創価学会はチベット問題はどう思ってるの? Part3
その池田氏だけれど、かって立正安国論の講義をした際
立正安国論に書かれていた8段目に書かれていた
「夫れ釈尊以前の仏教は其の罪を斬る」の一説をしたさい こんな事を言っているんだけれどね〜
立正安国論講義(池田大作著)昭和42年発行11版 P.913〜917
仙与国王や有徳王のように釈尊が三千年前インドに出現して説いたよりも ずっと昔の仏教では謗法の人を斬ったのである
何れも釈尊の因位の修行とされている そのような事実があったか如何か?
現在の科学的、歴史研究によっては明らかにされていない
むしろ否定的であり ー中略ー おとぎ話のようにしか受け止めてくれない
だが、帰納法的思考のみが人間の叡智の全てであると誰が断言できるだろうか
―中略―
ある書物にチベットのダライラマや高僧を巡る様々な話しが述べられていた
そして何よりも現代人に不思議に感じられたのは三世の生命観が皆に共通の考え方として
ごく当たり前の事とされている 例えばダライラマの後継者を探すのに国中の該当する年齢の男子にあたり
なくなったダライラマの特色とまったく一致している男の子を見出して―中略―位につける
―中略―
もとより、現代のわれわれは、こうした力がない
これはいわゆる“小乗の聖者”阿羅漢の得る六神通の中にある宿命通にあたる
日蓮大聖人の仏法においては「法門をもって邪正を正すべし、利根と通力とには頼るべからず」
・・・と仰せのごとく そのような通力を現ずる者があるとすれば
魔の眷属として断ぜられるのである
>>8 つまりチベット仏教の修行は六神通の中にある宿命通ばかりに執着しているわけ
その思考から抜け斬れていない一面もあったりして法門を無視している一面もある訳です
もっとも、正宗や創価もねぇ・・・
その宿命通を利用して権威化しているよね〜
例→日目上人の生まれ変わり
池田先生=大聖人の生まれ変わり
これ等の行為も唱法華題目抄の一説に照らし合わせれば
>>8の堀日亨上人編纂新偏御書P.16に書かれていた
「法門をもって邪正を正すべし、利根と通力とには頼るべからず」に該当し、魔の眷属となってしまいますが・・・
もっとも、この講義自体、演繹法最高と洗脳するための講義で
8段目の内容を額面どおり受け止めると結果的に虐めを肯定しちゃうんだよね〜
この部分に関しては見事に端折っている
つまり詭弁ガイドの? 6に該当する
一見関係ありそうで関係ない話でごまかしたわけよ
そういえば、よくよく考えてみると
血脈相承とか師弟不二とか感応道交も小乗の類だよね〜
宿命通を拡大したものだから利根と通力にも通じてしまう
第一、あのP.16の事を考えれば9段目の主人の言い分を考えれば
中にはそういう命を感じて生まれてくる子供だって存在する
そういう子供はその威力が判明したら殺しちゃっていいのかね〜
自分の産んだ子供が“魔の眷属”だったなんて・・・
あれれれ? 生命の尊厳は何処へいった?