>>125 >以上からも海外では摂受、国内では折伏という体のいい使い分けが可能になるんですが……
それは、「国」の概念を日本やアメリカと言った規模で言う場合です
仏法上は一口に「国」と言っても、一つの世界観や境涯と言う概念でとらえる場合もあるため、
短絡的に日本やアメリカと言った規模の「国」に限定して仏法の法理を当てはめたりはしません
概念的には一つの家庭や一族も「国」になります
地域社会もその土地を統括する責任者がいる「国」と言えますし、
会社なども会社を統括する責任者がいる「国」になります
一族内で一人しか信心をしていない人の場合は『「仏教が広まっておらずその教えをしらない人が多い状態」=悪国』
ですから、「摂受が先」で合っているのです
他宗派で行われる親族の冠婚葬祭は『「仏教自体は広まっていても正しく行われていない状態」=破法の国』と言えなくもないですが、
概ね坊主などの宗教関係者以外は「教え自体はまったく知らない」ことが多いでしょうから、その一族自体は、
『「仏教が広まっておらずその教えをしらない人が多い状態」=悪国』となります
仏法では一人ひとりの人間も概念的には一つの国ととらえることがあります