501 :
福耳:
日顕による宗門問題が起こったのは1990年(平成2年)の暮れであることから、万全の機根を調(ととの)える指導が織りなされた。
基調となっていたのは、「権威に負けない人間性」「三類の強敵に打ち勝つ信心」である。
1989年...振り返るとこの頃からややこしい問題と関わる機会が増えている(笑)。
若く純粋な生命に焼き付けられた指導の数々は、今尚、記憶に新しい。殆どの指導を覚えていて、当時の熱気や、拠点の空気までもが思い出される。
さしたる力も経験もなく、ただガムシャラだった。ひたすら、先生の指導にしがみつくような思いで戦い抜いた。これが私の人生の根っことなった。
当時を知るメンバーが、先生滅後の学会を支える使命があると深く自覚しておきたい。
学 会 は 「 信心 」 で は な く 「 会則 」 で “永遠の師匠” を 定 め た 。
これほど惰弱なことはない。私は心の底から呆れ果てた。
このままいけば、組織は形骸化し、会合は会議となり、民衆の心も知らぬ本部職員に牛耳られてしまうような学会になることを私は恐れる。
そうなれば、多造塔寺堅固も同然だ。釈迦仏法が、形式化の波に飲まれて滅び去ったことを忘れてはならない。
その一点にホシがあることを信じ、「会員を大切にする創価学会」を築くために私はキーを叩く。
502 :
デタラメ君です。:2007/10/29(月) 20:56:59 ID:VC+zo7uS
ふーん、そうなんだ・・・。でもキー叩いて、出来るのか?
私がキー叩いて出来るのは、疲れ目と肩こりだけである。プププッ!
>>501 いいたい事は分かる。
ただ大人になると2チャンのレス一つぐらいでは
自分の考えを変更する人はあまりいないであろう現実
>>503 福耳のカキコは、某所からのコピペ・・・・。
505 :
新入会員:2007/10/30(火) 10:58:09 ID:???
初めまして^-^
インターネットの情報の良し悪し、2chの情報の良し悪し。全て見た訳でもなく、そして言葉が汚かったり「煽り」「騙り」の多い匿名性故に、=「無責任で悪い物」と決め付ける方も多いと思います。
勿論「匿名だから何をしてもいい」という方も多いでしょう。
ただ、全ては「ユーザーのモラル」にかかっている、という事が私見の私としては、色々な問題定義や「福耳」さんの言葉も、「自分でその情報が有益であるか、無益であるかを判断する」と思って、昨日見つけてからレスを全て拝読させて頂きました。
当時を振り返る方、今を悩む方、今後を考える方、今何が問題なのか、色々な「思い」を拝読出来て、嬉しく思います。
「自分がより良く生きる」為の宗教。全ては日々の実践故に、盲目的にでも鵜呑みにでも「こうあるべき」でもなく。
私個人の信心と日々の実践、学の為の「情報」(まずは御書の研鑽からになりますが。日めくりカレンダーの言葉しか、まだ。。^^;)
生きた情報、周囲の方々や、この板の方々の言葉も含め、学んでいきたいな、と思いました。
仮に「福耳」氏がただコピペをしているに過ぎないだけの人だとしても、私にとっては一向に構わないです。それもまた情報。
情報過多の中から、自分で考え、選び、学ぶものだと思うので。
ただ否定するのでは無く、盲目的に全肯定するでも無く。。全ての方々が「本心では何を言わんとしているのか、何を必要としているのか、何を求めているのか」を考え、思いを汲む練習の場所として、個人的にはこのスレッドが「良いな」と思うのです。
そういう人間が居ても、いいと思うんです。(^^)
506 :
デタラメ君です。:2007/10/30(火) 18:00:58 ID:L2KfP8nH
>>505 そうですか、貴方も共感派ですか。信心=学会では間違いを起こしますよ!
まずは、日蓮仏法を学ぶ為に創価にいるのか、創価が日蓮仏法であると思うのか、
自分のスタンスをはっきり把握していないと、やれ騙されただの、洗脳されてただのと
騒ぐはめになりかねません。そして一番大事なのは御書を真剣に研鑽する事!そして、自身の糧と出来るなら
福耳氏の書いてる事がどういう物であるか、わかると思う。
まず、私は御書に照らして福耳氏の書きこは信用しません。このような人のことが御書に書かれています。
騙されないように・・・。
507 :
新入会員:2007/10/30(火) 21:05:29 ID:???
>デタラメ君です。様
初めまして。レスポンスを頂戴し、ありがとうございました^-^
「共感」というものとは、現時点では違います。それははっきりと言えます。
何故なら、私はまだ御書の研鑽も充分にしておらず、入会して11月の任用試験の勉強中ですから。ほんとうに、生まれたてのひよこみたいなものです。
ただ、今が幸せであり、その結果として創価学会というものに入っていた。
まだまだ日の浅い私に、日蓮仏法の世界の何たるかを問われても、実践をしてみて「これってこういう事かなぁ?」と思ってから、諸先輩達に「どうでしょう?」と聞いてみるしかないのです。
貴方含め、全てが先輩です。
そして、それは「情報」としてしか私には入ってこない。
しかし、匿名の世界で顔が見えないからこそ、人間の本質はわかりやすいとはお思いになりませんか?
その本質で対話している場所として、2chというのも有りなんじゃないかな?と。
それを「良いな」と思って。
時折現れる「福耳」さんのお話もまた、知らない歴史。他の方の意見も、まだ聞いた事のない事。
「ほんとうに伝えたいことは何なのか」
「ほんとうに思っていることは何なのか」
貴方自身もたいへんな思いがありましたね。人に会うのも嫌だとお思いになられた事も?
振り返って少し前のレスで、賛同出来る部分があります。「子供が親になるべきではない」と私も自分の戒めとして思っていますから。今は^^
508 :
デタラメ君です。:2007/10/30(火) 22:08:23 ID:L2KfP8nH
>>507 そうですか、任用試験頑張ってくださいね。私の心に深く根付いている御書の一節は
任用試験で学んだものですよ。信心して20年余り・・・、大聖人の御書ほど
共感を覚える書はありません。どうか、御書根本の信心をしてください。必ずこの信心で
幸せになるんだという決意で、日々精進して頂きたいと思います。
長文ありがとう。
509 :
福耳:2007/10/30(火) 22:14:16 ID:???
510 :
福耳:2007/10/30(火) 22:18:06 ID:???
「上根に望めても卑下すべからず下根を捨てざるは本懐なり、下根に望めても・慢ならざれ上根も・もるる事あり」【持妙法華問答抄】(466頁)
――上根の人に対しても(自分を)卑下してはならない。下根を見捨てないのが仏の本懐である。
下根の人に対しても驕慢になってはならない。上根の人でも得道の道から漏れることがある――と仰せである。
上根とは、仏法を信解し仏果を成(じょう)じてゆくための素地、機根が整っている人である。
下根とは、そうした生命の素地が弱く、中々仏法を信解できない人のことを指している。
この御文では、たとえ自分が下根だと思っても、卑下してはならない。仏が見捨てることはないからである。
逆に上根であっても、驕慢な心になってしまっては、成仏がかなわないこともある、と戒められている。
殆どの会員は、幹部にものを言えない。遠慮しているとも考えられるが、最大の理由は「理論的な根拠が弱い」ことに尽きる。
つまり、教学的な裏づけがなく、“自分の言葉”できちんと反論することが苦手なのだ。
幹部が威張っているのか会員がおとなしいのかという問題は、鶏と卵のようなもので、どちらが先とも言い難い。
権威に強い地域の代表といえば、大阪と東京下町だろう。しかしながら東京下町の場合、本気で上に文句を言うと飛ばされてしまう(笑)。
魚は頭から腐る。腐った部分を切り取らなければ、全身が腐敗するのは時間の問題だ。
どんな立場であろうとも、この指導を実践できなくなった途端、「広布を阻む存在」となっていることを戒め合いたい。
原島崇は理事長の子息ということで特別扱いされた。山崎正友は学会初の弁護士となって特別扱いされた。
今だって、特別扱いされているのはたくさんいるだろう。おっと、具体的なことを書きそうになってしまった(笑)。危ない、危ない。
幹部の子が幹部に、職員の子が職員になりやすいのは、多分、「組織の論理」を弁えているためだろう。
「一々説明しなくても、わかってるだろ?」ってな世界だろう。ま、便利なんだよ。
このままいけば、組織は自浄能力を失い、学会も内部告発によってしか不正を糾弾できなくなるだろう。最も不幸な結末である。
511 :
デタラメ君です。:2007/10/30(火) 23:01:34 ID:L2KfP8nH
>>510 >このままいけば、組織は自浄能力を失い、学会も内部告発によってしか不正を糾弾できなくなるだろう。最も不幸な結末である。
もうなってるかもね、唯一持てる希望は新入会員氏のような希望に燃えて教学試験に挑むその姿勢。
信心の賜物である、「行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし、」(諸法実相抄)
初心に戻ろうかな・・・。
>>510 >原島崇は理事長の子息ということで特別扱いされた。
>原島嵩は理事長の子息ということで特別扱いされた。
福耳さん。誤字はいけませんよ。「嵩」ですよ。
創価のいい点を知って、入会してくる人も多いんですね。
自分は周囲があまりにも非情なので創価に入会しました。
514 :
デタラメ君です。:2007/10/31(水) 06:50:46 ID:fGN8v4W8
>>512 それより、福耳氏が初めて個人に返事したことに驚いている。
その調子で書いて欲しいもんだ。
>>513 心配だな〜、感情で創価してんだ。
515 :
福耳:2007/11/02(金) 21:25:45 ID:???
■まともに戦っていれば、必ず悩みを抱えたメンバーと遭遇する。深刻な相談を寄せられることも、決して珍しくない。
宿命と格闘する同志の肩に手を添える時、どうして傲慢になれようか。重荷を背負いながらも、広宣流布に邁進する姿を目の当たりにすれば、人は謙虚にならざるを得ないものだ。
それができてないから、傲慢な幹部になるのだ。
傲慢とは、祈りなく、行動なく、責任なく、慈悲なく、信心なくして、涼しい顔で打ち出しを落としている馬鹿者のことを指す。
聞く人が聞けば、空虚な言葉を見逃すことは断じてない。本気で戦っているのかいないのかは、10秒以内で峻別できる。
権力とは、人間を手段にする力のことだ。学会の役職が単なる権力と堕してしまえば、組織は崩壊の一途を辿る。
草創期にあって戸田先生は、少人数の会合で男子部に決意を促し、一人ひとりに「広宣流布は私がやります!」と大きな声で言わせた。
今はどうだ? 本部長は支部長にやらせようとして、支部長は地区部長にやらせようとしているんじゃないか?
「頑張りたいと思います」と言う幹部はいても、「私がやります」なんて言い切ることができるのは、まずいない。
会合の時だけ信心があるような顔つきをしている“広布のパートタイマー”が多過ぎるよ(笑)。本部職員主導の組織である限り、官僚主義の打破は困難だろう。
旧ソ連ではチェルノブイリ原発事故以前から、毎年、大きな原子力事故が起きていた。だが、国家機密として鉄のカーテンで隠されていた。
ソ連の解体後、次々と事実が明るみに出てきた。ソ連は核兵器開発でアメリカに後(おく)れをとっていた。そのため、原子力発電で先んじようと急ぎ過ぎて、安全対策が二の次にされてきた。
こうした背景には、欠陥を指摘して改良することが、“体制批判”と受け取られる恐れがあったからだとされている。
断じて、同じ轍(てつ)を踏んではなるまい。
516 :
福耳:2007/11/02(金) 21:53:06 ID:???
■学会の組織はパーソナル(個人)に支えられている側面が非常に強い。このため、ろくでもない幹部に当たってしまうと、組織はアッと言う間に停滞する。
その上、信仰を基としているので、意見が言いにくい土壌がある。本当はそうじゃないよ。
しかしながら、最前線で黙々と戦う人々は、「団結」「異体同心」「中心者に呼吸を合わす」といった名目の下(もと)で自分を殺している。
特に婦人部で問題のある幹部がいると、その下で戦う人々の多くが口にする科白(せりふ)がある――「仕方がない」。この諦(あきら)めが、功徳を出にくくしている最大の元凶だ。
パーソナルに支えられている最大の問題。それは、活動のリズムが変わってしまうこと。
例えば、仕事が忙しい人物が支部長になったとする。支部の会合は殆ど開かれることがなく、伝達事項は婦人部経由で落ちてくるようになる。
また、家庭指導をしない、あるいは苦手な人物が本部長になったとしよう。この人は絶対に、支部長や地区部長に対して「家庭指導の重要性」を教えることはない。活動のリズムは当然、会合型になる。
婦人部幹部で目立つのは「唱題会型信心」。強制的に人を集めて、無理にでも結果を出そうと頑張る。目標は、“成果”という名の手柄だけ。
だから、人が育たない。悩みに手が入らない。人間革命も進まなければ、功徳も出ない。
10年後、20年後に振り返って、思い出の一つも残ってないような活動なら、やめた方がいいよ。身体に毒だから(笑)。
自主的な活動のリズムがないと、「打ち出し」しか存在しなくなる。本来、「打ち出し」とは最低限の目安に過ぎないのだが、打ち出し主義の場合、やり取りが教条主義的な雰囲気になる。
打ち出しには、理由・動機・必要性を感じないものだ。幹部がどれほど言葉を巧みに飾っても、結局「やれ」という押し付けになってしまう。こうして、多くの無気力な奴隷がつくられる。
今、大切なことは、真の同志をつくること。真の同志とは、弟子としての覚悟を分かち合い、共感できる人。組織の中でも外でも構わないと思う。縛られる必要はない。まず、一人。そして、もう一人。更に、もう一人――。
そのネットワークが後々、創価学会の底力となることを確信して。
517 :
福耳:2007/11/03(土) 01:51:16 ID:???
■学会幹部には2種類ある。保身に走る官僚と、捨て身で戦う闘士である。官僚は官僚を求め、闘士は闘士を育てる。
つまり、総県長が官僚であれば、その県は官僚主義に覆い尽くされる。組織は人事によって決まる。
要領のいい幹部は、打ち出しだけを正確に落とし、自分は動かない。メモを投函したり、電話だけで済ませているような幹部が山ほどいるよ。
で、誰かが結果を出した途端、大騒ぎをして、あちこちに報告を入れる。こうやって手柄を自分のものとしているのだ。
上の連中の動きも鈍いから、報告を鵜呑みにして喜んでいるようなのが殆ど。
動いている人は、動いている人にしかわからない。動いてない幹部に限って、成果しか見てないものだ。
婦人部の間では、綱渡りさながらの、危うい御守り本尊授与のエピソードが持てはやされている。
私の組織にもいるんだが、「先生が、先生が」を連発する幹部に限って、ブロック員を小馬鹿にしている。
口を突いて出てくるのは、指示・命令・要求のみだ。人格障害の典型といっていいだろう。
しかし残念なことだが、学会の組織には、こんな人間をつくり出す土壌が確かにある。
今は先生がいらっしゃるからいい。だが、先生亡き後、内部告発をする者が続々と現れることだろう。
本当にどうしようもない組織の矛盾に呻吟(しんぎん)しながら、戦い続けている人々がいる。幹部は頬かむりをし、曖昧な態度で見て見ぬ振りを決め込んでいる。
もしも、悪い幹部を叱り飛ばせば、叱った側が必ず痛い目に遭う(笑)。
(続く)
518 :
福耳:2007/11/03(土) 01:52:30 ID:???
(続き)
ここで私は一つの提言をしたい。それは、「プチ創価学会をつくれ」ということだ。
自分の周囲に小さくても構わないから、本当の創価学会をつくり上げてゆくことだ。支部の一部でも、地区の片隅でも構わない。
そこから、猛然と闘争の狼煙(のろし)を上げ、厳然と結果を出してゆく人が、本物の池田門下生である。
文句は誰にでも言える。愚痴を吐くのも簡単なことだ。やりにくい中でこそ、力を蓄えることが可能となる。
しっかりと、10年後、20年後を見据えて、組織の中核を育ててゆくことが最も大事だ。
「何が何でも、全員に功徳を受けさせてみせる!」という覚悟なくして、成果を求めるなかれ。
歓喜がなければ、疲労感しか残らない。一人の歓喜が全軍に波動を与える。義務感の奴隷になるなかれ。使命によって立て!
519 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/03(土) 02:20:21 ID:sZu60sbI
>>518 やめておけ。
創価学会は異分子を容赦しない。スターリンも真っ青のファシズム宗教だ。
520 :
無理やり入れさせられ君:2007/11/03(土) 02:50:38 ID:DYfYc2d2
>518
「何が何でも、全員に功徳を受けさせてみせる!」
それは、自分はもう、例えば経済苦や嫁に三行半突きつけられて離婚されてでもって
事ですか?
俺は先日、末期癌の親を持ったアンチの親友に過去の大百と癌克服の記事を切り抜いた新聞を渡し、
「学会なんかこの際どうでもいい、お題目なんだよ!」って言った。
結局、お亡くなりになったが、通夜に「借金苦がわざわざ香典まで包んで(マジで金欠で二千円しか包めなかった)来てくれたんだな、
本当に色々とありがとうな!」って気遣ってくれて逆に励まされた。
「何のために?それを常に自分自身の胸に問え!」という指導を過去に受けたけど、
問えない現地区副リーダー(パチンカス&借金苦)はにわか頭でっかちカン違い
野郎ってことで、やっぱそんな奴は救えねぇから信心なんか辞めちまえ!でOKなんですか?
人一人救うどころか、逆に励まされちまってる俺は、自分自身に悔しい。もっと力が欲しい。
よくわかんないカキコですみません。
521 :
別スレ8 :2007/11/03(土) 04:07:37 ID:???
>>520 指導とかアドバイスは、相手によって変化アリです。
今はただご自身と家族のことを、素直に考え祈り切って行けばいいのでは?
とかく男子部のラインについていると“打出し”が一番になりますね。
でも、状況に応じて棄てる勇気もないと潰れちゃいます。
まだ貴方には役職者としての責任感が頭を支配していて立派だと思います。
でも時にはその重い荷物を降ろしてみませんか?
「勝たなくていいから負けないこと」…いい言葉です。カネコ抄にあるそうですw
「負けた」と認めなけりゃ負けじゃないですよ!
それと…「救う」ことが「救ってやってる」になっていませんか?
力…それは「経験」から! 勿論、「悔しさ」も「悲しさ」も「迷い」も。
今は積んでいる時。
いろんな時があります。
522 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/03(土) 06:23:34 ID:KfO7nua4
学会員は、鳥肌実にこういう嫌がらせをしてるのかw
やはり狂ってるな。キチガイが平和だの仏法だのを語るとは、ちゃんちゃら可笑しい
「学会ネタを散々、やるでしょ。すると事務所のドアにはクビをチョン切られた鶏が括り付けられている」
「部屋に入ると電話が鳴りっぱなし。受話器を上げると、南無妙法蓮華経。
叩き切ると、FAXで南無妙法蓮華経、ワンロール全部使い切った」
523 :
無理やり入れさせられ君:2007/11/03(土) 13:25:46 ID:DYfYc2d2
福耳さんが出てこなければ、「あ〜やっぱそういう事ね!」って思うね。
対処しずらいだろ?俺みたいな奴は!な〜んで核心に迫るとスルーするんだろうか、、、。
「オマエの考えは間違っているよ!」くらいあるかと思った、期待していたのに残念。就寝していると願いたい、もう昼過ぎだけどねw
つまり、「福耳」という“人格コテ”はないのです。
ご紹介し、ともに考えてまいりましょうということです。
-福耳-
まぁ、人生ゆったりと行きましょう。
教義や組織のことで、信仰を失って、不幸になるのではだめでしょう。
528 :
デタラメ君です。:2007/11/03(土) 21:54:19 ID:BHky6VVw
いろいろ考えさせられる事ばかり書き込んでいる福耳氏。
なんの解決どころか、翻弄されてる人が多いね。極論から言うと、信じるに値しないのである。
無責任な書き込みでしかないではないか・・・、自信や確信のある人は人の言葉を用いはしない。
自身の体験から、確信のあるものだけを語るものである。
529 :
福耳:2007/11/03(土) 23:37:29 ID:???
●増上慢や我見は、人々から嫌われる。その言々句々は、誰からも納得されず、皆が嫌な思いをする。
尊き同志や後輩を、幹部面して手下のように見下すことは、邪道中の邪道である。
初代の牧口会長は常々「下から上を動かせ」と教えられた。
その下からの真剣な正しき声に耳を傾けないのは、上位に立つ真実のリーダーではない。
更に牧口先生は厳しく指導された。
「広宣流布の和合僧を、自分勝手な我見と増上慢で破壊するような人間は、即座に除名せよ! 絶対に、そんな幹部に随う必要はない。
『法に依って人に依らざれ』である」
階級ではない。大事なのは、「広宣流布への信心」である。そこにこそ、偉大にして尊き人材の和ができあがり、常勝不滅の城が築かれていくのだ。
第二代の戸田会長も、よく厳しく言われた。
「要領のいい幹部もいる。傲慢な幹部もいる。
学会を利用して、自分がいい立場になることばかり考える幹部もいる。
腹の中で学会員を小馬鹿にしたり、大した人間でもないのに自分を偉そうに見せたり、学歴があるからといって尊大ぶる愚劣な幹部もいる。
また、皆の支援によって名誉ある議員にさせてもらいながら、信心を失い、退転して、恩知らずな行動をとっていく愚者も卑怯者も出るだろう」
そして先生は叫ばれた。
「本当の立派な信心とは、後輩を心から尊敬し、大事にする。創価学会の大恩を知って、創価学会を命をかけて護ることである。
和合僧を尊重して、我見や増上慢の幹部や議員を叱り飛ばし、異体同心の理想的な広宣流布の前進へと戦う人こそが、信心強盛な仏法者である」と。
【「随筆 人間世紀の光」29 広宣流布の永遠の都/聖教新聞 2004-05-08付】より
創 価 の 遺 誡 置 文 と 心 得 ら れ よ 。
(続く)
530 :
福耳:2007/11/03(土) 23:38:35 ID:???
(続き)
悪い幹部、動かない幹部を組織から叩き出そう。
俺は凄い」と思うのが増上慢で、「俺は正しい」と考えるのが我見。
「俺は駄目だ」と嘆くのが卑屈で、自分の考えもなく、金魚の糞みたいに、ただくっ付いてゆくのが付和雷同。
中道ってのはなかなか難しい。また、人の一念は時々刻々と変化して、とどまることを知らない。
増上慢と卑屈の間で“自信”が揺らぎ、わがままと依存心の間で“主体性と正当性”が行ったり来たりを繰り返すものだ。
“自信の人”は“謙虚の人”でもある。力あるリーダーであれば、どんな声にも耳を傾け、衆知を集めてゆくことができる。
ま、そんな幹部は久しく見たことがないけどね(笑)。
人は常に何がしかの不満を抱いている。若い人ほど、問題意識が高い人ほど、それが強い。
そりゃ当然だよ。若い内から満たされてしまったら、年寄りと変わらないもの。
ここで道は二つに分かれる。不平不満に飲み込まれてしまうか、それともバネにできるか、である。
その本質は、「腐る」か「怒る」かの違いといっていいだろう。
“腐る人”は妥協の人、“怒る”人は変革の人である。
「断じて、我が後輩にだけは同じ思いをさせない!」という決意の人が連綿と続けば、組織革命は成る。完成された組織など存在しない。
そんなものは、幻想であり、ユートピアに過ぎない。完成された人間が存在しないのと一緒だ。
問題は、よくなっているのか、悪くなっているのかである。
団結が強まり、輪が広がっていれば、理想の組織といえよう。
ところが、そうはならないところにリーダーの苦悩がある。
立派な幹部を求めるのはやめよう。自分が立派な弟子になればいいのだから。
創価は終戦後に、反戦平和の力を出して、かなり日本に貢献したと思います。
>>530 あんたの創価批判は凄いです。また明日議論しましょう。
533 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/04(日) 00:24:22 ID:M2tqSGS/
>522の話に驚愕。
やっぱり創価って怖い…
話ブタぎるが、創価の人って、
そんな一日に何時間も唱題している時間があるのがうらやましい・・・。
535 :
デタラメ君です。:2007/11/04(日) 04:58:07 ID:ouzzJkSE
>>529 >『法に依って人に依らざれ』である」
法とは勿論大聖人の教えの事である、創価で教える人の言ではないよね。
>中道ってのはなかなか難しい。
そうなのか?一番正しい姿勢だぞ、それが出来ないのなら信心する意味がないではないか・・・。
いや、むしろ向わなければならない、その戦いをして行きたいよな。
536 :
無理やり入れさせられ君:2007/11/05(月) 10:04:10 ID:SpU3Cv1T
>「断じて、我が後輩にだけは同じ思いをさせない!」という決意の人が連綿と続けば〜
それが全くのひとりよがりの我見だったら?自分で自覚無くカン違いして怒りの逆切れ
カラ元気パワーで突っ走る、そのうち息切れし、振り返ってみると結局塞ぎ込んでいた
自分を何とかしたかったという「自分中心」であったと気がつく。
未活の人に半ば強引にアポを迫ってくるのもこの類(一時期の俺)
相手の身を案じているようで、自己満足の世界に酔っている。
「すぐアンタらは何かにつけて戦い!戦い!」っていうけどさ、俺はオマエに
激飛ばしたり冗談言い合ったりして笑っているときに、それが戦いだなんて微塵も
思わないよ!?失礼だとは思わないか?戦わなくたって人に力は与えられるし貰えるんだよ!
ましてや長い付き合いの腐れ縁のオマエさんなんかは余計にな!戦い!とか悪戯に
意識している時点で負け癖ついているんだぞ!?」
と、先日、親友に言われた。
>>536 戦いというのは、形はどうあれ「自分との戦い」である。
自分を磨く行為である。
切磋琢磨して自分を鍛えていかなければ、本当の意味で人に力など与えられない。
極端な話、自分のことを棚にあげる人間の言葉など、誰も信用しない。
538 :
別スレ8:2007/11/05(月) 11:41:11 ID:???
>>536 >相手の身を案じているようで、自己満足の世界に酔っている。
そうですよね、よく分かります。
きっと貴方は自分を偽れない真面目な人なんですね。
私は、今は「自分と家族のために」だけで・・・素直な気持ちでいいと気づき
やっとご本尊の前に座れ、ぼちぼち祈れてきました。
実はこないだ、しぶしぶ行った(しかもかなり遅れて行った)地区大会で、
総区長さんが意外なことを言ってました。この私と同じ事をです!
ああ、間違いじゃないんだ・・・そう思え、嬉しかったです。
今、自然と貴方のもことがこないだから気になっています。
同じ苦しみをいくつか背負ってるんmじゃないかな?って。
そしたら自然に唱題の中で(やっと座れている短い時間の中ですが)
貴方の事を祈れてるんです。(ごめんなさい、勝手に)
実はこういう自然な気持ちって大事なんじゃないかな、って思う今日この頃です。
私も組織上、役職は持っています。
でもこれから理不尽な「打出し」には断固拒否するつもりです。
私とご本尊の間に「組織の論理」という“我見”は排除して行きたいです。
そして、ホンモノの人間関係を地道に作ってゆこうと思っています。
539 :
福耳:2007/11/05(月) 16:12:52 ID:???
●サーツ女史の牢獄は小さかった。しかし、そこで偉大な歴史はつくられた。
“小さな集い”が大切なのである。大きな会合で、大勢の人に拍手されて話すことが偉いのではない。人目につかない小さな集い――座談会が、また家庭指導が大事なのである。個人指導が大事なのである。
大きな会合だけでは一方通行になる。それでは皆の本当の力を引き出すことはできない。
一対一で、いい味のある対話ができ、人問味のある励ましで人を発心させられる人が本物である。その発心こそ長続きする。その決意が起爆剤になる。
その「一波」から「万波」が広がる。丹念に一軒一軒を回る。真心で一人ひとりと語る。この苦労でつくった一波こそが万波に広がっていくのである。創価学会のこれまでの発展の秘訣もここにある。
したがって、もう一度これに徹していけば、また再び「万波」を起こせる。そこに末法万年の広宣流布の発展の道が開かれていく。
【池田名誉会長スピーチ/第6回本部幹部会 1996-12-16 牧口記念会館】
ナターリヤ・サーツ女史は若き日に、何の罪もない夫をスターリンによって銃殺された。
その後、女史自らも、言われなき罪をデッチ上げられ、5年間にわたって投獄された。
絶望に喘ぐ人々を目の前にして、彼女は考えた。「生きる希望をなくした同室の人々が、どうすれば立ち上がれるか」と。
そして、それぞれの持ち味を生かして、学び合う機会をつくった。暗く冷たい牢獄は、明るい学び舎(や)へと変わった。
囚(とら)われの身となりながらも学び合う人がいる。自由な環境にいながら、学ぼうとしない人もいる。
大きな会合となると、聞き手は否応(いやおう)なく、何百分の一、何千分の一の存在となる。
そこでは往々にして、タレント性やスター性を求めがちとなり、大袈裟な話や誇張した表現が好まれる。
こうなると、テレビの前に座る一視聴者と変わりがない。
どんなに盛り上がっても、『とをざかりぬればすつる心あり』(1544頁)となる傾向がある。
人が心を動かすのは、やはり、自分に向けて発せられた言葉である。否、その言葉に託された心である。
心と心が響き合い、そこに妙なる調べが生まれる。
一人のために悩み、祈り、心を砕き、心を注ぐ――これ折伏なり。
540 :
デタラメ君です。:2007/11/05(月) 22:58:14 ID:RVupK/kH
段々まともな書き込みする人が出て来たな〜、もっと増えるといいな!。
外部アンチ君や、内部アンチ君にも読んでもらいたいね。この勢いでもっといこうね!
541 :
わ〜い:2007/11/06(火) 00:16:36 ID:Qu0aMPDo
おとうから聞いたんだが、七つの鐘つうものがあって、創価学会が結成されたときから、
7年を一つの鐘に例えて、7つ目[7*7=49年]の鐘が鳴ったとき、ちょうど50年目
に創価学会は解散することになっていたらしい。そのときは、日本国内に信者が結構な数に
なっていて、お寺の指導を基本に生活を正しながら、仏の教えを広めることになっていたらしい。
お金が沢山集まるものだから、解散せずに今のような極悪教になったと聞いた。
お年寄りに聞いて、この話の確認をし、この板に結集しょう。
544 :
新入会員:2007/11/06(火) 10:24:53 ID:???
>デタラメ君です。様
ありがとうございます。入会の時に「さっき言われたように試験もあるよ。11月にあるけどやってみる?」と尋ねられ、「受けてみます」と答えてから、今も勉強中です。
最初は「試験の勉強」と思っていましたが、「その期間常に信心を試され、結果としてどれだけの事が出来たかが試験の結果に出るのかもしれない」と思うようになりました。
教えてくださる方も人間。私も人間。
合格責任者さんと2人で昨日初めて勉強して、それぞれの悩みを打ち明けたり、それを正直に話し合えて、いよいよ頑張らなければ、と思うようになりました^^
合格祈念の唱題もしつつ、頑張ります^−^
>福耳様
ありがとうございます。頑張ります。これから、です。
御身体もお大事に、お互いそれぞれの場で頑張りましょう^−^
>>520様
その「力」を自分の中から搾り出す機会を、お通夜の席で頂戴したのではないでしょうか。。。
貴方は頑張って励まし、その行動を取られたのではないでしょうか?だからその「誠意」に対する励ましを、アンチの方からも受けた。行があり、果が「感謝と励ましてくれた事」。
・・・生意気言ってごめんなさいm(_ _)m
信・行・学。
折伏してくれたとても大切な人をまず信じ(学会全体どころか、組織もまだ良く解っていません。苦笑)。
私のようなひよこを見守り助けてくださる方々に感謝しつつ、勤行に励み、今は任用試験の為でもありますが、学び。。
その間に起こった全ての事、合格責任者になってくださった方との語らい(対話ですね)でまた、信じて。自分の出来る事を精一杯頑張って。そこからまた、学び。その機会を与えられたのは、ご本尊様を受けた事から。
感謝しつつ、ひとを尊敬しつつ、笑いながら、この旅を進んで行きたいな、と個人的には^^
545 :
無理やり入れさせられ君:2007/11/06(火) 13:31:58 ID:sZiNjTii
生活苦>嫁の目>活動>信心
嗚呼、いつのまにやら順序が、、、、。
547 :
デタラメ君です。:2007/11/06(火) 20:12:39 ID:MUC3pOp9
>>545 試練の時のようですね、順序なんてどうでもいいですよ!
大事な物はどんな人にもたくさんあるものです。全てを大事にしていこうよ!
いけないのは、現実から逃げる事です。どれも大事にできるように、心がけを忘れずにね。
そして、人と自分を比べない事!貴方には貴方の人生があり、信心があるのです。頑張れ!
548 :
無理やり入れさせられ君:2007/11/07(水) 00:55:20 ID:TE8eP9Qa
>>547 俺には俺の人生、俺だけのオリジナル、、か。なんだか元気が少しだけ出てきた。
照れるが、サンキュー。
550 :
幸耳:2007/11/07(水) 02:16:13 ID:???
恥かしいですが、捨てハンじゃなくてコテしてみました。
耳が悪いので幸せな耳になりたくて…。
福耳氏のちょっと真似w 勉強なったし。
551 :
デタラメ君です。:2007/11/07(水) 06:45:20 ID:DueOFPSg
>>544 >感謝しつつ、ひとを尊敬しつつ、笑いながら、この旅を進んで行きたいな
すばらしいですね〜、私は貴方に初心に帰ることを思い出させて戴きました。
信心の醍醐味をこれから味わっていくんですね、人生いろんなことが起こってきますが
信心で乗り越えていけば最後は必ず幸せになれますよ、御書根本の信心をお互いにしていこうね!
>>548 大変な時期ほど信心がおろそかになるよね、私もそうでした。そして失ったものもあります。
しかし、信心だけは最後まで残りました。今となっては20数年の信心生活の中で一番幸せですよ。
特に心がしあわせに満ちてます。信心しててよかったです。
>>549,550
幸耳さんですか、いいネームですね。
貴方も貴方のすばらしい人生があるよね、それは貴方にしか解らないし、貴方にだけ
与えられた唯一のものですよね、唱題する中で、心で感じてくださいね。
大聖人も「心こそ大切なれ」と云ってますよね、私もそう心から思います。
552 :
法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2007/11/07(水) 07:51:45 ID:wvsZTywJ
福耳氏には、批判的な事を言っても無視されるだけなので書かないで来たが、今回は一言しておく。
(昨日書き込みたかったのだが、連投規制で断念しました。)
>>539に載せられたのは池田氏の発言だそうだが、私にしてみれば、何をイイカゲンな事を
言っているのかとしか思えない点がある。
「ナターリヤ・サーツ女史は若き日に、何の罪もない夫をスターリンによって銃殺された。」とある点だ。
池田氏は、原爆の犠牲すら、それは(仏)罰だと論じた人物だ。
そして、全ては因果で貫かれているのであるとして偶然などという事を否定するのが、創価学会の主張だ。
とすれば、その銃殺も(仏)罰であり、それに対応する罪の結果であるはずではないか。
それとも、(仏)罰とは全く無関係な不幸と言うものも存在するのかね?
そうだとすると、今度は、(仏)罰としての不幸と(仏)罰とは全く無関係な不幸との区別はどのように
なされるのかが問題となるのだが、それにどう答えるのかね?
私には、御都合主義の主張というべきモノにすぎず、無責任極まりないとしか思えない。
553 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/07(水) 08:30:36 ID:vji7Iy4x
仏法で言う罰は、人を介して与えられるものではない。人から殴られた人に
それは罰だというのは間違っている。それは犯罪。罰は、自分で転んで怪我を
した、自身の不徳の致すところから出るもの。そして、自身を戒めるものです。
創価学会では、批判する者に対して、まず婦人部が悪評を言いふらす、
近所の者が白い目で見るまで、場合によっては、職場へも、
このようにして、人為的に罰を作り出す。
554 :
eco ◆Smw69BiSBo :2007/11/07(水) 08:41:13 ID:og1nMSfT
>>553 では、黒人に生まれてしまうのも仏罰なんですか?
仏罰と断定できるとしたら それは何の罪によるものなのでしょうか?
何故、こう言う事を問うのかといえば、この罪を犯す事によって
意図的に来世黒人に生まれ変わる事が出来るからなんですよ
これは女性にも同様の事が言えますよね
555 :
法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2007/11/07(水) 08:42:26 ID:UiOLnjBM
>>553 それならば、池田氏の言う原爆仏罰論はどうなるのだ?
自分で原爆を落としたのかね?
日蓮もおかしな事を言っている事になるぞ。
556 :
eco ◆Smw69BiSBo :2007/11/07(水) 08:42:35 ID:og1nMSfT
>>554 つまり黒人を散々痛めつければ来世黒人に生まれ変われる訳ですよねー
今、女性を痛めつければ女性に生まれ変わる可能性がある訳ですよねー
557 :
法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2007/11/07(水) 08:43:40 ID:UiOLnjBM
是非、>553の主張に対して、学会員は答えていただきたいものですね。
>>557 主張の中身の是非はともかく、
君も何だかいやらしい性格してるねぇ、その物言い。
559 :
新入会員:2007/11/07(水) 11:18:47 ID:???
>>546様
感謝!!
まいこたつさ、は教わったけれど「まいこたさあそ」は初めて知った。。。笑
ちなみに我が家の家具調こたつは引っ越した初夏に購入した為、今もこたつ布団がありません。。笑
>無理やり入れさせられ君 様
大悪は大善の来るべき瑞相なり、
人それぞれ悩みが違うのは当然で、それを克服していく姿を見せる形も人それぞれで。
信心があって「今を変えよう」と思う決意さえあれば、貴方だけの成果と確信が掴めるのではないでしょうか。。と、それを考えるとわくわくしてきます。
私がそうなのですから、周囲の方もそれぞれ、そこで感動なさるのではないかな、と。
私も勝手ながら昨日、貴方のレスを初めて見て。。。まずは亡くなられた親友の方のお父様の追悼と、貴方の事を唱題の際に祈らせて頂いております。。。
・・・「生意気なひよこ」に改名した方がいいでしょうか?^^;
まずはご自身が心身共に健康であられますよう。。
>幸耳様
私の地区にも、一緒に任用試験を受ける方で耳が不自由な方が居ます。
その方にお会いして「そういえば小学校の頃、夏休みに手話を習った」というのを思い出し、「こんばんは」と「お疲れ様です」しか出来なかったのですが、挨拶してみました。
ぱっとお顔があかるくなられて、とても嬉しかったです。少しずつ、手話も復習しようかな、と思ったり。笑(単純なんです^^;)
とても素敵な「心の幸耳」を、既にお持ちですね^^
>デタラメ君です。様
ありがとうございます^-^
お役に立てた事だけで、もうすっかり嬉しい幸せな気持ちを頂戴しています!
水のような信心の日々を重ねていきたいです。ここでお会い出来、お話が出来ている事にも、感謝。。。
午後からの仕事も、貴方のお言葉からの嬉しい気持ちでうまく行きそうです^-^
560 :
新入会員:2007/11/07(水) 11:19:41 ID:???
>法律ヲタ様
初めまして^-^
まず、「仏罰」という言葉をどのような形であれ、まだ聞いた事はありません。
また、調べてみましたが、「原爆は仏罰」と名誉会長が言ったという事実が見つかりませんでした。。
ただ、もしもそれが真実としてあるのであれば。その時は門下のひとりとして、謝罪申し上げます。それが道理です。
>>553様のレスに関しましては、同じく事実として知らないので、言い様が無いのが本音です。
誰かが悪口を沢山言った。それでその方が言われっぱなしにしたまま「自分は被害者」という立場を貫くのであれば、それは子供のいじめの問題に酷似していますね^^;
私も苛めっぽい事をされた経験はありますが。。。自分で「対応」して解決しました。
「どうして苛めるの?自分の何が悪いの?」と「対応」せず自分に原因は無いのかは無視して「苛められている自分」だけを見るのが、典型的な苛められっこのようです。
これは一体、罰なのかな?と。
561 :
幸耳:2007/11/07(水) 17:47:16 ID:???
>551 デタラメ君です。さん
>559 新入会員さん
ありがとうございます。優しさ、心染み入ります。
562 :
幸耳:2007/11/07(水) 18:03:06 ID:???
>>法律ヲタさん
仏罰・・・について話がでましたね。いつも議論になり厄介な議題です。
私なんかが法律ヲタさんに張り合おうなんて微塵も思っていませんが、何かのご参考にと思います。
ご存知の通り、仏教は一般的に言うところの「因果律」が説かれていますね。
全ての現象(結果)に「原因」が備わるという考えです。
これ自体、「ひとつの考え方」程度に思って頂ければいいのでは?と思ったりもします。
個人的には「神のおぼしめし」と片付けられるよりいいかな、と思います。
だって、神ひとりに自分の人生を左右されてはたまりませんものw
因果・・・、ここでは「因果の法則」と申しましょう。
ご異論もあるのは十分に承知ですが、「因果の法則」を前提に話をしますと、
この因果の法則で言うところの「結果」部分が“良くない事”であった場合に
「仏罰」と吐き捨てるのはどうかな?と、私も不快に思います。
私の耳が十分に機能しないのはどうでしょう?“私のせい”という自覚は全くありません。
でも仏法的には“今の私に身に覚えのない過去世”が原因なんですよね、理不尽だけど。
では、それは「仏罰」かといいますと、さて、どうなんですかね?
ひょっとしたら「聞く耳持たぬ傲慢な人間」だったのでしょうか?w
どちらにしても「今」の私には全く身に覚えありません。
ですが「何故」と考えるところで止まってしまうのが普通。
そこで仏法では「三世」(さんぜ/過去世・現在世・未来世)の生命観に立って考えるという教えなのです。
偶然という運・不運で片付けないんです。(でもそう思ったほうが楽なこともあるのは確かですけど・・・。)
でもね、ここで「ああ、これが私の運命(宿命/宿業)なんだ・・・諦めるしかない・・・」と思うんじゃなくて、
「それだったら(宿業を)変えることができるよ」というのが法華経であり日蓮の考え方なんです。
それがお題目であったりするわけで、ここらあたりは「信」の世界ですから、
正しいかどうかの合理的説明というより、「こういうストーリーでござい」というのを受け入れるか否かでしょうね。
少なくとも私は「宿命は変えられる」という考えに共鳴しているんですけども・・・。
但し、私自身の創価学会の「打ち出し」等に関しての不満と別の話です。
563 :
eco ◆Smw69BiSBo :2007/11/07(水) 19:40:20 ID:og1nMSfT
>>554 では、その婦人部の罰は問われないんですか?
それはある意味権力ですし 相手を不幸に貶める要素にもなる訳ですよねー
婦人部は人を救いましたか? それによって相手に満足させましたか?
表面上では満足げにしてても内面は違っていたりもするんですよ
また婦人部自身相手の気持にたって痛みを感じた事があるのでしょうか?
私ははっきり言って少ないと思いますよ
564 :
eco ◆Smw69BiSBo :2007/11/07(水) 19:52:59 ID:og1nMSfT
>>562 ところが、それは日蓮正宗と一緒だった頃であれば効果があった話ですが
それでは通用しなくなっているんですよ
また宿業論にしても使い方次第で大きく変わってしまう
宿命転換にしても、黒人が白人に変化する事はない、男性が女性に変わることもない
その逆もない
ならば
>>556の方法について伺いましょうか?
これは美容と健康にも繋がる話ですよね〜
また使命論にしても「苦しみを楽しみに」と言う催眠的な言葉を巧みに操れば
人を操る事も出来るんですよ
そういう洗脳方法を用いれば
飛行機をビルに突っ込ませたり地下鉄にサリンを巻いたりする事が出来る
要は相手の能力を発揮させればよい
例えば男性の使命を女性を護るための殺人道具と言う風に
調教して 条件反射を与えればいいんですよ
確か こうやって 私服を肥やしていた幹部や坊さんもいましたよねー
>>563アンカーミスあれは
>>553についての質問だった
565 :
eco ◆Smw69BiSBo :2007/11/07(水) 20:02:55 ID:og1nMSfT
>>564の続き
>>562へ
>>女性を護るための殺人道具
↑ ↑ ↑ ↑ ↑
この部分を“正法”と言う単語に置き換えても調教が可能です
9.11の自爆テロの場合は(米国陰謀説が流れておりますが)
この手法を用いて人間爆弾を作っていた事をご存知ですか?
「あなた達は選ばれた使命によってアラーの元で幸せに暮らしていける」
・・・と、男性の信者に調教していたようです
あれ?これは有徳王の話を上手く男子部に使えば 平気で人を殺せそうですねー
また直接殺すと言う事はしなくても
相手を奴隷のように調教する事も可能な訳です
566 :
eco ◆Smw69BiSBo :2007/11/07(水) 20:16:57 ID:og1nMSfT
>>565のつづき
>>562へ
だから「宿業も使命に」「苦を楽に」と言う手法は
1990年代に入ってから ある意味信用がなくなってしまい
破綻してしまって通用が効かない訳です
もしかしたら、その論理も1979年以降破綻しているかもしれません
79年以降 宿業に対する鋭い視点で問い正していた人が
何人か いたのですが それらの質問は創価側がスルーした為
結局、思考停止のまま教条化してしまい
ようやく90年代入って歪みが顕れているんですよ
だけど後の祭りで手遅れなんですよ・・・
また ソフトパワーだけ用いても 潜称増上慢の罠に嵌る
僭称増上慢の原理から考えて 形になったら僭称では なってしまう
罠というのは敵が嵌るから罠な訳で嵌らなければ罠にはならない
これは題目の本スレでも書いたことですよねー
567 :
デタラメ君です。:2007/11/07(水) 23:36:21 ID:DueOFPSg
またecoが訳のわからん妄想をひけらかし始めた・・・、いいかげん女性批判
はやめろって!きりがないよ〜。
568 :
法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2007/11/08(木) 08:04:34 ID:z3BAfCxR
>>558 「君も何だかいやらしい性格してるねぇ、その物言い。」・・・そのように受け取るのは、キミの生命状態の反映だろう。
現実生活の中で相手をした創価学会(員)は、確かこのような表現を良く使っていましたよ。
キミも、そうなのではないのかな? (w
私としては主張の中身こそを問題としてほしいものですけれど、アナタがそのように思う事自体は、基本的には
御自由ですから、どうぞ御勝手に…。
それを受けて、私も勝手に、アナタの事をどうしようもない奴と思うだけです。
569 :
法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2007/11/08(木) 08:05:31 ID:z3BAfCxR
>>560 新入会員さん、はじめまして…。
アナタが必ずしも謝罪なさらなければならない事だとは思いませんけれど、レス>552で触れた池田氏による
原爆・仏罰論は、本当の事です。
正宗時代の不都合なものとして現在では廃棄に回されているらしい"会長講演集 第三巻"なる書籍に、
載っている講演ですが、近時私も古本として入手したのですが、おそらく同書は探せば見つかると思いますし、
この板にその原爆・仏罰論を扱ったスレッドもあります。
「(仏)罰」も同様で、少なくとも過去の創価学会の書籍を読むと、さんざん主張しています。
創価学会は、過去の自己の主張を間違いだとして撤回する事が、ほとんどありません。
私も、もちろん全ての創価学会の言動を把握しているわけではありませんけれど、それらを間違いだとして
撤回したなどと言う話は、聞いた事がありません。
ところが、そのような創価学会なのですが、いつの間にか不都合な過去の主張内容をコロコロと変えて、あたかも
無きものであるかのようにしてしまう団体なのです。
ぜひ、昭和20年代から40年代初期くらいまでの書籍を入手して、お読みになってみてください。
570 :
法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2007/11/08(木) 08:41:05 ID:gdnRnMM2
>>562 幸耳さん
わざわざレスを戴き、ありがとうございます。
申し訳ございませんけれど、今朝は時間的余裕がありませんので、お返事はお許しください。
できれば、後にレスさせていただきたいと思っております。
571 :
幸耳:2007/11/08(木) 10:14:40 ID:???
>>570 法律ヲタさん
いえいえ、お気遣いなく。
むしろ、これ以上の知識がないので議論に発展するのが怖いですw
生意気言ってすいません。
572 :
幸耳:2007/11/08(木) 10:17:04 ID:???
>>560 ecoさん、レスありがとうございます。
>ところが、それは日蓮正宗と一緒だった頃であれば効果があった話ですが
すいません、この「それは」は何を指しているのでしょうか?
「三世の生命観」については基本的な法華経の生命観だと認識しているのですが・・・。
また、因果/宿命転換については、何も黒人が白人になるなどといった“変身”のようには私は捉えていません。
むしろ、「黒人が困らない境遇」が訪れることかな?と思っています。(個人の身近なところから、です。)
私もハンデが治ることは期待したいですし、三世の生命観でいうところの来世ではちゃと生まれてきたいです。
でも今の生活で、さして困らない“環境”も、全面解決ではないですが宿命転換のひとつだと思っています。
例えばこのパソコンという道具で会話するのに耳は要りません。仕事も同じことです。
そこに「めぐり合う」というのも、けっして万人が得れるものではありません。
僅かでもお金がないとパソコンも買えないし、接続もできません。
こういうことが出来る環境の幸せに感謝しています。
573 :
幸耳:2007/11/08(木) 10:19:03 ID:???
(
>>572続き/連投すいません)
>また使命論にしても「苦しみを楽しみに」と言う催眠的な言葉を巧みに操れば
>人を操る事も出来るんですよ
う〜ん、でも苦しいのは事実ですよ。ハンデを楽しいなんて詭弁です。ですが克服できるツールを使っているときは楽しいです。
実は「宿命と使命に変えて」という指導には、あまり説得力には欠けていると思うんです。
辛いことは辛いんだし、ウソついちゃダメ。ウソの祈りはダメと思いますけど・・・。
でも自己矛盾するようですが、どうしようもないハンデキャップについては開き直って
同じ境遇にある仲間に「こうしたらどぉ?」なんてアドバイスできたらいいな、と思います。
「使命」って言えば大げさですが、でもそういうのを言うのではないでしょうか?
後段、そうやってMCのようなものを植えつけることをおっしゃりたいのでしょうか?
当然あってはならないことです。でも少なくとも宿命転換できるから「人殺せ」と言われても私はできない。
飛躍で可能性を語ってもキリがないのではないでしょうか?
でも、社会通念を逸脱することは断固社会が追求すべきです。それは創価学会も同じです。
さて、私より遥かに知識をお持ちの方とお見受け致しております。
どうでしょう、その知識をどなたかの元気をモリモリさせる為にも使ってみませんか?
ecoさんならきっと凄いことができるんじゃないかなーって思います。
あ、でもどこかできっとなさってるんですよね。生意気ばかりすいません。
また宜しくお願いします。
574 :
新入会員:2007/11/08(木) 10:26:51 ID:???
おはようございます^^
たまたま、試験の間だけお借りしていた辞典。を、引いてみました。
「仏罰」は記載なし。「罰」は説明分なし。「〜が当たる」などという形容的な説明のみ。
つまり、仏罰という概念は存在しないという事ですね^^
仏と弟子というのは主従関係でも無い。と。=罰する事など出来ません。
まして人が人に罰を与える、という事は。。「ばつの悪い思いをさせてしまう」事はあったとしても。苦笑。これは既に仏法から外れてますね。
さて。
>eco様
罰を問われるとしたら、それは【法廷】で。
その為にそういう場所がある訳ですね。
>>556の主張について。
新池御書(1440頁)
「たまたま人間に来る時は名聞名利の風はげしく仏道修行の灯は消えやすし」
来世で「人間」に生まれ変わるなんぞ、誰も言ってません。ので文証の時点でそれはアウトなのでは?勿論理証でもアウト。一番大事な現証で頑張ってくださいませ。
でも、この現証の為に犯罪犯すのは哀しいのでやめてくださいね^^;
何よりも、貴方の大事な生命ある日々がもったいないです。
575 :
新入会員:2007/11/08(木) 10:41:11 ID:???
>法律ヲタ様
ありがとうございます^^
昭和20年代から40年代初期、で納得出来たので、貴方の「本当の事」というのをまず信じます。(時代背景から推察して。。ですが)
戸田先生の時代ですね。20年代になりますと、戦後の混沌もありますし。獄中で悟る位なので、佐渡御書並みに激しいものを推察出来ます。
簡単に言うと「戦争」や「軍国主義」に対して怒っていた上に「神札受けなかったから不敬罪」と会長含む幹部がばりばりと逮捕されて。
獄中で会長の無事を必死に「自分が罪なら全部被りますから」と祈ってた位。
なので、会長も獄死されて、激怒しまくってた時代です。
「戦争のバカヤロー!」と叫ぶ前に、「軍国主義日本のバカヤロー!」と師を失った弟子としてはホントは叫びたいのも人情。
もともと熱い性格の方なので、幹部全員退転したのも悲しかったでしょうが「それは学びが少なかったからだ。だから学ぶのが大事」と反省した上で、再興を考える。
ここで、幸耳様のおっしゃったように「こういうストーリーでござい」程度に、創価学会精神自体が「師弟」をすごーく大事にしているのがあるのを、ご理解頂けると^^
池田先生に関しても、仏法大事は勿論だけれど「戸田先生の弟子なんだ!」というのが物凄くある訳ですね。
私が出席した席で「私は戸田先生が喜んでくれるなら何でもやっちゃうんだ」と後年語っていらっしゃる位です。
そこに「仏罰」というキーワードが来る訳ですが。
誰が最初に言ったのか。それは案外どうでも良くて、「仏罰」という概念がもともと無い訳ですから「罰」というのも比喩に当たります(と、これはwebでひたすら調べて判明)。
576 :
新入会員:2007/11/08(木) 11:04:37 ID:???
続きまして。。。
20年から40年頃の時代背景から推察しますと。
私の父が育ってからバリバリと働いていた頃でもありますが。。
会社規模でも、「社長、どの点から照らし合わせても、今回の企画に勝算はありません」と言う社員(父)に「○○、お前は法に触れるからと言って、うちの利益が減ってもいいと言うのか?」とグレーゾーンをちらつかせちゃう位です(実話です。)
まして熱い師弟がどのように、その時代に合せた「比喩」を使い、それを教わった人達がどのような伝言ゲームをしてしまったか。・・・お察し頂ければ。
が、それは確かに「悪い事」です。
仏罰という法華経に無いものを、比喩でも言いまくってしまったのだから。しかも比喩と知らずに使ってしまった人も多かったと思います。
なので、そういう先輩方もいらっしゃったし、今もそれを「比喩」と気づかずに言ってしまっている方が居るのかも知れません。聞いた側も、言った側が比喩だと思っていないのだから、「たとえ話としてね」と言われて「ふざけるな!」となるでしょう。当たり前です。
ので、門下のひとりとして、それは謝罪させて頂きたいです。
申し訳ございません。
そんな40年代の婦人部の皆様も、その後御年を経て。今はいいお婆ちゃんとなっている事でしょう。孫が「それは罰だよおばあちゃん」と言ったら、ガクブルしちゃう位にほのぼのとした
。多分。
「この罰当たりがっ!」という、怒られる時のキーワードは創価じゃなくてもあるし。
勿論それは私が罰する事でもなく、双方の心中を察して「なるほどねぇ」と理解するべき事。
577 :
新入会員:2007/11/08(木) 11:07:41 ID:???
最後に。
極めて個人的に、これで解けた謎がひとつあります。
任用試験の勉強会で、私は癖でつい「それは例えば・・・」と自分がイメージしやすいように話す時があるのですが、歴代創価学会の先輩方の(まだ数少なくお会いした中で)多くは
「ぴく」と固まります。本当に。
「物の例え」にどれだけ怯えている会員の方が居るのかも、今回で知って頂ければ^^
「月は山よりいでて山をてらす、わざわいは口より出でて身をやぶる。さいわいは心よりいでて我をかざる」(十字御書1492頁)
創価学会と言えど、要するに「人」の集まりです。
教わっている事がちょっと違ったりするのもあるでしょう。人それぞれの信心の形もあるでしょう。
時代が違えば「流行言葉大賞」になってしまった「比喩」も違う。
要は弟子の一人ひとりが自分を律していけば良い事で、それが自戒という物ですね^-^
歴史を正しく、お互いの見解から、推察の範疇ですが。。学ぶ機会を与えてくださり、感謝致します。
578 :
デタラメ君です。:2007/11/08(木) 20:02:42 ID:vlHYhQlh
>>577 凄いなぁ、ほんとに新入会員ですかぁ?私なんか足元にも及ばないほどの演説振り
ではないですか!、(ーー;)私なんか頭よくないから難しいこと言われると思考停止
しますよ・・・。いやはやなんともこんな人が信心してるとは思いませんでしたよ。
ヲタ氏は法律関係に強い人ですが、なんと御書まで外部なのに読んでる人でね、なかなか
手強いお方なんです。ヲタ氏にこれだけの返答が出来るとは・・・、お見それしました。
579 :
eco ◆Smw69BiSBo :2007/11/08(木) 22:18:15 ID:uW6cKUbp
>>567 何をもって あなたは妄想と判断ができるんだろうねー
こういう事を いう事 自体、世間知らずなのだろうか?
私の話は経験も含めて現実的な話をしているだけですよ
それに 私の話は御書からも引用している部分があるんですよ
上野殿(南条時光)氏の御書には
女性の性格や欠点などしっかり指摘しておりますしねー
>>577の新入会員さんが書いた十字御書も
女性に宛てた手紙で戒め意味でソレが書かれているんですよ
戦争の因にしても細かく見ていけば 男性のエゴよりも
女性の不安とエゴが二次的に広がっているのでは?
国防婦人会や新日本婦人会の存在をどうやって説明しますか
仏罰発言同様、隠したい出来事ですよねー
何故、警察官や危ない仕事は男性に任せるんだ?
自分で守るという発想が無いのか?
それでよく平和のシンボルで優しい存在だ などと言い切れるものですねー
誰のお陰で平和に暮らしているんですか?
生贄にされているのは女性?男性? 男性ですよねー
下手したら地獄へ堕ちるループすらあるし
仏法を説いた方が仏種断絶をするという矛盾まで生まれてしまう
580 :
eco ◆Smw69BiSBo :2007/11/08(木) 22:19:22 ID:uW6cKUbp
>>579のつづき
それと男女平等だというのであるならば
女性には欲望がない残忍ではない“アレは男性だけの特権だ”なんていうのは男性蔑視じゃないですか?
その女性蔑視だって自分の都合のいい部分は自ら女性蔑視をしますよねー
この矛盾はどうやって説明するんですか?
また 女性は精神的に強いという割には、育児の不安があったり鬱病にかかりやすかったり
他にもありますよねー レイプの事とか・・・
この矛盾をどうやって説明しますか?
女性の精神が強いと主張してきたのは女性達ですよ その割には安全安心を男性に任せる
精神が強かったら自分で何とかしているんですよ
結局 獲得権益を得るためのソントと言う口からの出任せだったんですか?
自立にしても同じですよ
男性の保護や国の保護があったから自立が出来るのであって
自ら農作物は作っていない
一体 女性の言う平等と言うのは、どういう状態を指すんでしょうか?
581 :
eco ◆Smw69BiSBo :2007/11/08(木) 22:39:34 ID:uW6cKUbp
>>580のつづき
仮に男性が欲望の塊だらけの狂暴で残忍な生き物だったら
キリストや科学者の存在は?哲学者の存在は?
マハトマスガンジー非暴力でしたよ?
そういえば不軽菩薩は男性でしたよねー
これ等の矛盾をどうやって説明しますか?
これだって女性が行っていれば矛盾しなかった訳ですよ
結局、女性は釈尊の教え、大聖人の教え、キリストの教えを貪って任せっきりにしていただけに過ぎない
占いだって方位だのお参りだの これ等すべて男性の智慧ですよ
科学も哲学も含めてね
結局 女性で不釈身命をした人が いないじゃないですか?
だから女人成仏が法華経まで出てこなかった訳でしょ?
今迄 女性は何をやってきたんだ?
結局 美味しいところだけ貪り 自分が行詰まれば直ぐに男性に丸投げし
矛盾を指摘すれば すべて差別だと言ってあの発言が悪いだの・・・と
結局 原始時代から男性に責任を擦りつけ 逃げていただけじゃないですか?
女性は男性の存在を何だと思っているんですか?
「使い捨てのライター」にしか思っていないんじゃないですか?
結局 差別の因は女性が自ら作っているのではないのでしょうか?
差別自体“自分の身を守るための悪知恵”だったのではないのでしょうか?
582 :
eco ◆Smw69BiSBo :2007/11/08(木) 22:44:48 ID:uW6cKUbp
>>581のつづき
そういえば 念仏の責任はすべて 法然一人に丸投げされてしまいましたが
これだって“女の口コミ”と言うのを式に組み立て考えていけば
念仏を拡大させた因として 女性の存在だって否めない訳だよねー
全体感にたてば 女性が仏教を破壊させてしまった因すらあるようにも思える
そういえば御書にも「女人は日輪(法華経)をば破る」なんていう
御聖訓もありましたね
そうそう、口コミで思い出しましたが 女性は平気で聖域を作りたがるよねー
差別をなくしたいのであるならば、その聖域という物をぶち壊したいね
583 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/08(木) 22:52:20 ID:Q5+lgDh2
↑こいつ馬鹿丸出しw
585 :
eco ◆Smw69BiSBo :2007/11/08(木) 23:11:39 ID:uW6cKUbp
>>582 それと「でたらめ君」さぁ〜 最近になって気付いた事ですが
実は私みたいな人や男女板と同じ意見を持った人が
意外な処に居たんですよ 誰だか解かります?
そう・・・ かの創価学会2代会長 戸田城聖先生なんですよ
講演集や人間革命を読めば解かる事
そういった意味では池田先生も同じかもね eco節の指導も何度か見かける
ただ、学会にしても公明党にしても やっていることは何故か逆の方向・・・
586 :
eco ◆Smw69BiSBo :2007/11/08(木) 23:34:49 ID:uW6cKUbp
>>579-582+
>>585を書いたら一気に疲れた・・・・
>>572以降の返事は後ほど
(回線変えていないので そろそろ連投規制かな?)
>>583-584 「教機自国抄」を読めば解かりますが
イッセンダイと言うのは教える側が作ってしまう場合もあるんですよ
確か「舎利佛の誤り」と言うのが その一例で
確か聖教にも載っていましたよねー これだけ書いておきます
587 :
eco ◆Smw69BiSBo :2007/11/08(木) 23:36:08 ID:uW6cKUbp
588 :
デタラメ君です。:2007/11/08(木) 23:56:41 ID:vlHYhQlh
長文お疲れさん!批判が欲しいのか?よしよし・・・。
君のように長く書けないから私流で書くと・・・、キモイ!!納得か?
589 :
デタラメ君です。:2007/11/09(金) 05:25:15 ID:h4XZBgfA
ecoさん御書451P8行〜452P1行目を読んで感想を聞かせてくれよ。
回線変えてもecoだとわかるのかな?解るようにね。
590 :
法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2007/11/09(金) 08:27:15 ID:XiBEQ2rr
>>575-577 新入会員さん
私も>578でデタラメ君です。さんが言うように「ほんとに新入会員」なのかと思わないでもないのですが、しかし、
お書きになっている内容には、単なる知識としても問題も多いとも思います。
まず、当時の創価学会に関する認識そのものは措くとして、最後にある『「仏罰」という概念がもともと無い訳
ですから「罰」というのも比喩に当たります(と、これはwebでひたすら調べて判明)。』という点ですが、確かに
日蓮は「仏罰」という用語はあまり使っていないようですけれど、「罰」(ばち)という事については、「罰」という
用語自体を用いた上でも数限りなく述べているのです。
そして、その日蓮の言う「罰」が、いわゆる仏罰であることは、数々の創価学会員の説明からしても、明らかです。
もっとも、ここで仏罰と言っても、何か擬人化された"仏"なる存在がいて、それが罰を落とす、といった類のモノ
だと言うのでは必ずしもなく、仏教上・仏法上の罰とでも言えばよいものにすぎません。
なお、それ故にここで私は、括弧に入れて「(仏)罰」と表記しているのです。
そして、「仏罰という法華経に無いものを、比喩でも言いまくってしまった」とのお話ですが、今、鳩摩羅什による
妙法蓮華経なる漢訳の仏典中に「仏罰」・「罰」という用語自体が使われているか確認しておりませんが、法華経
の内容の多くが功徳・(仏)罰の問題で占められているのは事実なのですよ。
日本語訳の法華経をお読みになってみて下さい。
「(仏)罰」自体は、法華経(信者)にとっては「比喩」でも何でもなく、事実そのものなのあって、単なる「流行語」
にすぎないモノではないのです。
ぜひ「歴史を正しく」学んでください。
アナタには、創価学会によりコントロールされた情報ではなく、客観的事実を学ぶことが重要だと思います。
もちろん、日蓮や仏教そのものについても、客観的事実を学ばなくては無意味です。
591 :
eco ◆Smw69BiSBo :2007/11/09(金) 10:20:08 ID:zwFkS3F9
592 :
eco ◆Smw69BiSBo :2007/11/09(金) 10:28:32 ID:zwFkS3F9
>>589 悟達が出来た自信もあったからなんでしょうが
意外ですが戸田先生は
その「顕謗法抄」をも打ち破る 物凄い戦いをして成仏したんですよ
竜女の振る舞いと同じ事を戸田先生自身が行なって証明したんです
あれは 一歩 間違えたら阿鼻地獄までは行かなくても大焦熱あたりは行っていたののでは
そういえば顕謗法抄の地獄にしても8つの差別が存在していますよね
一番下が阿鼻地獄で一番苦しく 一番楽なのは等活地獄
何故、地獄にまで差別が存在するのでしょうか?
593 :
新入会員:2007/11/09(金) 11:06:15 ID:???
>デタラメ君です。様
いえ、今年9月に入りましたので。苦笑。
御書の言葉の引用も、試験範囲内のものと日めくりの「御金言集(1)」の中に出てきているものだけだったりします。後はこの場合「文証・理証・現証」を前提にするのが基本かな、という。それだけです。以下でそれも現証になる訳ですが。
>法律ヲタ様
!
ソレだ!
私が辞書引いたのは「ばつ」=× 御書に書いてあるのは「ばち」=○
です。大変失礼致しました^^;
いきなりぽーんと入ると、まぁこういう事が起こる。
実は内心「偉そうに書いてしまって、絶対誰かしらが何か言うだろう。反感を買う事だってすっごくあるでしょう」と思っていましたが、その通り。笑
なるほど、立正安国論の時の国主諫暁ってこういう事だったんですね。いやいや、試験前に良い勉強になりました。本当にありがとうございますm(_ _)m
罰じゃないけれど、恥をかいて覚えた事って忘れないので。個人史暦事実においては。
で。全体を見た時に、結果として今の「創価学会」がある訳ですね。
確かに「組織上」なのでしょうが、御書の言葉をかなり意訳してる所ってあると思ってます。
戸田先生の梁山泊のように「いつでも集まれる」という気持ちを保つのに、まずは参加してみるのが大事、のような事は言われてます。
(この辺りは「人間革命」の一巻です。試験もまだで読み物も無い時に借りて途中まで読みました)
同時に「創価家族と言っても、誰とも気が合う訳じゃない。中には気が合わない人だっていると思う。その中でこの人は良いな、と思える人をまず大事にしてね」と軽く戒められましたが。(折伏してくれた一番身近で個人的な師に)
594 :
沖浦克治:2007/11/09(金) 11:12:02 ID:Md80g7S3
あなた達ね 「創価学会をみんなで考えよう」にきなさい。
「降魔の剣」にも来なさい
いろいろ指導してあげます。
595 :
新入会員:2007/11/09(金) 11:28:35 ID:???
続きまして。
まぁ、それだったらそれは「罰が当たるっていきなり言っちゃう貴方は何者?」と思われても仕方がないでしょう。現在の感覚で言えば。当時はともかく。←これが戦後復興期
それは、怒られます。恨まれます。当然です。「ディスカッションの勝ち負けで人生変える」のは現代的ではないし、「なんでそうなる訳??」となるでしょう。
私はバチだなんて、聞いた事も無かったですし。全て「業」と聞いてましたし。←これが現代
むら社会の崩壊した今現在、村八分のような人為的罰、というのは不可能でしょう。
村八分の場合は理由がある。それぞれが担う、そのむらでの「ルール」を破ったから、という人為的罰を行う自覚もある。
ただ、先日「これ読んでごらん」と言われて読んだ漫画で「人間の倫理はブレーキにならない」という凄い結論に至る実験のエピソードが出てきたのがありましたが。
「自分が被害者」は主張しても「自分が加害者」は認めようとしない、という奴ですね。
これは、どこでも当てはまるし、いつのどの国でもあったりしますね。結構日常的に「あいつが悪い」と責任転嫁。
それはやってはいけない事ですねー。被害者意識、が何よりも怖い。
個人的に「解らないもの」と「被害者意識」は怖いです。だから自分も「被害者」とは思ってしまわないように生きてきました。今も。
解らないから、入会と同時に関連書籍を求め、与えられて読んでました。
なので、私もしたくない事です。
596 :
新入会員:2007/11/09(金) 11:45:12 ID:???
恐らく、だから。
今、池田先生がひたすらやっている事。
これは「対話。相手を尊重し、お互いの【共通点】を見出す事」
「私達は、理解し合う事が出来ますね」という確認作業。
だと、個人的直感では思っていました。
原点に帰っている気がします。
「戸田先生が先に宗教法人として登録して手を打っていた」と何かで聞いた事の実態はまだきちんと把握していませんが(たまたま聞いただけなので)。
相手を責めれば、相手も責める。相手を尊重すれば、相手も尊重してくれる。全部、自分からしないと始まらない事ですよね?Give&Take の関係を作るには、まずはGive、が基本です。
女子部の女性がキラキラと「強い女子部に!」と宣言した時に、池田先生が「強いのもいいんだけど、慈悲もね」とちょっと苦笑いしたように。
と言っても、これで信心が崩れるって訳でもないのですが^^;
(そんな信心だったら、私も要りませんし)
感謝もしています。それで「幸福」も「初心の功徳」も両手に余る程、頂戴しましたから。
頂戴した恩を投げ打って批判するのは、個人的には好きではないので。
善いものは善いし、悪いものは悪い。
なので「水のような信心」を保ちたいと思います。
貴重な勉強をさせて頂きました。なんだか今、本気で嬉しいです。変ですかね?笑
そんな学会員が居ても。。。まぁ、叩き出される事は無いかと^^
597 :
新入会員:2007/11/09(金) 11:52:20 ID:???
これはあくまでも「おまけ」ですが。。。
「福耳」氏がレスを(コピペかどうかは置いておいて)淡々と「人格キャラではない」とキーボード打ち続けた時。
私が感じたのは「この人は、問題定義を敢えてする事によって、考える機会を作っているのではないか」と思っていたのです。
それがここに来たきっかけで。
「何故2chでそれをやるのか」
匿名の世界だからこそ、人の本質、本音が出る。それを言っても所詮は壺の中。
だから「思っている事を言える」ように仕向けてたんじゃないかなー?って。
どうなんでしょうね?笑
でも、こうしてお話する事が出来て、嬉しいです^^
・・・わー、時間が。勉強しなきゃー!
では、また☆
598 :
◇福耳◇:2007/11/09(金) 17:22:48 ID:???
■仏法の特徴は“宿命”を説くところにある。キリスト教を初めとする天地創造神の場合は“運命”を説く。
運命というのは神様が勝手に与えてくれる試練で、迷惑この上ない。
宿命とは三世にわたる生命自体が積み重ねてきた業因業果によるもの。つまり、全部、自分持ち。
こうなると神様に文句をつけるわけにもいかない。
宿命は様々な形をもって襲いかかる。病気・経済苦・人間関係と、人生のどこで現れるか知れない。
『宿業はかりがたし』(958頁)と大聖人も仰せだ。であればこそ、日常の仏道修行が大切となってくる。
「残念ですが、あと3ヶ月の命です」――医師からそう告げられたら、あなたは残された3ヶ月間をどのように過ごすだろうか?
その答えこそが、あなたの人生観とはいえないだろうか。そこに宿命と向かい合った時の姿勢が如実に現れる。
(続く)
599 :
デタラメ君です。:2007/11/09(金) 17:42:48 ID:h4XZBgfA
>>591 >>592 >これ・・・お前さんの事じゃないの?
意味が解らんが・・・。
地獄なんぞは、特に御書に書かれてるものは信憑性に欠け、実在するものとは考えられません。
しかし、現実世界においての人の苦しみからはまさしく御書に書かれる地獄が想像できます。
そこを重視し、自身の行動を律することを知ることができます、要は善悪の基準とでも言いますかね。
その程度の解釈で十分だと思います。
前後しますが、貴方に読んでもらった処は教機時国抄を読んでからここを読むと矛盾を感じるのですよ。
結局御書自体が、個人宛である為にこういう結果を招く訳です。従って御書は自分が共感できるものを自分
で探して自身の糧とするのが正解なんです。ですから、貴方にとって必要でないものもあるということですね。
600 :
デタラメ君です。:2007/11/09(金) 17:48:51 ID:h4XZBgfA
追伸、誰かの指摘を待つ!