか、諸業無常とか、諸法の実相と言う表現は
疑問の無い表現として使用されているのを知っていたろうと思う。

その上に、凡文では、「如来こそあらゆる現象を正に知っているのだ。すなわち、それらの現象が何であるか、
それらの現象がどのようなものであるか、それらの現象がいかなる特徴をもっているのか・・・・・・」
と、こう言う趣旨の発言が続き、これらの発言は、あらゆる現象が何であるかの開示では無いね。
だから、ここで釈迦は、実相が何であるかとは言っていないのである。

>“諸法実相”とは釈迦がこれまでに説いてきた教えの諸々の法のことをいうのだと思うのだが。
そんで、「方便品」というのではないか?
まぁ、法華経内容からしてそうだと思うのだが。

前記によると、諸法の実相は、諸法とは現象;事象であるといっており、
その実相を知っているというだけで、それが何であるか未だ解き明かしていないのである。
しかし、この実相は皆には充分に理解されていたことであるとは、言いえるところだ。