^^^^^^^^^牙城会13^^^^^^^^^

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881 ◆Bwr5tJDUMc
>>867 エス村

>ぜんぜん説明されてないじゃん。

既に回答済みだ。(>>829-832)この回答では不合理であるというなら具体的にどこが
どうおかしいのか指摘しろよ。具体的に指摘できないくせにただおかしいとだけ非難しても
不毛だろ。話を混ぜ返すな。

>1、悪辣な罵詈雑言と手厳しい批判の区別をつけろ

悪辣な罵倒と批判は違うだろ。区別をつける必要があるのは当然のことだ。
既に>>829-832で述べた通りだよ。上記の区別をつけることに何か問題でもあるのか?

>2、エス村の謗法を他の牙城会員は放っておいていいのか?

上記の区別をつけずに敵対者ならば悪辣な罵倒してもよいというならば、それはカルトだ。
悪辣な罵倒であろうが「ピリリと辛口のコメントです」などとごまかすのが人としての
正しい振る舞いであるとする趣旨のレスをしているエス村の主張には問題がある。
これも既に>>829-832で述べたことだ。私の主張がおかしいと思うなら、どこがどのように
おかしいのか、>>829-832から具体的に引用しつつ指摘しろよ。
882 ◆Bwr5tJDUMc :2007/06/06(水) 08:38:09 ID:+V94IsLs
>>881の続き)

>3、牙城会の人間はエス村のさばらせておくな

のさばっているのか、のさばっていないのかは知らないよ。ただ、牙城会の看板を出して
おかしな主張をしているエス村を仮に内輪のノリとして擁護するなら(又は黙認するなら)
それはいいことではないだろうし、世間の評価を下げることにもなるだろうと私は考える。
(絶対に事細かに問題視しレスをしなければならないという趣旨ではないがね。)
これも既に>>829-832で述べたことだ。私の主張がおかしいと思うなら、どこがry

>本物の信心(信・行・学)ができてない人間が、また、宗教ってものも語れない
>人間が御書を語るもんじゃねえよ。

過去の文献を読み語るのに、信心がないと駄目なんていうのは特定の宗教観の押し付け
ではないか。私の引用が不適切であるというならば、具体的にどこがどのように
おかしいのか指摘しろ。宗教に関しても、そもそもどういったものなのかの説明は既に
>>829-832で提示してあるよ。私はその中で信仰に関する説明もしているわけだが、
その部分が、本物の信心とやらに関する問題とその回答にもなるわけだぞ。
883 ◆Bwr5tJDUMc :2007/06/06(水) 08:39:24 ID:+V94IsLs
>>881の続き)

>生活苦のなか、また、いろいろな悩みの中で必死になって信心している同志
>を見ている俺にとってしてみれば、そんな姿(アンタ)を見てるだけでヘドがでる。

知らんがな。その様な感情論でいいなら、こちらもカルト信者が御書を引用しつつ
おかしなことを述べる姿は反吐が出るよ。だからどうしたというのだ?
反吐が出そうなら洗面所かトイレにでも行ってきなさい。

>知識をひけらかせたいだけなのなら他でやってくれ。

エス村が問題のあるおかしな知識をひけらかしているから、その知識のどこがどのように
おかしいのかを具体的に引用しつつこちらは批判をしているだけだ。私は唐突に自分の
知識をひけらかしたくなってレスをしているわけではない。

エス村の様におかしな知識をひけらかせたいだけ(かどうかは知らないが)であろうと
その様なおかしな知識は他でもひけらかさない方がいいと私は思う。
884 ◆Bwr5tJDUMc :2007/06/06(水) 08:40:14 ID:+V94IsLs
>>881の続き)

>学会批判を繰り返しながら御書を引用すること自体が謗法だと心しておくんだな。

何故、創価学会を批判することが仏を誹謗することになるというのかね?
その論でいくならば、信者は、創価学会がどの様な問題ある主張をしようと御書を
引用しつつ組織を批判することができなくなってしまうだろう。(もっとも私は
アンチなので、仮に創価学会を批判しつつ御書を引用するのが謗法だとしても、
そんなことは問題とはならないがね。)

不合理で理不尽な内容で批判を排除しようとするのは、自浄作用がないことを浮き彫りに
するだけだろ。
885 ◆Bwr5tJDUMc :2007/06/06(水) 08:41:05 ID:+V94IsLs
>>868 エス村

>あんたも含め、
>「批判をするためなら手段を選ばぬその境界」は、皆同じのようだな(笑
>要は根本が無い「根無し草」ってことだ。

私は批判をするのに手段は選んでいるよ。根本が無いというのはどういう趣旨だ?
特定の宗教観なり特定の文献を自身の根本におけという宗教観の押し付けか?
私は一貫して同じことを主張しているのであり、それが私の根本にある社会規範から
逸脱するようなカルトは問題であるという一つの考えを示しているのだよ。

>だから、論調・論点が微妙にずれてくる。気をつけた方がいいよ。

不合理で理不尽な内容で批判を排除しようとする論調からずれるのは当然だ。
悪辣な罵倒と批判の区別をつけずに敵対者ならば罵倒するのは当然であるというような
論調からずれるのも当然だ。そのような論調にわざわざ合わせてカルトを容認しなければ
ならないというのはおかしい。