952 :
S ◆42wGf2GOqE :2009/01/17(土) 01:57:33 ID:dIhh0Gfv
>>950 私の狙いは、二セ本尊撤廃それのみです、早く授与書きを消した偽本尊
カレンダー様の偽本尊を取り払い、みなに正しい本尊を下付してもらう(真実を知ってもらう)ことが望みです
よって第2の板もここにするつもりです。
他宗、邪宗との戦いはそのあとでしょ、創価が一番の国の一凶な訳ですから。
954 :
944:2009/01/17(土) 02:02:47 ID:???
日本語がへんてこりんになったので
>問題は正宗教団が視野狭窄の権威主義者を捉えているかだろう。
>もし創価のように権威主義にはまり込むように指導しているなら創価と同質といえるだろう。
>そういうタイプの人間が集められている妙観講の存在はきな臭さを感じる。
問題は正宗教団が視野狭窄の権威主義者を、どう捉え指導しているかで、
もし創価のように権威主義にはまり込むように指導しているならと同質といえるだろう。
そういうタイプの人間が集められている妙観講の存在にきな臭さを感じる。
しかし逆に妙観講の悪名だけが高いことを考えれば、それ以外の法華講はそれなりに薄いのかもしれない。
955 :
S ◆42wGf2GOqE :2009/01/17(土) 02:03:07 ID:dIhh0Gfv
>>951 では曼荼羅の開眼ということですね。簡単に言えば、あなたが引用されてる
アドレスに書かれてることに反論しろとのことですか?
>>944 権威主義者の実数はわからないなぁ。
ネットでは頻繁にお目にかかるし感化された人間が減らないから、少なくは無いような気もするし。
>問題は正宗教団が視野狭窄の権威主義者を捉えているかだろう。
捉えていないんじゃないかと思う。
池田も法主も教団では絶対権力者と誘導しているし、むしろ浮気をしない視野狭窄の権威主義者
になってくれたほうが教団としてもそのほうが都合がいいだろう。
盲目的に服従し、あがめてくれる信者は良い信者でないかと。
もう一つの土壌として双方敵対教団を論破する攻撃部隊を持っているのがあるかも。
普段から機関誌で敵対教団を攻撃し自宗のTPOと教義を絶対とした理論で論破するから。
根っこの部分はそんなに変わらないんじゃないかな。
双方、攻撃部隊に注意指導はしていないように見えるし。
958 :
107:2009/01/17(土) 02:09:06 ID:???
>>955 そうです
>違背した貫主 仏法に相違してってありますが、ご法主上人が、仏法に相違とはどこに仏法における相違がありましたか?
つまり誰も相違があるか法主本人しかわからない、または法主も解釈を間違えればわかっていない場合もある。
秘すべしの一師相伝の開眼作業をこっそり法主様が歪曲の開眼し、
あなたのいう本来の開眼がされず、功徳のない本尊を配布されても誰もわからないのでは?と聞いているのです
そしてその場合
「時の貫首たりと雖も仏法に違背して己義を構えば之れを用う可からざる事」(御書P1618
は誰も判断できないから成立しなくなるのでは?ということを言いたいのです
959 :
S ◆42wGf2GOqE :2009/01/17(土) 02:10:29 ID:dIhh0Gfv
>>945 >これは開眼はいつ、どこで、誰がどのような方法でやるのかをなぜ御書に記載ないのかと、あなたに聞いているのですよ
なぜ記載がないのかは私も知りません。だから、開眼供養などはいらないのではとあなたはいいたいわけでしょ?違うのですか?
960 :
107:2009/01/17(土) 02:20:20 ID:???
>>959 「時の貫首たりと雖も仏法に違背して己義を構えば之れを用う可からざる事」(御書P1618
これは大聖人がもし一師相伝の貫首となる人が絶対過ちを起こさないという確証があれば
この御書は存在しないはず。つまり貫首といえど過ちを起こかもしれない。
そんな過ちを起こかもしれない人に一師相伝の開眼作業を託し、もし己義を構えた貫首が現れても秘すべしだから誰も気づかず
功徳のない本尊を配布される結果になり万民を不幸にするようなことがあってもよいのか?と聞いているのですよ
ひょっとしたら今、功徳のない本尊になっているかもしれない
しかし一師相伝だから、それすら誰もわからない。
万民の幸福のための日蓮仏法が、そんな人任せで適当な教義なのですか?
と聞いているのですよ
961 :
S ◆42wGf2GOqE :2009/01/17(土) 02:22:01 ID:dIhh0Gfv
>>960 ちょいちょい まだ 開眼の話ですよ その話はあとで急がず一緒に
ゆっくり検証してまいりましょう。
962 :
春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/01/17(土) 02:23:35 ID:Ph31fFNs
>>943 資料屋さん
いつも適切な資料を提供して下さって、助かってます。ありがとうございます。(深々)
>>944さん
>日蓮正宗より権威を感じる宗教を見つけたら、そちらへ移ることになるだろう。
その可能性は確かにありますね…そうやって宗教を転々とする方もいらっしゃるみたいですから。
――ただ、彼らは権威主義ではあるのでしょうが、その根っこの問題は自我が幼稚なままなのではないでしょうか?
だから、全てを他者のせいにして、それに振り回されている。
不幸は全てニセ本尊のせいにしていますが、文証を出せ!と迫るのは、
正しさをやはり他者に丸投げしているからです。自分の不幸はニセ本尊のせいで、
自分の正しさは御書のせい。だから自分が如何なる言動をしようと“自分は悪くない”。
御書を持ち出すにしても、真剣にその意味を自分で考えるならば、やはりその結果の言動には自己の責任が生じます。
自己の責任が生じれば、やはり怖いですからそうそう好き勝手には振る舞えません。
その“怖さ”から、彼らは妄信によって解放されているので、怖いもの知らずに振る舞えるのだと思います。
>アメリカの急進的福音主義者は十分大手といえるほどの数がいるけどね。
仰る通りです。以前、その問題も本尊焼きスレで扱ったことがあるのですが、
今回はそこまで触れる必要はないかと省きました。説明不足をお詫びします。
イスラム教についての説明にも異論はありません。詳細にありがとうございました。
問題は、結局そのような現実的折り合いをどう捉えるかだと思います。
原理主義に走ってそのような折り合いを否定すれば、彼らだって生きてはいけないでしょう。
963 :
春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/01/17(土) 02:24:14 ID:Ph31fFNs
964 :
S ◆42wGf2GOqE :2009/01/17(土) 02:25:14 ID:dIhh0Gfv
>>958 >そうです(アドレスで引用された部分)
その前にあなたは、木絵二像開眼の事や他の御書、どういう意味を通して質問してるか
質問してる以上は、ご理解されてる上で質問なさってるんですよね?
その邪難については、今から木絵二像開眼の事と観心本尊抄で破折しますよ いいですか?
965 :
107:2009/01/17(土) 02:29:09 ID:aXf6mSWz
966 :
春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2009/01/17(土) 02:29:41 ID:Ph31fFNs
>>957さん
私もそのように思います。ご意見に同感です。
967 :
107:2009/01/17(土) 02:33:07 ID:???
>>964 >その邪難については、今から木絵二像開眼の事と観心本尊抄で破折しますよ いいですか?
だめです
質問しているのを無視して話題を変えるのはやめましょうよ。
やはりageのが色的に好きだなw
968 :
S ◆42wGf2GOqE :2009/01/17(土) 02:34:20 ID:dIhh0Gfv
>>965 法主の開眼の仕方が、御書に書いてるかって事を聞いてるのですよね?
答え ずばりありません だったら何なんでしょうか?問題でもありますか?
969 :
S ◆42wGf2GOqE :2009/01/17(土) 02:38:00 ID:dIhh0Gfv
>>967 答えました では開眼が必要でないとなれば、木絵二像開眼の事に
法華経を心得たる人・木絵二像を開眼供養せざれば、家に主なきに盗人が入り人の死するに其の身に
鬼神入るが如しと仰せです この御文はどうなりますか?
開眼供養しなかったら、魔が入るといわれてるのですよ?
970 :
107:2009/01/17(土) 02:39:00 ID:???
>>960 そんなことを聞いていません、話そらさないでください
一方で「時の貫首たりと雖も仏法に違背して己義を構えば之れを用う可からざる事」(御書P1618
と貫首といえど己義で過ちを起こかもしれない。といっているのに
なぜ功徳が決まる開眼を貫首に託すのか?
この矛盾はなんでしょうか?
と聞いているのです
971 :
107:2009/01/17(土) 02:40:31 ID:???
972 :
S ◆42wGf2GOqE :2009/01/17(土) 02:40:36 ID:dIhh0Gfv
>>967 だめですって破折の際に、御書のの御文使えないのは
文証無きは悉く邪の謂なりと大聖人様は仰せです、お互いに観念や空想を語り合っても
それはおよそ邪信、迷信、盲信に陥ると大聖人様は仰せです。
973 :
S ◆42wGf2GOqE :2009/01/17(土) 02:44:01 ID:dIhh0Gfv
>>970 だったら、貫主猊下が、仏法で相違した部分を論証ください
私としては、歴代ご法主上人はもちろん日顕猊下も仏法に相違はしていないと解釈しています
猊下様の、あくまでも仏法に相違してとは、どこをもって相違といってるのかが論証されないと
仏法に己義を構えてとは言えません。
974 :
107:2009/01/17(土) 02:45:05 ID:???
>>972 なぜ960の質問を無視するのでしょうか?
このままだと
>>960により法主限定で開眼すれば功徳がでるということは
ないということになってしまいます
もし違うというなら
>>960の矛盾を説明してください
975 :
S ◆42wGf2GOqE :2009/01/17(土) 02:49:02 ID:dIhh0Gfv
>>974 だからまずあなたが、日顕猊下が仏法に相違したという根拠を挙げてください
なければ、唯授一人血脈相伝は脈脈と流れており、戸田先生の言う通り、御本尊様の開眼
のことと、御本尊書写については、ご法主手によるしかないという、その言われるままの事をなさってることに
なります
もう一度いいます 仏法に相違して己義とは どの部分をさしてそのように決めつけてるのですか?
もし相違者でなければ、この問題はなかったことになりますからね。
976 :
107:2009/01/17(土) 02:49:55 ID:???
>>973 だから話を摩り替えないでください
>>960の矛盾を説明してくださいと言っているのですよ
977 :
S ◆42wGf2GOqE :2009/01/17(土) 02:52:04 ID:dIhh0Gfv
>>976 日顕猊下は、仏法に違背されていません。よって開眼供養もできます。
あなたはあくまでも日顕猊下が違背してると決め付けてかかってるのでは?だから話がおかしくなるのでは?
978 :
107:2009/01/17(土) 03:02:22 ID:???
>>975 >だからまずあなたが、日顕猊下が仏法に相違したという根拠を挙げてください
そんなこといってないでしょうw。そもそも日顕法主の話など一言も出していない。
わざと摩り替えているのですか?
まず大聖人は「時の貫首たりと雖も仏法に違背して己義を構えば之れを用う可からざる事」(御書P1618
と貫首といえど己義で過ちを起こかもしれない。といっているのに
なぜ功徳が決まる開眼を、己義で過ちを起こかもしれない貫首のみに託すのか?
仮に開眼に己義をして、偽本尊を配布しても秘すべしだから誰も気づかないんですよ
この矛盾はなんでしょうか?と聞いているのです
日蓮正宗はそんな矛盾な教義なのですか?と聞いているのですよ
つまり
「時の貫首たりと雖も仏法に違背して己義を構えば之れを用う可からざる事」
か法主限定で功徳が決まる開眼作業のどちらかが己義と捉えるのが自然です。
つまり法主限定の開眼が己義です
そうしないと説明つかないと思います
曼茶羅書写の権限をきっちり限定したのは堀さん以降じゃないの?
まー知識も常識も無い外野の独り言なんだがw
「本寺住持の所作に限るべし」
「但し本寺の住持は即身成仏の信心一定の道俗には判形を成さるゝ事も之有り・希なる義なり云云」
正しいっつーか、原本の表現はどっち?
いや、別に答えてもらわんでいいけどw
スレも終わりに近いんで最後に記念カキコ。
んじゃ続きをどーぞ。
↓
980 :
S ◆42wGf2GOqE :2009/01/17(土) 03:11:21 ID:dIhh0Gfv
>>976 この御文があることに、そもそも疑問があるのですね わかりました。
あなたのこの引用におけるあなの読み方は、もう既に仏法に相違したひとは貫主としても
これに従ってはならないと、文にとらわれてるのである。
義においては、時の貫主とは、その宗の頭、即ち現在の管長であり法主である。
管長であるから宗門を運営するに当って、誰を採用し、任用してもよいのであるが、
大聖人の仏法に違背して自分勝手な説を立て、しかも注意されても改めない人を用いてはならない。
つまり、義においては時の貫主の権限を示されているのであって、あなたのこの御文の読み方が文に
囚われてるだけである、およそそういうものを「守文の徒」といい、また大聖人様はそのように御文を読み
解釈し、信仰を歪曲するものを、およそ愚かものと言っています つまりあなたは愚かものであり、大謗法者です。
981 :
S ◆42wGf2GOqE :2009/01/17(土) 03:22:34 ID:dIhh0Gfv
『時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事。』
とは「一往」は御法主上人も外用の辺は示同凡夫であるが故に、誤解やちょっとした思い違い等は起こりうるのである。
しかし「再往」は御法主上人の血脈の当処は三宝一体であるが故に
「衆義たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事。」と言われるのであり、血脈の法体に関する根本的な意義については、
けっして誤りはないのである。
さらに思索すると、
これについては、古来から様々な見解が出ている。
またこの御文を楯にして、富士大石寺から離反していった門人は数知れない。
ここを深く思惟するに、この御文には、日興上人が未来永劫に大聖人の御法門とその法を御護りする宗門・宗団を清浄に保つ為に
御遺しになられた甚深の御配慮を拝するのである。
つまり、真の三宝への信心がない者は、『時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事。』を奇貨として
自らの慢心を増幅させ、御文の真意を曲解し、時の御法主上人を攻撃・誹謗し、
果ては自らの我見を基とした異流儀として背反していくのである。
結果、戒壇の大御本尊から離反して堕獄の道をひた走るのである。
982 :
S ◆42wGf2GOqE :2009/01/17(土) 03:23:47 ID:dIhh0Gfv
このような者たちは、獅子身中の虫であり、宗内でその謗法の邪念をひた隠して隠棲していると、本当の大事の時に、
大きな魔となり、宗門衰亡の一大事となりかねない。
であるから慢心深き者どもは、宗内で、強い抜き差しがたい立場に成長する前に、この御文に誘発されて、
自ら宗外へ離脱してくれる、とも言えるのである。
最近では、顕正会しかり、正信会しかり、そして創価学会しかり。
事実昨今の離反した者たちは、まさにそのような慢心深き者達であり、彼らが離反していったお陰で、
宗内は実に清浄になったことは紛れもない事実である。
痴犬もまさにこの慢心深き、三大秘法との因縁薄き、薄幸な衆生であり、まんまと魔師に騙されて、
誑かされて、戒壇の大御本尊を信じ、拝し、随順し切れなかった、哀れな衆生である。
御仏の遺誡■「法に依って人に依らざれ」を厳守できなかった、大馬鹿者、愚かものである。
よくよく後生を怖れるべきである。
983 :
S ◆42wGf2GOqE :2009/01/17(土) 03:26:03 ID:dIhh0Gfv
質問に答えたので、次は私の番です
先ほどあなたは、開眼は不要と言いましたよね?
じゃー開眼しなかったら、南無妙法蓮華経と書いてるものであれば、あなたはなんでも本尊となる
それでいいんですね!
984 :
107:2009/01/17(土) 03:27:36 ID:???
>>979 俺のほうが知識も常識も無いので質問します
>曼茶羅書写の権限をきっちり限定したのは堀さん以降じゃないの?
堀さんって歴代の法主さんですか?
>「本寺住持の所作に限るべし」
>「但し本寺の住持は即身成仏の信心一定の道俗には判形を成さるゝ事も之有り・希なる義なり云云」
>正しいっつーか、原本の表現はどっち?
わかりません、
どちらでしょうか?
元学会員の方ですか?
985 :
S ◆42wGf2GOqE :2009/01/17(土) 03:32:21 ID:dIhh0Gfv
>>984 なぜ他としゃべる?おれの質問にとても答えられないからか?
そりゃーそーだよね、これを、認めたら君は泥沼にはまるのみ
勉強不足ちゃんだからか?さっきの態度はどこにいった?
地獄行き切符をもった107君 勉強して出直してこい!
仏法に相違したという根拠を挙げてください!!逃げるな!臆病者 愚かものが
>>985>>986 ひどい言い方ですね。
今何時だと?寝たと思わないのかな。
>>984 >>979ではないが、59世日亨(にちこう)上人(1867年2月24日 - 1957年11月23日)のことではないかと。
発音から日興上人と間違えやすいため苗字をとって「堀上人」、「堀猊下」と呼ばれることも多い。とのこと。
発言内容については知らない。
>>107 いや、ごめん。俺も素で知らないw
宗教はやったことない。大学でちょっと齧っただけ。
堀さんは堀日亨さんね。「有師化儀抄註解」って本の人。
>>979は日有さんの本なんだけど「末寺の住職は本尊書写して良し。但し判形はすんなよ!」とあって、
その後に続く文が二種類に分かれてる。多分大石寺の現行は上なんだろうな。
それ以前に、堀さんの頃までは普通に末寺で書写してたって聞いた事があってね。
その為のマニュアルもちゃんとあって、表装なんかは信者がやって。
その辺のやり方を、戸田城聖さんが色々変えたって話もあったから。
寺での授戒とか、勤行の五座三座とか、大人数での参詣とか。
普通の学会員や脱会組の法華講員は、それが事実かどうか以前に話の存在すら知らないだろうね。
989 :
S ◆42wGf2GOqE :2009/01/17(土) 04:04:03 ID:dIhh0Gfv
>>987 論に詰まったね よって論破です。
邪義をとなえる自分の恥を知りなさい
そんな御文の邪難は、破折されきっています
お疲れ様、勉強して顔洗って出直してきなさい。
それと君が言ってる功徳なんぞ、天理教の人や念仏の頑張ってる
信者にでもあること、それを創価の信仰でという根拠は?論証出来る?
もーやめておこうか お疲れ様 仏法上の愚かものさん
ごめん、
>>984だったw
>>107氏に聞いた訳じゃないから、気にしないでね。
回答っつーか、日蓮正宗の主張が返ってくるとしたら
>>656氏だろうな。
ってな訳で思わず長居したゃったけど、今度こそカキコはこれで終わり。
またねん。
991 :
S ◆42wGf2GOqE :2009/01/17(土) 04:29:58 ID:dIhh0Gfv
>>166 御授戒は大聖人御在世当時から行なわれていました。
『最蓮房御返事』に
「結句は卯月(うづき)八日夜半寅(とら)の時に妙法の本円戒を以て授職潅頂(かんじょう)せしめ奉る者なり」(新編 587頁)
とあり、この「授職潅頂」とは御授戒の意味です。
また、江戸時代には金沢の信徒が受戒したことが日寛上人の書状から伺えます。
ただし戦前から戦後にかけて厳しい言論統制と布教の抑圧があり、地方では御授戒を行なう機会がなかった寺院もありました。
だからといって「御授戒は学会のはたらきかけによって始められた」というのは間違いです!!
992 :
S ◆42wGf2GOqE :2009/01/17(土) 04:43:55 ID:dIhh0Gfv
開眼に対する言い訳は、全く反論できなくなった107君の悔しさが滲み、
教義的には全く未熟なのに老残の一兵卒の悲哀が漂う。
更に、特に最後の対論中にかかわらず他の者への解答にとは、107君が急いで
慌てて逃走する老醜の背中姿が仄見えて、真に味わい深いものがある。呵々大笑
993 :
S ◆42wGf2GOqE :2009/01/17(土) 04:54:33 ID:dIhh0Gfv
>>946 軍部主導の政府は、国家神道化を強力に推し進め、仏教各宗派に対しても神道の行事を国家行事として強制してきました。
宗門においても、言論統制の厳しい状況のもと、無用な混乱をさけるために強制的な当局の命令を形式的にそのまま宗内に
伝達していました。このような異常な状況のなかで、神札問題が起きました。その神札問題とは、
政府が国家統制のために国民に配布した「天照太神」と印刷された紙片を宗内の僧俗が受け取るか否かというものです。
この問題に対する宗門の対応について、日達上人は後に、次のような回顧談をされています。
「このとき、宗門としても神札を祀るなんてことはできないからね、一応うけるだけうけ取って、
住職の部屋のすみでも置いておこうという話になったわけです」(日達上人全集一―五―六四六n)
宗門は無用の軋れきによって国家権力が大御本尊と御法主上人におよぶことに配慮し、
さらには信徒の身の安全を思い、信徒に対して、配られた神札は一応、受け取っておくよう指示しましたわけです。
これは謗法厳誡の宗門として、苦慮の末、断腸の思いで下した結論であり、そういう真意もしらずに、喚くまさにあなたは痴犬
である。 呵々大笑
994 :
S ◆42wGf2GOqE :2009/01/17(土) 05:20:11 ID:dIhh0Gfv
>>107 四恩抄
仏宝法宝は必ず僧により住す
わざわざ邪僧に開眼供養を頼まないとしても、本尊となるべき草木→木画二像→紙幅・板曼荼羅
を正当な資格者が開眼供養しなければ、邪僧が開眼供養したと同様に、魔が入り、鬼が入り、
『拝む者の生気や寿命や功徳を吸い取り、今生には本人・家族・地域社会・・・果ては国家を滅ぼし、
死後は無間地獄に堕ちる。』のである。
これは、まさに、創価学会が販売しているニセ本尊であり、身延のみやげ掛け軸等である。
(その他ありとあらゆる"本尊"と称するもの全てである。)
以上の如くに、創価学会員の反駁は全く暗愚な妄執そのものでありる 愚かもの勉強不足の様相である。
995 :
S ◆42wGf2GOqE :2009/01/17(土) 05:22:11 ID:dIhh0Gfv
>>737 鬼入りて人の命をうばふ。鬼をば奪命者(だつみょうしゃ)といふ 以上
まさに勉強不足なのこの態度 情けなさが残るものである
呵々大笑
呵々大笑
次スレどうするの?
呵々々々々々々々々々々々々々々々々々々大笑
1000 :
S ◆42wGf2GOqE :2009/01/17(土) 05:37:42 ID:dIhh0Gfv
>>159 「然れば則ち木像画像の開眼供養は唯法華経に限るべし」(本尊問答抄 366頁)
「此の画木に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入るる事は法華経の力なり」(四条金吾釈迦仏供養事 1145頁)
かるーく破折(笑)
第二十六世日寛上人の
『観心本尊抄文段』には
■「木画二像の草木成仏とは、謂く、木画の二像に一念三千の仏種の魂魄を入るるが故に、木画の全体生身の仏なり。(中略)
当に知るべし、若し草木成仏の両義を暁れば、則ち今安置し奉る処の御本尊の全体、本有無作の一念三千の生身の御仏なり。
謹んで文字及び木画と謂うことなかれ云云」
とあり、草木成仏は一念三千の仏種によること、そして御本尊の全体も一念三千の仏種の開眼によってはじめて生身の仏となる旨を
明確にご指南されています。
さらに、第三十一世日因上人は、御消息に
■「木絵の二像は本と草木にて有り、然るを生身の妙覚の仏と開眼したもふ事は大事至極の秘曲なり、
日蓮聖人乃至日因に至る迄、三十一代累も乱れず相伝是れ也」
と仰せられ、
また、第五十六世日応上人は
■「金口血脈には、宗祖己心の秘妙を垂示し一切衆生成仏を所期する本尊の活眼たる極意の相伝あり」
と説かれているように、本宗における御本尊の開眼は、唯授一人の「極意の相伝」によることが明らかです。
1001 :
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