>>189>>190>>196 >もっと正確に言うと、謗法の問題は、論理的には随方毘尼の判断に先行する前提的な問題なのです。
ほぉー、ではあなたの見解は、随方毘尼だけでは「単純に風習や風俗に随え」と言う意味で、
随方毘尼を用いる場合は、先行する前提的な「何か」が常に用いられていると言うことですね。
とりあえず、その「何か」を伺っていいですか?
断言されているということは、何か文献的な根拠があるのですよね?
そして、「随方毘尼」と共に用いられる前提ですから、出すとしたら「四分律」か「五分律」あたりですかねぇ
>>197 >しかし、該当個所の中で、私には何の話であるのか理解できない事が述べられている箇所があります。
あなたは、該当個所の中に理解出来ないことがあるのに、長々と講釈してたのですか?
もう、あなたダメでしょう。
ちなみに、私は“日蓮大聖人御書講義 第二十五巻”自体は持っていませんよ