XXXXX ニセ本尊を糾弾する7 XXXXX

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691名無しさん@お腹いっぱい。
神仏判然令によって寺院と神社が強制的に分離された。
たとえば東照宮と輪王寺はもとは一つ。
しかし小さい社は氏子もおらず自前で運営できないから
かたちはわかれた後も寺院が実際は管理している。
大石寺は浅間系の神社と昔は習合していた。
692名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/15(木) 09:19:01 ID:???
有師化儀抄
日興上人の時・八幡の社壇を重須に建立あり、内には本尊を懸らるゝ・是は本門寺の朽木書と云云、今の義にあらず
天下一同の法華経信仰の時は・当宗の鎮守は八幡にて在すべし云云

有師化儀抄註解(堀日亨上人)
神社は皆仏教各宗寺院と境域を共同にし、其神社の祭祀を掌どる禰宜神官ありといへども・却つて
寺院別当等の管理を受くるもの多く、又神主なくして供僧等にて専ら祭祀等を主どるもあり、是れ本地垂迹論の結果にして・仏菩薩は本地
神々は垂迹なりとし・寺院建立に当りて其地に古来より神社あれば此を何々仏の垂迹と崇め其寺院の地主権現なりとせり

又神社なき地に新寺を建立したるときは、更に其縁由の神を勧請して・垂迹の宮を建つ、日蓮宗殊に本宗には天照大御神・八幡大菩薩
を勧請すること、近時まで在りし吾本山の天王堂垂迹堂の例・又は次の第七十六条の文の如し、伊勢の大廟にすら神宮寺ありしといふ
明治維新後神仏混合の制を廃して・仏菩薩は寺院に、神は専ら神社に祀り、殊に境域を同一にすべからざるに至りしも、其已前は殆んど
仏教各宗所属の神社なりしなり

「八幡の社壇を重須に建立あり」とは・垂迹堂を指すもの今は無し、「内に本尊を懸らるゝ」とは・垂迹堂を建てたればとて、其神体は木像
に・あらず鏡にあらず御漫荼羅なり、此制規に依るものか、上野重須等の村落に散在する小き神堂は(寺院以外)、山の神八幡を問はず
皆御漫荼羅か神体なり、「本門寺の朽木書等」とは・重須の垂迹堂を八幡なりとすることは・将来広布の時本門寺建立あらん時の手本に、
興師が残されたる規模なり、故に「今の義にあらず」と故に断り給ふなり

朽木書とは絵画の下書なれば手本の如し、「大隅八幡の石の文」とは・大隅国姶良郡西国分村の内にある石体宮にあるものなれども、
現時其石其文字ありやは不明なり、然れども宗祖の御時代には事実にして諸書に散見すと見えたり。