創価学会の反社会性・狂信性

このエントリーをはてなブックマークに追加
422B29爆撃機 創価学会は分裂・崩壊寸前
幸福の科学アンチが信仰する創価学会二代目会長“戸田城聖”は浮気を正当化する女好きだった

学会二代会長・戸田城聖が、性的羞恥心を欠落させていたのは事実だった。一種異様な露出癖を持っていたようだ。
夏になるとフンドシ一本の素裸になって、
若い女性信者にうちわで、【フンドシの中まであおがせていた】という話もそうだが、
さらに次のような、ある教師の残した証言もある。

「昭和20年、戸田が豊多摩刑務所から出獄した時のことでした。何かの用事があって戸田の家を訪ねたのです。
呼んでもなかなか出てこない。そのうち『あがれよ』という答えがあったので、あがってフスマをあけてみると、
戸田が女性と同衾(どうきん=セックス、性交のこと)しているではありませんか。
驚いて『後で出直してくる』といったのですが、
戸田は平気で『いいよ、そのままでいいよ』と話しつづけたのです」

戸田城聖の愛人であった森重紀美子は中太りの女性だったといわれる。
まるぽちゃ系が好きなのは、戸田がスケベな証左でもあろうか。(笑)、

≪二代会長・戸田城聖も、女が好きだったことは有名だ。
戦後、創価学会を始めた時の五人の仲間の一人だったN(一時、戸田と出版社を共同経営、学会はその後脱会)が、
戸田の愛人・森重紀美子のことを「甚公(注=戸田の本名・甚一からくる)は、おおっぴらな男で、
妻妾同居みたいなことも平気でやった」といっていた。
 溝口淳は、こう書いている。
「池田はこういう戸田の弟子なのである。男女の機微に鈍かろうはずはない。
池田自身も[戸田先生は、それはすごかった。毎日ふるえあがった。
【女房と一緒に寝られるか!そんなくだらない!】とね](内部文書、50年10月の池田語録)と、
戸田の実像を伝えている」(「現代」五十七年十二月号)≫ 『創価学会をブッた斬る』藤原弘達より