初心者アンチの質問&相談に答えるスレ24

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567法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw
(レス>566の続き)
「摂受」・・・“折伏に対する語。 摂受とは摂引容受の義。 相手の違法を認めつつ、次第に
誘引していくことをいう。” (創価学会版 “仏教哲学大辞典 第三巻”より引用。)
「折伏」・・・“破折屈伏の義。 相手の邪宗邪義を折り正法に帰伏させる実践行為であり、悪心を
折って信心に服させる厳愛の行為である。 折伏の折るということは、悪い心を折ることであり、
折伏の伏ということは、良い心に服せしむことである。 たとえば愛児が悪い心を持ち、悪い行動
をしたときは、良い心にさせるため、親がきびしく叱る場合がある。 これが厳愛であり、この姿が
折伏である。”  (創価学会版 “仏教哲学大辞典 第三巻”より引用。)

以上の説明から考えれば、随方毘尼は、まさに摂受として為される事ではないか。

(なお、折伏の項の後半、愛児・厳愛なる解説は池田氏が同様の事を“折伏の精神”と題して“会長
講演集 第一巻”に載せているが、おそらくアホさんのレスを受けてからそれを引用し反論する事に
なるであろうと予測している。)

>随方毘尼とは各地の状況に合わせて仏法を広めるための戒ですから、
>適用されない“国”など存在しませんよ

抽象的・潜在的に可能性の問題としては、適用され“得”ない国は存在しないと言う事になろうが、
現実に存在する特定の国についてそのように言うなら、日蓮の言う随方(随時)なる条件を無視した
ものにすぎず、日蓮仏法とやらとは無関係の言説と言う事になるだけだ。