謗法か?随法昆尼か?九州創価学会が金比羅宮へ寄付

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18777です。
>>186
創価についてのご理解まことにありがとうございます。
ご指摘の社会党の労働貴族といわれた人々は、いま民主党あたりに逃げ込んで
いるんでしょうか。もう絶滅寸前ではあります。
ところが、創価の本部幹部といわれる人間の数は、社会党の比ではない。なにせ
副会長なる名称をもつ人々が100人くらいいるんじゃないですかね。むろん、
仕事もちながら副会長職をやっている人もいないわけじゃないでしょうが、みんなが
池田太作の単なるイエスマンであり、なんともかなしい事実です。

創価は出だしからすべておかしいんです。
本質的にみれば、初代牧口という人の限界ともいえます。牧口は法華講で渋谷の
商業高校の先生から折伏を受けて入信しています。牧口は小学校の先生ですが、
入信してから創価教育学会なるものを立ち上げた。いわば職場でもろに宗教の話
をやりだしたわけであります。われわれが会社で仕事をろくにもしないまま、すべて
信仰でうまくいくなどと言っても、信用されないのが関の山です、
職場の朝礼なんかで宗教の話をされてもねえ。そんな会社はまともな会社じゃない
でしょ。仕事は仕事、信仰は信仰。別物でしょ。仕事がらみで宗教の話をする奴に限って
ろくな奴はいない。在家というのは宮仕えが命なんです。宗教の話は、仕事あとで
、じつはね、なんて話せばいいんです。それを御たいそうに、布教のためにいわゆる
世間で言う普通の学会を作ってしまった。ごちゃごちゃで、よく分からんのです。
18877です。:2007/12/23(日) 16:16:02 ID:04nV2deN
続きです。

牧口という人物はその辺がよくわかっていない。結局、在家として社会で出家者
を支えていかねばならないという発想がまったくない人物だったのであります。
だから、仕事と個人の信仰というものがまったくたてわけできなかった。仕事も
信仰もぐちゃぐちゃなんです。だから、自説と仏法との区別も出来ていない。
自説を説いて、そのつけたしみたいに大聖人の教えを話すわけです。これでは、
とても信仰者とは言えません。
牧口は、たぶん教育というのを聖職とおもっていたでしょう。中世のヨーロッパ
では聖職者が教育をしていた。イスラムの世界も似たようなものであります。
ところが、近代の教育とは政府が管轄するわけです。いわば軍事教育の一環の
ひとつです。なにも教育をする目的が、聖書やクルアーンを読めるための基礎知識
を与えているわけではない。数学や理科を教えるのは大砲の弾の飛び方や照準のつけ方、武器や航空機の設計、新たな兵器の開発、
戦争負傷者の手当てとか栄養とかいったことを念頭において国家のために尽くすための基礎知識を与えることから発生して
いるといっても決して過言ではありません。国家に尽くすことで、身を立てるというのが
近代現代の教育の目的です。
学校や、その先生の集まりで宗教の話をされて、だから先生もやってみませんか、なんて
いわれてもね。
ようするに、西欧の教育論において教育者がもっとも神聖な職業である、といった幻、
あるいは幻覚の限界を突破できていないといえるんです。西欧の教育者は、ペスタロッチ
みたく、なにかものすごく得体のしれない牧師さんみたいですからね。
いまだに牧口がどうのこうのと、創価はわけのわからんことをいっているわけでが、西欧
の受け売りのレベルからいまだに抜けきっていないんです。
でたらめ君には、ちとつらいでしょうが、これが現実です。
創価でよく言う、浅きを去って深きにつくは丈夫の心なり、という御金言をお送りいたしましょう。
18977です。:2007/12/23(日) 16:27:03 ID:04nV2deN
続きの最後です。

ここで私がまことにしつこく物部、蘇我、といった話題に拘る理由があります。
それは、日本人、日本国の限界が、まさにこの物部の問題に行き着くからなんです。
おりしも、守屋という人が軍事部のトップでお気楽やりまくりだったですが、
物部というのは軍事の専門家であったはずです。政権に神道的堕落をしながら
安住したとたん、軍事技術の専門性を磨く努力を止めたはずです。守屋という
名前はあまりに象徴的ですかね。
太平洋戦争に負けたのも、長州の体質が物部そのものだったからです。要するに
戦争は気合だ、みたいな事ばっかり言っていて、軍事技術の開発を独自開発にまるで
熱心でなかった。大和さえ、敵機がやってきたのを確認するのに、双眼鏡で敵機襲来!
ってやっていたみたいだからですね。精神統一すれば、雲の向こうの敵機がみえる
んですかね、という問題に行き着くんです。日本の限界と物部は深く関わっています。
しかも、ほんとうに根が深いんですよ。日本人の体質そものもみたいな。