初心者アンチの質問&相談に答えるスレ8

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666名無しさん@お腹いっぱい。
>>658
>潰したい、までいってますからね。
一凶は、潰すしかない。(ここで潰すとは、悪しき思想)
「・・・彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには・・・」
「早く天下の静謐を思わば、須く国中の謗法を絶つべし」「悪侶を誡めずんば、豈善事を成さんや」
「四海万邦、一切の四衆、其の悪に施さずして皆此の善に帰せば、何なる難か並び起り、何なる災いが競い来らん」(以上立正安国論)

後は・・・ここが参考になるかな。
2003-12-13 - 創価王道
ttp://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20031213

彼らがこちらの意見に真摯に耳を傾け行いを変えようとしているというなら、話は変ってくるが・・・。
667山椒島 ◆AUtVVr2znk :2008/03/17(月) 21:52:08 ID:sINVT5vq
>>666 さん
「一凶を禁ぜん」「謗法を絶つ」「悪侶を誡め」 − これらはすべて即"潰す"という事にはなりません。
最後に引用されている立正安国論のすぐ前の節で、日蓮自身が明確に示しているではありませんか。

「夫れ釈迦の以前仏教は其の罪を斬ると雖も能忍の以後経説は則ち其の施を止む」

その上で、「あくまでも法門・正理を以って正邪を正せ」というのが日蓮の主張です。
断じて罵倒を是としているわけではありません。これについては必要でしたらいくらでも遺文を挙げます。

また、会員さんがよく使われる「阿仏房尼御前御返事」(?)での涅槃経の引用ですが、一連の引用の
後で日蓮はこう締めくくっています。− 「彼が為に悪を除けば即ち是れ彼が親なりとは是なり」
親が子を口を極めて罵倒しますか?叩き潰しますか?のたれ死ぬまで攻め抜きますか?

開目抄における釈迦の故事は、提婆達多に怨まれて難を受けた"例え話"に過ぎません。
提婆達多の名がご本尊に記されていることを意味を考えれば、必然的にお分かりになると思います。
668山椒島 ◆AUtVVr2znk :2008/03/17(月) 22:16:59 ID:sINVT5vq
>>666 さん  >>667の追記です。レスの分散を防ぐ為の連投ご容赦下さい。
日蓮の説いた「折伏」と「慈悲」については、以下の有名な一説に集約されるのではないでしょうか。

「一代の肝心は法華経 法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり 不軽菩薩の人を敬いしは 
いかなる事ぞ 教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(崇峻天皇御書)

また、相手の立場や対応などによって話や態度を変える事も、日蓮は強く戒めています。

「本よりの願に諸宗何れの宗なりとも偏党執心あるべからず いづれも仏説に証拠分明に道理現前
ならんを用ゆべし 論師訳者人師等にはよるべからず専ら経文を詮とせん 又法門によりては設い
王のせめなりともはばかるべからず 何に況や其の已下の人をや 父母師兄等の教訓なりとも用ゆ
べからず 人の信不信はしらず ありのままに申すべしと誓状を立てしゆへに」(破良観等御書)

「叩くのが慈悲」という概念は、程度の差こそあれ「ポアするのが慈悲」に通じてしまいます。
いくら切り文を集めても、周囲が眉をひそめるような道理に反する解釈は用いるべきではありません。
669リか:2008/03/18(火) 00:19:54 ID:Zqxl8MJJ
相談があります。創価の霊感のある人が、私に黒いオーラがあり病気、取り憑かれてるから、入会すると救われるらしい。それどうなの?
670名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/18(火) 00:34:05 ID:???
理罪。
671名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/18(火) 00:41:49 ID:???
>>669りかさん
嘘ですよ(^^)
まず創価は、そのような霊感などを売り物にはしていないこと。
創価学会員だが個人的に霊感があるから除いてあげるので入会しようねという事でも
おかしいと思いませんか?
その人に病気など取り払う力があるのなら、もっと有名になっているはずでしょう?
あなたは騙されやすいタイプのようですから、この人でない方からもよく似た事を
言われても気をつけた方がいいですよ。
因みに創価学会の本部に、そのように言われましたが本当ですか?と問い合わせても
そのような霊を取り除くなど創価ではやっておりませんと言われるだけですよ。
はっきりと断りましょう。1人で言えなければ親や兄姉、友達に一緒に言ってもらいましょうね^^
672名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/18(火) 00:46:46 ID:???
>>667-668
色々調べていったんはカキコしたんだが・・・・煩雑なので全部削除。
改めて・・・
>>668
>教主釈尊の出世の本懐は人の振舞
オームは潰れてしまえばいいと思うのは、人の振舞だと思うが。
犯罪者集団である暴力団は皆潰れてしまえばいいと思うのは、人の振舞だと思うが。
悪を憎む心を失った者は、菩薩ではなく悪い意味での二乗だ。

>>667
>その上で、「あくまでも法門・正理を以って正邪を正せ」というのが日蓮の主張です。
一言なら、食法餓鬼。
では、なぜ食法餓鬼となるかという事になると、一つ一つ具体的な姿を取り上げて糾弾する事になる。
在家同然・いや欲望丸出しの姿など・・・食法餓鬼に該当する事を一つ一つ取り上げて糾弾する事は、法門で正邪を正す事になる。

>「一凶を禁ぜん」「謗法を絶つ」「悪侶を誡め」 − これらはすべて即"潰す"という事にはなりません。
念仏を禁じる=念仏を唱える者をいなくする=理想的には念仏教団を潰す・・・となるが。
>「夫れ釈迦の以前仏教は其の罪を斬ると雖も能忍の以後経説は則ち其の施を止む」
仏法対話で脱講者を増やす→収入源を減らす事になるので「施を止む」→つぶれる。

ところで・・・あなたは本当に元学会員か?(あるカキコが引っかかるのだが)
673山椒島 ◆AUtVVr2znk :2008/03/18(火) 01:12:15 ID:R2WptzDq
>>672 さん
"人の振舞"という言葉だけを抜き出せばその通りかもしれませんね。
が、それだと前後との辻褄が合わなくなります。故に「御書は通読せよ」と言われるのではありませんか?

更に一連の書かれている"振舞"は常不軽菩薩品は言うに及ばず、勧持品の「悪鬼入其身 罵詈毀辱我
我等敬信仏 当著忍辱鎧」 や法師品「入如来室 著如来衣 坐如来座 爾乃応為四衆 広説斯経 如来
室者 一切衆生中 大慈悲心是 如来衣者 柔和忍辱心是」にも反することになります。

「経文に分明ならば釈を尋ぬべからず さて釈の文が経に相違せば経をすてて釈につくべきか如何」(撰時抄)

"一凶=一宗"であるとしても、それを禁じたところで無意味なのは、戦後に戸田氏が証明しているところです。
仏法対話については上記の通り。他にも数多くの御文があるのは、私などよりもご存知のことと思います。
正義の、などと冠しても、怒りは瞋恚であり、修羅です。怨は怨を呼ぶだけです。救済はありません。

私の身分については、過去にも差し支えない範囲で随所で書き込んでいますよ。
674名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/18(火) 02:58:32 ID:???
>>673
>怒りは瞋恚であり、修羅です。怨は怨を呼ぶだけです。救済はありません。
「当に知るべし瞋恚は善悪に通ずる者なり。」諌暁八幡抄 全584
瞋恚は、善にも悪にもある(ありうる)ということ。
詳しくは、前後を読んでくれ。
「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」御義口伝下 全762
悪を滅するには、悪と戦って勝つ必要がある。
戦いに勝つためは、どんな形にせよ修羅の心が必要。
修羅の心を出さない=負けてもいいやと思う・あるいは勝ち負けなんぞどうでもいい・・・・なら勝てるわけがない。

>私の身分については・・・
遺文という呼び方をしたから、あれ?と思った。
675618:2008/03/18(火) 03:24:36 ID:???
>>664 山椒島さん、
"転重軽受"という事はおっしゃっていませんでした。
私も教学にはまだ疎い部分が多いもので・・・
この流れを見てると自分はまだまだ勉強不足だなと痛感しますw

ギター演奏は、他の人とちゃんと合わせて練習することなく、
結局ぶっつけ本番みたいな感じでグダグダでしたw
まぁいつものことですが。
自分的にはしっかり事前練習して本番に挑みたいのですが、
そういうことは気にしないみたいです。
自分はエレキギターはそこそこの腕前なのですが、
学会歌をコードをジャカジャカ弾いて終わり。しかもグダグダw
とりあえず皆の前で楽しんでもらうのが大切等と言われます。
あんなぶっつけ本番の糞演奏で楽しむも糞もないだろ!と思いますが
まぁいつものことですのでw
次から依頼されたら、断ろうかと思います。
676山椒島 ◆AUtVVr2znk :2008/03/18(火) 03:33:51 ID:R2WptzDq
>>674 さん
諌暁八幡抄を引用されているということは、もちろん内容はご存知だという前提でレスをさせて頂きます。
引用されている一節は、法華経の行者を守護しない八幡大菩薩、ひいては諸天善神に対して、日蓮が
法華経を信仰する立場から(文字通り)諫暁している場面でしょう。折伏とは無関係ですよ。
神天上の法門を説きつつも、ちゃんと正法と国家を守護しなさい!という日蓮の期待と願望の現われです。

日蓮は悪を滅するなとは説いていません。ただ、それにあたっては不軽菩薩の如くあれ、と説いたのです。
創価学会が好んで(&わざと誤って)用いている四条金吾殿御返事の「それ仏法は勝負を先とし」以降の
御文を正しく(創価学会刊行の日蓮大聖人御書講義全集に記載されている通りに)拝せば、修羅の心など
必要が無いことに気付かれると思います。私がこれまでに挙げた経文・御文とも矛盾しません。

御書にも所々に口汚い表現が見られることは確かですが、私はそれが日蓮の真意であるとは思いません。
でないと、法華経の為なら殺人も正当化されますし、悪僧は由比ヶ浜で頸を切らないといけなくなります。
「日蓮の引用」と「日蓮の主張」は全く別のものです。ですから、御書拝読は極めて注意が必要だと思います。