>>638 > 一時期、交通不便の頃は開眼をされず
> 法主の認可で本尊は配布されたらしいですが
> その本尊は功徳あるのでしょうか?
その「らしい」という情報はどこから出てきたのでしょうか?
宗門の公式見解としては、一幅たりとも開眼供養されずに信徒に下附された御本尊は無いとしています。
わたしもそうであろうと思っています。
> もし功徳あるなら
> 開眼ない本尊は功徳あるという根拠は何でしょうか?
> もし功徳ないなら
> なぜ法主は開眼できない末寺において御本尊書写を認められたのですか?
さて、仮にやむにやまれぬ事情によって開眼供養されていない本尊が下附されたとしましょう。
しかし、そこには時の御法主上人の御允可がかならず有るのです。
化儀抄にそのことが明らかですが、日有上人は戦国戦乱の時代を鑑み、必要が有れば末寺において判形
を入れないことを条件に仮本尊を書写して下附することを認められました。
もし、そのような事が本当に行われたならば功徳はあったでしょう。
しかし、化儀抄註解のなかで日亨上人がそのような仮本尊を下附する事態にならなかったことは宗門の
幸福なことであった旨述べられています。
>>639 > もあさーん、えっと、以前は創価が折伏しまくって本尊が足りなくなって
> 印刷所から入庫された一枚刷りの御札状の部分を出荷地点の寺院で作業台
> の上でパートタイムのおばちゃん達がノリでペタペタ表装して巻物状の
> 掛け軸型に手作業で仕上げてソレを創価の部隊長さんがバイクで各拠点の
> 寺院に送り届けてお坊さんは待機していた新入信徒さんに、保ち奉るや否や、、
> 保ち奉るべし、、って受戒の儀式やってすぐもたせてたって聞いたけど。
「聞いたけど」というのは、証拠にならないですよね。
創価学会の中の都市伝説だと思います。
>>640 > それと後、昨日まで効果が在った本尊が今日から破門になったから
> その時点で魔や悪鬼が住み着いたよって言われても・・
御本尊を護持しているひとが昨日まで信心強信でいて、次の日から手のひらを返して創価学会に与した
としましょうか。
それは前述したように、本人が与同罪を犯しています。
与同罪を犯し、正真の気持ちで南無し奉らないところに功徳などあろうはずがありません。
私が論じているのは、悪鬼・魔神が直ちに潜むかどうかではなく、本人の信仰心のあり方です。
あなたの言うように遠隔操作で血脈を断じるなんてことは無いでしょうが、与同罪を犯して信仰を
過った人の護持する御本尊に仏様のお命はいらっしゃらない、出て行ってしまうものと思います。
>>662 :法華講員もあさん
> さて、仮にやむにやまれぬ事情によって開眼供養されていない本尊が下附されたとしましょう。
>しかし、そこには時の御法主上人の御允可がかならず有るのです。
>化儀抄にそのことが明らかですが、日有上人は戦国戦乱の時代を鑑み、必要が有れば末寺において判形
>を入れないことを条件に仮本尊を書写して下附することを認められました。
>もし、そのような事が本当に行われたならば功徳はあったでしょう。
>しかし、化儀抄註解のなかで日亨上人がそのような仮本尊を下附する事態にならなかったことは宗門の
>幸福なことであった旨述べられています。
だから開眼なくても御允可だけで功徳ある本尊となる根拠を聞いているんですよ
あなたはさんざん開眼ないとダメと言っているのに、なぜこの場合だけ開眼はなくてもよいのですか?
そういう文証はあるのでしょうか?
665 :
:2010/09/03(金) 00:04:28 ID:???
いやいや、もあさん茶髪の伝道師さんの動画で埼玉の副本部長さんが
実際に体験してみた事ですって言ってました。
そしたら樋田さんはそのパートのおばちゃん達が本尊を作っていたのも
印刷所から寺に持って来てすぐ信徒さんに渡したのも含めて法主の
許可があってのことなので其れが開眼の允可、許可だとか言ってましたよ。
だから本尊に対しての魔法を込める儀式とかしなくても法主の許可が
大切であり其れが血脈の実態みたいな話でしたよ?
だから法体を掛け軸の巻物にチャージする儀式って印刷所に発注する
または印刷所から来たロットを受け取る納品書に法主のハンコを押す
行為を法体のチャージとか血脈が通うとかって宗門内での独自の隠語
なんだろうなって、そんな感触でした。
だから幾ら講員さん達に聞いても法体なるものをチャージする方法を聞いても
法主只お一人が知っていればいいことで信徒風情が知る必要も無いって言ってるし。
666 :
:2010/09/03(金) 00:22:37 ID:???
偉大なる摩訶不思議なるプラーナをある儀式にて御札にチャージして
呪文を唱える事で偉大なる存在に庇護してもらえたらさぞや楽でしょう?
実際は自己の命に備わる可能性を賦活させて行くことでしか願いを
叶えて行く事はできないのでしょう。
自己の外側に頼って庇護を求める時もはやその場には大聖人の血脈は
流れないのであり、幾ら戒壇様とか本仏とかと金ぴかな言葉で飾ってみても
贔屓の引き倒しで外道でしょう? 違いますか?
人の努力を無視して庇護を求めていく信仰はもはや奪命であり生き抜く力を
諦めに変えて行く厭世思想であり来世にすがるようになり、そんな人々が多くなれば
地域の勢い、やがて国の勢いもそがれて滅びます。 そんな考えを蔓延しようとする
人達は国賊でしかなく天魔の所業として700年前に大聖人様がバッキバキに
破折しています。
魔法を信じていないで自己の可能性を信じてパッピーを勝ち取りましょうよ。
ボクはまだ創価の駆け出しだけど生意気に聞こえるかも知れないけど
皆でハッピーになろうよ。 法華講の人も講での使命が必ずあるし
自己の可能性を発揮していこうぜ。
667 :
:2010/09/03(金) 00:52:08 ID:???
電球は本物でもヒューズが切れていては明かりがつかない。 確かに明かりは点かないです。
御本尊様を信じていても信があって自行、化他行をして実践に基づく学がないと。
只単に洞窟に篭ってナムナムしているだけのヒッキーだったら只の自己満足の宗教オタクじゃん?
題目あげるとワクワク、ドキドキしてくるよね。 そしてボクでもやれるぞ。 って高揚してくる。
そんな感じでアクティブになって来た時に友達に一言でも話せたら面白いジャン。
こんな情勢の世の中だから悩みを痛切に感じている人達って確実にいるし・・
そういう人達に一言語れるのって勇気が要るけどその勇気は命の迸り(ほとばしり)だよ。
その気持ちをもって友達に語るときはその人はもう屠所に引かれていく子羊なんかではなく
難に立ち向かう獅子王なんだ。
決して力があって不自由な暮らしでないパンピーだけどそんな下賎の身、センダラ
(スードラ)の身だけどその語るときは確実に大聖人様と一緒だぜ。
大聖人様がボク達に応援メッセージをクレタよね?
聖人、君子の唱える題目と凡愚の唱える題目は同じで遜色ないって・・
ビルゲイツの持っている一ドル札とボクの持っている一ドル札は
違いがないって・・
みんな講の人も創価も互いの場所での使命を果たしていこうぜ。
こんな感じでいいかな? 皆でがんばろうぜ。
「創価学会でつかんだ生きがいの人生」
入信後、死の床にあった妻は、周囲も驚くほどの生命力が蘇り、知人を呼んでは折伏をしていました。
妻は、やがて晴れやかな笑顔で充実した毎日を送るようになりました。
Aさん(70歳)
驚いたことに、折伏活動に夢中で飛び回っているうちに、あれほど苦しんだ胃ケイレンも治っていたんです。
Mさん(67歳)
私もついに観念(して入会)しました。
すると、不思議なことに、心配していた胃かいようの影がいつの間にか消えていたんですよ。
Yさん(54歳)
聖教新聞社編
同じ一ドルでも国によって価値が違うんじゃないか。
紙本尊とやらも、正宗と創価だけの中での話しだよね。よそでは価値がないのよ。
創造でつくられた教義なんていうのは現実的な生き方とは思えないなぁ〜。
そんなものは妄想ができる、人間らしさが良く現れていると思うよ。
悟り(現実)を開いた人だからこそ、宗教をつくれるんだろうけど。
創価も正宗の信者も、悪知識などという考えは捨てて、仏教を学んだほうがいいよ。
670 :
:2010/09/03(金) 01:54:44 ID:???
貴方の言う仏教とはどの様な教えなのでしょうか? 具体的に聞きたいなぁ。
できれば貴方の言葉でお聞きしたいです。
以前お釈迦様がお弟子さんや信者さん達に今この世で苦しいのは前世で悪い事を
したから今世でハッピーでないんだ。 だから来世ハッピーになりたかったら
今功徳を積んで善根を積んで来世にハッピーになろうよ。 って流れでした。
それじぁあ、今はハッピーになれないの? っていう答えが出ないので何回も生まれ変わり
善根を積みましょうって事で当時は納得していたようです。
でもボクの様に素直でない人はそんなに待てないよって反発しちゃいます。
どの位生まれ変わるのか・・
ダイヤモンドで出来た岩山を数百年に一度だけ天女の羽衣の裾でそっと一拭きします
そしてまた数百年後に一度だけ・・そしてその摩擦でダイヤの岩山が削り無くなるまで
に費やされた時間を一劫として其れを100セットこなしたらOKとしていました。
その間に修行者に対して諸天の神々が苦難を試練と言う形で与えにやってきます。
前回の前世の記憶があれば試練だと割り切れるでしょうが何時もが初体験で
生まれて来て御免なさいって言いたくなるような強烈な試練を強いられます。
此れが以前の成仏の前提でした・・ボクは無理ぽ。 嫌杉でしょ? こんなのって
>>668 肺ガンと診断され不安な日々を過ごしていた私に、友人が「五色霊芝」の新聞広告を見せてくれた。
早速注文し、、一日6粒飲むこと2ヶ月でなんと、レントゲンに映っていた白い影が黒くなってきてびっくり!
Rさん(45才)
現在2回目の退院から1年以上経過していますが、ガンの影は発見されていません。
私は霊芝が再発を押さえていると思っています。
Aさん(80才)
>>665 そうでしたか。にわかには信じられませんが、仮にそれが本当に事実であるならば、樋田さんの
おっしゃる通りだと思いますよ。
御開眼にせよ御本尊の権能にせよ、全ては御法主上人の御允可ですからね。
それを証拠に、昭和52年路線で創価学会が勝手にこしらえたニセ板本尊八体のうち、一体は日達上人の
御允可でよしとされています。
そこに御開眼があったかどうかはわかりませんが・・・
> だから法体を掛け軸の巻物にチャージする儀式って印刷所に発注する
> または印刷所から来たロットを受け取る納品書に法主のハンコを押す
> 行為を法体のチャージとか血脈が通うとかって宗門内での独自の隠語
> なんだろうなって、そんな感触でした。
その言葉をそのまま創価学会に当てはめると、印刷所に発注して軸を付けてそのまま学会に納入、
もしかしたら学会に本尊発行部門があるのかもしれませんが。
であるなら、何故創価学会は自分で本尊をこしらえて拝むことを禁じるのでしょう?
PDFやJPEGで学会のHPに本尊の画像を置いて「印刷して拝んでください」じゃだめなんでしょうか?
一般用本尊が3000円、幹部用が10000円というのは、いささかぼったくりではないでしょうか?
> だから幾ら講員さん達に聞いても法体なるものをチャージする方法を聞いても
> 法主只お一人が知っていればいいことで信徒風情が知る必要も無いって言ってるし。
その通りですね。
そもそも、知るよしもありませんしね。
それは日精上人が十二箇条法門について存在を明らかにされてますし、他の御正師も法体相承に
ついては広宣流布成就の後にも明らかにすべきではないとされていますから。
673 :
法華講員もあ HOKKEv2pHo改め ◆HOKKEWeUhE :2010/09/03(金) 03:06:54 ID:Zx1PDKe+
>>664 レス順序逆転してすみません。
> だから開眼なくても御允可だけで功徳ある本尊となる根拠を聞いているんですよ
> あなたはさんざん開眼ないとダメと言っているのに、なぜこの場合だけ開眼はなくてもよいのですか?
> そういう文証はあるのでしょうか?
開眼は必要であると思います。
ただし、御法主上人の御允可によって特別な事情が有れば御宝前で開眼されないこともあるのかも
知れません。
いずれにせよ、御開眼はかならずされているものと私は思います。
仮にされていなくとも、御法主上人の御允可が必要であり、その御允可あらば総別の血脈は流れる
のだろうと思います。
>>670 前世とか来世っていう解釈を考え直してみるのも良いかもしれませんよ。
あまり人の解釈をあてにして一生を宗教に捧げるのはもったいないような気がします。
先程の時間、1時54分44秒のあなたのレスは文字になって残るでしょうけど、
今となっては過去のことです。
記憶に残るものって、すべて過去のことだけですよね。
私達が母から生まれてきた時から“世”がはじまると私は思ってます。前、現、来なんていうのは、
その中(一生)のことだけじゃないのでしょうか。
675 :
:2010/09/03(金) 11:05:32 ID:???
そうですね。 そう思っています。 前世、現世、来世・・
過去、現在、未来に渡る時系列での事として考えて行くのもいいと思います。
幾ら来世とかって言っても在るのか無いのか判らないもんね?
大分前にコテつけてカキコしていた時に小乗仏教の人と意見交換したときに
来世への生まれ変わりと言うか転生を繰り返す云々を強調しすぎると厭世思想に
陥り今を生き抜く求心力が希薄になるって書きました。
大切なのは今、此の瞬間であり今をより良く生き抜くためにそして過去に
起きてしまった事に意味を持たせて価値あるモノに更には続いて行く未来に
より良くする為の因を創る事に意味が在り価値が在ると感じています。
その延長として前世、現世、来世と捉えていますが先ずは今、此の瞬間を
価値在る生を生きる事が大切と思います。
今を大切に出来ない人が明日頑張ろうとか来年こそはとか、ましてや
来世にハッピーになろうとかとてもとても・・って事でいいよね?
今つらいからの理由を前世のせいにして今頑張れないのを来世があるから
来世に委ねようって感じで捉えたら無気力の厭世思想に陥り生き抜く力を
奪われてしまいます。
所詮この世は辛い事だらけなので来世に淡い希望をつないで・・
死んでから10万億土の西方の彼方の浄土で幸せを掴もう、超越者に
庇護してもらって・・って事では、んじゃ今の世の中生きている間
辛い事を受身で生まれて来て御免なさいの世界観ですよね。
マゾなの? 何か我慢大会でもしているの? って感じになっちゃいます。
人生立ち向かってハッピーを今掴んでいこうぜって事でなくては本末転倒です。
って事でいいよね? ねぇ皆こんなところでどうだろう?
676 :
:2010/09/03(金) 11:44:02 ID:???
大分前にボクの先輩がタクシーに深夜乗っている時にラジオで聞いたそうですが
Mrマリックさん? だったかな? 手品師っていうか凄い人がいてその人が一瞬で
20〜30位の事を記憶してしまうテクニックを紹介していたとの事。
その先輩に知らない内に実験させられちゃって、雑談の中にフルーツの名前を
身体のパーツ腕とか頭とかに絡めて痛いイメージで盛り込まれていて話が進んでいました
雑談の中で特に断りも無くやられたので気にしてなく雑談していました。
パインで頭を殴られる、レモンの汁を目にかけられて沁みるぜ、とかそんな感じで
そして10分位していきなり頭って言われた時に自然とパイナップルの映像が浮かび
目って言われたらレモンで目が沁みるって感じがでました・・
そして不思議と30のフルーツを全て無意識に覚えてしまって不思議でした。
此れがひとつの手法で応用すれば記憶力が凄くなる・・らしいのです。
ただし終わった後に個室、トイレとかの狭い場所でめを瞑り坂から後ろ向きで
でんぐり帰り転がり落ちていくイメージをして解除しないと後々障害があるとの事。
ボクも試してみて人の体験って確かに意識の領域に積み重なるんだと感じました
さらにそれらを何処かで初期化していかないと後で障害が出ちゃうと。
677 :
:2010/09/03(金) 11:45:33 ID:???
此れって阿頼耶識に行動の全てが蓄積されてカルマとして人の行動規範として
人の生き方を左右する・・に、ちょっと似ていますよね?
今までの行為がこれからの生き方に対して介入していくのなら強烈なイメージを
阿頼耶識に対してインスコすれば面白いよね?
無気力な生き方の行動規範のルールを初期化してアクティブなイメージを
インスコできれば他の生き方も好きにデザインできちゃうぜ。
ではどうするのかってことで叶えたい願いの部分を超越者にオネダリしたり
庇護してもらうのではなく自身の命の奥底に請願と言う形で命に誓うように
していくんだ。
ボク達は本尊に対して対鏡として南無しますその時に請願を打ち込みます
自身の命へと決して悲観なイメージはしないでアクティブにワクワクドキドキ
打ち込みます・・次に其れに対して行動実践します。
目標、行動、総括、改善・・プラン、ドゥ、チェック、アクション、
まるでマネージメントサイクルですね。 QCとか経営などの成功している
人達ってよく此の方式を使います。
これってまったく仏法ジャン。 って事です。
678 :
:2010/09/03(金) 11:58:14 ID:???
あくまでも凄いのはこちらの命に備わる無限の可能性を引き出す。
幾らコメカミに青筋立ててキエエェェーーイィィーって裂帛の
気合を発したところでせいぜい血圧だけが上がる位でしょう?
命の反応を今を生き抜くためにもっともっと活用していきたいです。
超越者に庇護してもらう必要も無く、夜空のお星様に淡い願いを
叶えてもらわなくても、全てはこちらの命の中にこそ在ります。
自身の命の外に超越者を作り庇護してもらう生き方は楽でしょう。
でも現実は自身が自ら歩んだ分しか進みません。
自身の命を開いて命を生き方を自由自在にデザインして衆生ショウユウラク
(漢字わかんない法華講の人教えて)の人生を掴もうぜ。
何か此処までカキコしてたらもう開眼とかどうでもいいジャン。
してあっても無くても些細なことでしかなくなっちゃったからって事でいいよね?
>>675 「前世、現世、来世」と「過去、現在、未来に渡る時系列」は明らかに違うだろ。
最近、池田先生はこういう指導をしているのですか?
信仰のハネムーン期の人だと思う。
判らないだろうが、小中高大学校の教えを聞いてから
学んでから出直せ
法華経を理解できるバカはいない
>>677 >ボク達は本尊に対して対鏡として南無しますその時に請願を打ち込みます
「本尊さま、本尊さま」って、
いまや、どちらが鏡になっているかが疑問なところですがw
あなた様の考え方って、創価さんとは違うようですね。奥が深い内容と感じました。
個人としての考え方は、周りの色にそのまんまには染まらず良いと思います。
どちらにしても、“照明”は外にはなく、自分自身が持っているものなのでしょうね。
ヒューズなんて必要ないわけです。
四天王や諸天善神、法華行者の守護神などには、私達が光を放ってやらなければ
ならないのでしょうと思います。
“衆生所遊楽”とは将にこの世にあると私も思います。
>>673 :法華講員もあさん
> 開眼は必要であると思います。ただし、御法主上人の御允可によって特別な事情が有れば
>御宝前で開眼されないこともあるのかも知れません。
だから御法主上人の御允可が有れば開眼されないこともよいという文証を聞いているんですよ
文証をだしてください
「法華を心得たる人」と「御書を心得たる人」?
見宝塔品
爾の時に釈迦牟尼仏、所分身の諸仏悉く已に来集して、各各に師子の座に坐したもうを見わし、
皆諸仏の同じく宝塔を開かんと与欲したもうを聞こしめして、即ち座より起って虚空の中に住したもう。
一切の四衆起立合掌し、一心に仏を観たてまつる。
是に釈迦牟尼仏右の指を以て七宝塔の戸を開きたもう。大音声を出すこと、關鑰却けて大城の門
を開くが如し。
諸の善男子 我が滅後に於て 誰か能く 此の経を受持し読誦せん 今仏前に於て 自ら誓言を説け
此の経は持ち難し 若し暫くも持つ者は 我即ち歓喜す 諸仏も亦然なり 是の如きの人は 諸仏の歎めたもう所なり
是れ則ち勇猛なり 是れ則ち精進なり 是れを戒を持ち 頭陀を行ずる者と名く 則ち為れ疾く 無上の仏道を得たり
能く来世に於て 此の経を読み持たんは 是れ真の仏子 淳善の地に住するなり
仏の滅度の後に 能く其の義を解せんは 是れ諸の天人 世間の眼なり
恐畏の世に於て 能く須臾も説かんは 一切の天人 皆供養すべし
(ごくろうさんなスレだなぁ)Oo。.(´-`)y━・~~~
>>685 どういう意味ですか?
素人にも分かるように解説お願いしますだ
688 :
:2010/09/04(土) 02:02:40 ID:???
“衆生所遊楽” あはっ! そうそうその漢字っす・・トンクス。
仏が命の別名で在る様に諸天善神、神々って自己を取り巻く環境の事でしょ?
同じ環境下にあっても此方の命が弱ければ環境に振り回されてしまうし
此方の命が強ければその環境をも此方へと有利に活用して行けるし、ね!
苦難の中にこそ大きく成長して行けるチャンスが埋蔵されている事だし
ハスの華って清流の中では育たないって言うジャン!
苦しい仕事や深夜の勉強を此れも成長して行く為の修行なんだよって
そんな君の為に用意されている久遠の昔からの願い産まれ出た晴れの舞台だよって
だから、負けないで泥水の中で大きな大輪のハスの華を咲かせようねって。
君の命には大きな可能性があるんだよ思い出してねって・・そんな感じの
事の久遠からの応援歌でありメッセージなんだよ。
みんな産まれ出でた時に袖に宝の玉を縫い付けられているのを思い出そうねって。
689 :
:2010/09/04(土) 02:46:53 ID:???
題目をあげて命を開く時、自らの五字七字の命の宝塔が開くぜ
獅子吼の様な大音声で内なる妙法へと呼びかけろ、その時にこそ
周りの環境は仏(自身の命)の御前に有利に働くだろう。
その御人こそ勇気ある実践の人であり戒を保ち真の実践者である。
久遠の儀式、元初の誓いは過去に在った宗教儀礼などではなく
今此の瞬間が五字七字の宝塔を開いて請願を打ち立てる今がその時なんだ。
その時とは当に今、この瞬間の事を言っているんだ。
題目をあげる時の命が開く様をありありと訴えかけていく
仏の会座にあって一つだけ欠けているものがあるそのパーツを
自らの獅子吼する大音声で埋める時完成した会座が宝塔を開く
当に開く義であり具足円満で欠けたるもののないものであり
見事に蘇生していく義である。 その完成した時に請願を打ち込む。
開く儀は当に此の時がそうであり此の瞬間命に信仰の血脈が通い
開眼されていくって経典に書いてあるね。
690 :
:2010/09/04(土) 02:58:09 ID:???
この様に空蝉なボディーに妙法を供養して行く開眼しないと
この身に悪鬼が取り付き(病、総じて深い悩み)魔が住する(悩乱)
だからこの身を妙法をもって開眼(信仰)しないと空き家に盗人が
入る様なものである。
その開眼供養するときは真言やホニャララ経では駄目って再三にわたり
警告している。
仏法は内道といって自らの命の奥底に対していくものであり何かの権威に
おすがりするのは外道であり法師の衣を着たる畜生である。 って警告されている。
開眼するのは本尊では無く此方の自身の命を開く事がすなわち開眼の義である。
>>685は勉強になったっす。 トンクス。 って創価の駆け出しが生意気言いました。
691 :
:2010/09/04(土) 03:13:16 ID:???
何か遥か彼方の出来事を透視する人にじゃあボクの手の平に握られて
いるものを当ててみてって言ったら激怒する超越者みたい。
100年後を予言する人に1分後を当ててみてって言うとメッサしかられる
なんかそんな感じの人がいるようです。
遠くの事を当てられるのなら100年後が判るのなら・・
目くじら立てないでボクの手の平に握られているものを
当ててよ?
ね、いいでしょ? 偉い人。 創価の駆け出しじゃ駄目っすか?
権威の無い子供があの人服着ていないって言ったら大事件?
>>674 あなたは何に一生を捧げているんでしょうか
創価学会も一人一人の人間の集まりだが、誰と誰が謗法を犯したんだ?
696 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/04(土) 13:29:22 ID:ALfVJZQC
創価学会が各都道府県にあんな立派な建物を建てる理由がわからないです?
もっと建物よりボランティアに精をだしたらどうでしょう?
人に教えを説くなら、みんなが認める事をしましょう。
それと乱暴な言葉づかいの人が多い書込みですね。
>>695 なんでもかんでもアンチに責任転嫁するよね創価信者って。
>>690 >空蝉
って、幼虫からの脱皮みたいなことですよね?・・・そのまま捨て去ってもいいような気がします。
殻に執着しますと一仏乗に向かうことができなと思うのですが?
このような譬えがスッタニパータ〈中村元訳〉にあります。
「ひとを生存に縛りつける原因となる<妄執から生ずるもの>をいささかももたない修行者
は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。」
どちらにしても、脱皮するか泥水を去らなければ、開花もできないし、開眼もできないと考えてしまいます。
699 :
:2010/09/05(日) 01:32:45 ID:???
今の人生に思い入れも無く遣り甲斐も感じない様であれば其れも有りなのかも、ね。
生きる為に足掻き、もがく、欲が在るから達成しない不満足が生じる。
悩みの元のこの身を燃やして灰にしてしまえば輪廻から開放されるのか?
どうだろうね? 生まれる前にどうするか聞かれたら躊躇いも出るけど
今は、もう生きているし生きるからにはより良く生きたいしさてさてどうしたものか?
スッタニパータ、、スパゲティ・パスタは大好きなんですけど。
さてさて現実に生きて生活してどんな所に生きがいを感じるかって人それぞれだよね?
仕事でも趣味でも何にしても今までに培って来たモノってあるよね?
仕事のスキル、趣味で絵を描いたり、スポーツで好敵手と競い合ったりと・・
今まで培って来たモノを思いっきり力出し切ってみたいし其れが成長の証として実感
出来たら面白いよね? その流れが本流であればなおいいしね。
何かの理由で力出し切れない人ってかわいそうだしね。
そんな感じの価値観もあってもいいんジャネ?
互いに培って来た力を持っているもの同士未だにまだ見ぬ好敵手・・
ふっとその分野でバッタリと出会ってしまった二人。
一瞬で分かり合えて嗚呼此処にも居たんだ俺は独りでは無かった。
互いに命の交感が必ずあるよ。
まだ見ぬ何れ出会う互いを良く知る久遠の友が必ず居るんだ、って
信じて自分を磨きたいジャン?
こんな価値観があってもいいよね・・ねぇ、皆どう思う?
スッパニナンタラがどうしたかは判らないけど現実に生きるボク達は
生きるために足掻き、もがく・・
価値の無いものとして冷めて諦観するよりもガンガン行こうぜ。
って創価の駆け出しが思いました。
700 :
:2010/09/05(日) 01:49:12 ID:???
更には空蝉の例えは木絵二像での空き家に泥棒が入る様に悪鬼や魔が
開眼していないと住み着いてしまうとの解釈を宗門は本尊の事を言っている
って事だけどボクも一読した時は、そう見えたけど2度目に読んだ時に違和感が
在ったので三回読んだ後にもしかして此れって本尊に対しての開眼ではなくて
自身の命を開く事を開眼と言ってるのではないのかって思いました。
だって仏法って自身の命をいかに価値在るものにするかをくどい位に
説いているので他の御書にも再三にわたりメカニズムが書かれていて
>>685の見宝塔品みたら嗚呼此れって自分自身の命の事を書いてあるジャン
って思ったら何か物凄く面白くなっちゃったんだ。
自身の事の日記を読んでいるようで嗚呼その通りだ此処に書かれてある
当に今此の瞬間が久遠の儀式なんだと感動しちゃったよ。
他の御書も経典も仏教説話も全てが自分自身のことが書かれているジャンって。
其れをいかに活用して行くかのノウハウでありハウツウのテキストなんだって
ワックワク・ドッキドキっすよ。 ねぇ、皆、こんな感じでどうっすか?
701 :
:2010/09/05(日) 02:01:45 ID:???
この身に仏の教えをインスコしないとこの身に悪鬼が魔が入り込んじゃうぞって
もう一つインスコするアプリは妙法でなくては駄目だぞって。
悪鬼って外部から侵入する病気や外部原因の疾患やら悩み。
魔って内部因子による悩乱、精神疾患、ノイローゼ等。
この身をナンタラ・ソワカ、、インドのソバヤーとかって密教やら
真言とかで開眼しようものなら大変な事になっちゃうぜって書いてある
こう見ると本尊を開眼するんでは無くこの身、自身の命を開く事が
開眼なのでありその虚空会の儀式、久遠の約束って昔の事ではなくて
今、この瞬間がそうなんだって読めてきちゃう。
そしたらスッパニナンタラとかよりも久遠の約束でこの世に生まれ出でた
って解釈の方が断然ワックワク・ドッキドキだよ。
702 :
大乗非仏説:2010/09/05(日) 18:37:58 ID:???
Sさんも舎利弗さんもいないですね
なんだなあ・・
>>700 梵天勧請というエピソードも自問自答のなかにあったんですね。
阿呆のわたしなんか未だに“違和感”がありまして、ただ文だけを暗記してるかのようです。w
「仏の滅度の後に 能く其の義を解せんは」・・・と、法華の心を理解した者こそが「諸の天人 世間の眼なり」
と書かれてますね。日蓮がいうところの「我 日本の眼目とならむ!」とはこのことでしょうね。
道理を見抜く天眼のなかで、法を人々に教えたならば、その人たちは・・・「皆供養すべし」というわけですね。
ここでいう“供養”とは、
「知性を磨いて、豊かになる」・・・と思われ、俗にいう物を供えて祈ることではないのかもと思われます。
釈迦が見返りに物貰いを説いているわjけでもなさそうです。ww
宗派が異なっても原点に向かう姿勢があれば・・・わかりあえる時がくるでしょうと考えています。
創価さんも正宗さんもガンバッテください。けんかはダメね。いくらがんばっても・・・みえみえの心しかありません。
ではまたどこかで会いたいです。
704 :
:2010/09/05(日) 21:39:01 ID:???
互いに宗派は異なり進む道は違うけど求道の人は身近に居ました、ね。
こんな感じでの内道への探求も時には有りかな? って感じます。
梵天勧請の逡巡というか躊躇いの奥にはどの様な内証があったかは分かりませんが
自問自答の中には既に答えの輪郭が其れと無しに見え隠れしていたのでしょう。
多分に悩みと言う部分には既に答えが用意されていて其の部分へと目を向けさせる為に
ぼやけたパーツが出てきますよね?
他の部分は大分理解しているけど此の部分がぼやけていると・・って部分が
大概掘り下げていくと答えになっている。
なにか大きな流れの中に浮島の如く点々と流れて行かない思考の枠が在れば
人はその部分を先送りにしてフタをして無視しがちだけど其の面倒な部分こそ
掘り下げなければ見つからない答えだったりします。
簡単にたとえれば悩んだ時には答えは既に悩みの中に用意されちゃってる時って
けっこう在ります。
因果具時って言うのかな? 因の中に既に結果の方向が入っている・・そんな感じでしょう。
705 :
:2010/09/05(日) 21:55:25 ID:???
誰でしたっけ? ミケランジェロだったかな?
石の塊を見て嗚呼、此の中に天使が閉じ込められている助けなければ。
って言ってハンマーとノミで天使の形を掘り出してしまったのを弟子が
見ていて何故このような見事な彫刻を素早く掘り出せるのかって・・
其の時に笑いながら私は天使を創作したのではなくて此の石の塊の余分な
部分を削り取って本来のあるままの姿へとなる手助けをしたまでだよって。
左甚五郎も木の塊に命を吹き込むのではなく命に余分な部分を削り取った
結果、本来の姿になる手助けって感じの表現だったと思います。
思考の部分でも悩みの内に既に答えは隠れているその答えの部分は一番
悩む部分に既に在るって事でしょう。
昔の中国のえらいおっさんも悩むとは答えの範囲に差し掛かったから
悩むんだって。
ってそんな感じっすかね・・
706 :
:2010/09/05(日) 22:17:17 ID:???
昔、思想犯って言うのかな? 戦時中に牢屋に入れられて非国民ってレッテル
張られて窮屈な牢屋でやる事もなく読みたい本を差し入れしてもらおうにも
いろいろチェックが入り自由にならない人が居たんだ。 牛乳瓶の底の様なめがね掛けて
ヒョロッと背の高くて・・
読む本が無いので法華経を読んでは考え考えては読み返して・・何度目かの読み返しで
無量義経の其の身来るのでもなく去るのでもなく、短くも無く長くも無い・・って
部分を何度読んでも其の身って部分が何なのかを考え続けていたんだって。
其の身と言うからには仏の実態を指しての言葉なんだろうが何なの? って考えて
ある明け方の中悩みに悩んでブツブツうわ言の様にうなされる様に。
と、其の時に電流が走った様に、アッ、グッ、、、嗚呼、そ、そうだ。
其の身とは、仏とは仏の実態とはこの身にある命、生命の事を指しているんだ。
ってそのひょろ長い丸めがねの人は思い至って悟りを得たそうです。
なんと感動的な悟りなんだろう確かにこの身に宿るこの命って摩訶不思議な
命の可能性って命の奥深さって・・
この方は此の時に決意したそうですボクの此の体はこの教えを広める事に
残された時間を使っていこうと。
この方は言っています。 昔から難解難入と言われた法華経も仏の実態って
自分自身の命を生命を表わす表現の一つなんだって・・これが分かれば
経典の書かれている部分はすらすら読めると。
物凄く感動しました。
>>704 門、扉などをいかにして開て入るか?が難解難入ということでしょうね。
自分が開けるか、それとも他人に任せるかが・・・考ええるところでもあります。
経の深〜い意味を掘り下げ、水を求めていくのもたしかに大変です。・・途中で頭が破れそうにもなりますね。
水を求めて水を得ることが私達の願いであり、その方法として経験者の教えが必要します。
その経験者とは誰か?・・・・が問題なのですけどね。・・・水を得た人でしょうけど。
すくなくとも、上の御方から下へと与えられることだとは思えません。
法師品
是の経は聞くことを得難し 信受する者亦難し 人の渇して水を須いんとして 高原を穿鑿するに
猶お乾燥ける土を見ては 水を去ること尚遠しと知る 漸く湿える土泥を見ては 決定して水に近づきぬと知らんが如し
薬王汝当に知るべし 是の如き諸人等 法華経を聞かずんば 仏智を去ること甚だ遠し
若し是の深経の 声聞の法を決了して 是れ諸経の王なるを聞き 聞き已って諦かに思惟せん
当に知るべし此の人等は 仏の智慧に近づきぬ 若し人此の経を説かば 如来の室に入り
如来の衣を著 而も如来の座に坐して 衆に処して畏るる所なく 広く為に分別し説くべし
とは書かれてはいるもの・・・「やっぱり、難しい〜!」です。w
もうすこし彫って(掘って)みます。
708 :
:2010/09/07(火) 02:40:25 ID:???
また、難しいっすよ。 意味わかんねっす。
此の得難き法に会うのは隻眼の亀の浮木に遭う様な確立だと言うし
優曇華の華が咲くのを見られる様な希な事だと思うけど。
個儀を構えるのはご法度だから出任せは嫌だけど。
何となく此の得難き法に出会い行ずると今までの分析等の手法による
理論の積み重ねの演繹法だとチグハグな諸行が直達正観による帰納法
で全てが動き出す・・って感じに見えます。
如来の実態って如如として来る、ですよね? 物事を今から次へと動かし行く
力の本源を如来って表現します。
一瞬一瞬瞬く間に移り行く根源の法則の実態。 其れが如来。
星の運行から人生の変転する様から等等。
諸行無常ってダイナミックに移ろう凄まじいエナジーの別名ですよね?
ダヤパンダーサンカーラーってサンスクリット語で表わしますがその
諸行無常のバックボーンにある根源の実態をサッダルマプンダーリーカスートラ
って呼び妙法蓮華教って訳します。
その様に演繹の法に縛られて進まなかった部分が帰納法の根源に触れて
とまっていた時間が動き出す・・価値ある自分を取り戻す瞬間を
表わしていたりして・・えぇっ、本当か?
ぼ、ボクは適当な事言っちゃってバチあたらないか?
709 :
:2010/09/07(火) 03:00:10 ID:???
法師品の法師って法を会得した師匠、マスターなのかな?
法華マスターの事を法師って言っているのかな?
法は九界で師を仏界として展開していたりして、何ちゃって、ね。
でね?九界と仏界ってどちらが上でどちらが格下とかでなくてね
共に命の現れ方を表現していて仏がベースになっていて環境によって
命の仏の現れ方が違う・・
だから無量義は一法より生ずる。
師、弟は共に不二であるし環境も自身の一部として不二の原理が施行できるし
依正不二として全てが**と++とが二つでワンセット互いに見た目は違うけど
本質は同じところから出ている・・そ・れ・は、自身の命なんだよって
ボクは、バチあたらないよね? 怖えぇー
710 :
:2010/09/07(火) 03:19:29 ID:???
物理の第二法則ってのかな? エントロフィーがどうしたこうしたってやつ
角砂糖を水が入ったコップに落とすと形が崩れて来てどんどん解けてきちゃう。
縁に触れて元の形は変化していくが本質は総量としては不二なのかなって? 限られた場では
また、同じ環境でも此方は楽しくてもあちらは苦しみを感じたりして
でも環境としては同じものだと。
同じ環境でも一瞬にして其の本質を把握して行く者と条件とかのパーツに
たて分けて分析して積み重ねていこうとする者の違いを命のレベルで
見ている件なのかなって・・
711 :
:
えっと、法華経を出したのって日蓮仏法を行ずる人でしょうか?
でしたらボク達が御書って呼んでいる信徒に宛てたお手紙集が
在ります。 宗派によっては御ミョウバンとか言ったりしますよね。
昔、沼津の信徒に宛てたお手紙に 法華初心成仏抄 って言うのが在ります。
其処に仏界を湧現させていく方法を例えて書かれています。
鳥篭の中の鳥と外の鳥が互いに呼び呼ばれて引き合うように・・
其のあたりのメカニズムが宝塔を開く儀にとてもよくマッチしています。
イロイロ見ていくと面白いですね?
仏とは自身の命を表わした言葉だと認識してみていくとドキドキワクワクしますね。