【築】さあ、語りましょう【山】

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290築山
>>279さん、お疲れ様です。
「不二の尊体」は能化文書。能化文書は承服ですね。
では、能化が貫主の許可なく文書にしたと。
師敵対の謗法になります。
また、内証・本尊書写の境地と。
貫主以外の一般僧による本尊書写もその一般僧にも内証(貴方方が云う蓮祖大聖人の法魂)があるのですね。唯受一人と云う法魂が貫主以外の一般僧にもあると。一つの矛盾点。

一般僧、寂日坊日掌の本尊、
管野慈雲氏の本尊等々
化義抄「末寺に於いて弟子檀那を持つひとは守り(本尊)をば書くべし、但し判形は有るべからず本寺住持の所作に限るべし」
これによって上代には一般僧にも本尊書写が許可されており、
現在のように法主一人による本尊書写の大権が確立したのは学会の広宣流布の戦いで本尊授与の在り方が問題提起されてからである。あの掘日亨上人ですら、御隠尊になられてから本尊書写をしています。

また、「之」は貫主ではないと。
貫主の仰せの「之」は間違いあるのは承服ですね。
蓮祖大聖人の法魂が宿る貫主には間違いがありますね。
そうでなければ開山上人が遺誡などされません。
貴方方が言われる貫主は三毒強盛の凡夫です。
御法主上人猊下となんとも仰々しい名でありますが、
日有上人は「末法今時は悪心のみにして善心無し・師弟共に三毒強盛の凡夫の師弟相対して・又余念無く妙法蓮華経を受時する処を即身成仏とも名字下種とも云わるるなり」
「後五百歳の今時に師弟共に三毒強盛の愚者迷者の上にして位・名字の初心に居して師弟相対して又余念なく南無妙法蓮華経と受持する名字は下種なり、此の下種に依って終に脱するなり」と述べ、師弟相対と言っても愚者迷者と断じています。